18.閑話・追放された死霊術士は、老人ホームで静かに暮らしたい
夜空を裂くように、青白い魔法陣が開いた。
その中心に立っていたのは、黒いローブをまとった男だった。
男の名はネクロ・アルヴェイン。
かつて魔王軍に所属し、「死者使い」の異名で恐れられた死霊術士である。
だが、彼は敗れた。
勇者一行との決戦ではない。
もっと理不尽で、もっと俗っぽい理由だった。
「アンデッド兵の維持費が高すぎる」
それが、彼が追放された理由である。
魔王城の財務担当が涙目で提出した決算報告書には、膨大な骨補修費、霊核維持費、腐敗防止薬剤費が並んでいた。
特に問題になったのは、骸骨兵たちが戦闘後に勝手に踊り始め、関節を壊しまくることだった。
「なぜ戦闘後にタップダンス大会を始めるのだ!」
「士気向上のためだが?」
「士気の概念があるのかアンデッドに!?」
結果、ネクロは魔王軍経営合理化の名のもとに解雇された。
さらに人類側からも「存在が不穏」という理由で討伐対象になり、世界から居場所を失った。
逃亡中、彼は禁呪に手を出した。
異世界転移。
次元の狭間へと身を投じた彼がたどり着いた先――。
そこが、現代日本だった。
◇◇◇
「……ここは?」
ネクロが最初に見たのは、自動販売機だった。
深夜の住宅街。
白く光る箱の中に、飲み物がずらりと並んでいる。
「封印された魔道具か?」
近づく。
ガコン。
誰かが缶コーヒーを買った。
「!?」
思わず戦闘態勢を取るネクロ。
だが、出てきたのは疲れ切ったサラリーマンだった。
「うわっ、コスプレ!?」
「貴様……この魔道具の管理者か?」
「は?」
数分後。
ネクロは缶コーヒーを飲みながら、日本語を解析していた。
死霊術士は魂や記憶を扱うため、言語解析能力が高い。
「なるほど。この世界には魔力が薄い代わりに、“技術”なるものが発展しているのか」
彼は空を見上げた。
異世界に来た。
ならば静かに生きよう。
もう戦争は嫌だった。
骨補修費の請求書も見たくない。
そう思っていた。
しかし。
数日後。
彼は奇妙な求人広告を目にする。
『介護職員募集。未経験歓迎』
「介護?」
調べる。
老人の世話をする仕事らしい。
そしてネクロは、説明文のある一文で止まった。
『看取りケアあり』
「……死に寄り添う仕事か」
妙な親近感を覚えた。
◇◇◇
東京都台東区。
小規模老人ホーム『ひだまりの家』。
そこは慢性的な人手不足に悩んでいた。
「また辞めちゃった……」
施設長の佐伯真由美は頭を抱えていた。
四十代後半。
疲れが顔ににじむ女性だった。
利用者二十人に対して、夜勤スタッフは二人。
しかも一人は腰痛持ち。
「誰でもいいから来てほしい……」
そう呟いた直後。
入口の自動ドアが開いた。
黒ローブの男が立っていた。
「求人を見た」
「えっ」
「死にゆく者の世話をする仕事だと聞いた」
「えっ?」
五分後。
ネクロは採用された。
理由は単純。
人手不足が限界だったからである。
最初の一週間は地獄だった。
「おじいちゃん!それ食べ物じゃないです!」
「む……?」
認知症の老人がテレビのリモコンを味噌汁に入れていた。
ネクロは困惑した。
魔王軍にはボケ老人がいなかった。
いや、いたかもしれないが、すぐリッチ化していたので分からない。
「ネクロさん!オムツ交換お願い!」
「オムツ……?」
死霊術は万能ではない。
特に排泄介助には向いていない。
だが彼は真面目だった。
徹底的に学んだ。
介護技術。
感染対策。
認知症ケア。
そして彼は気づく。
「老人とは……肉体が少しずつ死に近づいていく存在なのだな」
死霊術士にとって、死とは研究対象だった。
だが老人ホームでは違う。
そこにあるのは、“人生”の終わりだった。
「ネクロさんは、不思議ですねぇ」
利用者の一人、田中源三が言った。
九十二歳。
元大工。
頑固者で有名だった。
「普通、介護士ってもっと明るく振る舞うもんでしょう?」
「必要か?」
「いや、あんたの場合、妙に落ち着くんだよ」
源三は笑った。
「死ぬのが怖くなくなるっていうか」
ネクロは沈黙した。
彼は死者を何千も見てきた。
だが、“死を怖がる人間”に接した経験は少ない。
「人は皆、死ぬ」
「そりゃそうだ」
「だが、死とは終わりではない」
「宗教かい?」
「違う。経験談だ」
源三は吹き出した。
「ははは!変な兄ちゃんだなぁ!」
だがその夜。
源三の容体が急変した。
深夜二時。
ナースコール。
呼吸低下。
家族へ連絡。
施設内に緊張が走る。
真由美は震える手で記録を書いていた。
「……何度やっても慣れない」
看取り。
それは介護職に必ず訪れる瞬間だった。
ネクロは静かにベッド脇へ立った。
源三は苦しそうに呼吸している。
「怖いか」
問いかける。
源三はかすかに頷いた。
「そうか」
ネクロはゆっくりと手を握った。
本来、死霊術士の手は冷たい。
だが今は、不思議と温かかった。
「安心しろ」
「……」
「お前の人生は、ちゃんとここに残っている」
源三の視線が、窓の外へ向く。
夜明け前の空。
「……家、建てたんだ」
「ああ」
「娘がなぁ……そこで育って……」
「立派だ」
「孫がさ……」
言葉が途切れる。
呼吸が弱くなる。
そして。
静かに止まった。
部屋の中に沈黙が満ちた。
真由美は涙をこらえながら頭を下げた。
「田中さん……お疲れさまでした……」
その時だった。
ネクロの目に、淡い光が見えた。
魂。
源三の魂が、穏やかに浮かび上がっていた。
普通の人間には見えない。
だが死霊術士には見える。
源三の魂は、ネクロを見た。
そして。
深々と頭を下げた。
『ありがとうよ』
そのまま、光は消えた。
ネクロは長く沈黙した。
◇◇◇
それからだった。
老人ホーム内で奇妙な噂が流れ始めたのは。
「ネクロさんが夜勤の日、利用者さんが落ち着く」
「認知症の人が穏やかになる」
「夜中に叫ばなくなる」
理由は簡単だった。
ネクロは微弱な死霊術を使っていた。
魂の不安定化を抑え、恐怖を和らげる。
それは本来、死兵を暴走させないための技術だった。
だが老人たちには効果抜群だった。
「最近よく眠れるんですよ」
「悪夢を見なくなった」
「死んだ妻の夢を見たんだ」
利用者たちは笑顔になっていく。
一方で。
ネクロには別の問題が発生していた。
霊が集まるのである。
「狭い!押すな!」
「順番待て!」
深夜の休憩室。
そこには大量の幽霊がいた。
元利用者たちである。
「ネクロ先生!将棋の続き!」
「わしの入れ歯どこじゃ!」
「いや死んでるだろ貴様ら」
ネクロは頭を抱えた。
死者は普通、現世に長く留まれない。
だが『ひだまりの家』には居心地の良さがあった。
結果、幽霊老人クラブが形成されてしまったのである。
「お前たちは成仏しろ」
『やだ』
「即答するな」
『ここ飯うまいし』
「味覚あるのか?」
『雰囲気で食ってる』
最悪だった。
そんなある日。
真由美が倒れた。
過労だった。
「施設長!」
スタッフたちは慌てた。
病院へ搬送。
診断は重度疲労。
数週間の休養が必要だった。
だが施設は止まらない。
人手は不足。
経営状態も厳しい。
「もう閉鎖かなぁ……」
若い介護士が呟いた。
ネクロは黙って書類を見ていた。
赤字。
老朽化。
離職率。
どれも深刻だった。
「……なるほど」
彼は静かに立ち上がった。
「経営を立て直す」
「え?」
「死霊術士を舐めるな」
一か月後。
『ひだまりの家』は劇的に変化していた。
まず、掃除効率が向上した。
理由。
幽霊たちが自主的に掃除を始めたからである。
『暇だからな!』
「暇で掃除する幽霊初めて見たわ……」
さらに。
夜間転倒事故が激減。
幽霊老人たちが見守りを始めたからだ。
『トイレ行くなら呼べ!』
『そっちは段差あるぞ!』
結果、利用者の安心感が上昇。
口コミで評判が広がった。
「なんか、ここに来ると安心する」
「空気が穏やか」
「看取りが丁寧」
入居希望者が増え始める。
さらにネクロは、異世界知識まで活用した。
保存食技術。
薬草学。
衛生管理。
特にハーブティーが大人気になった。
「これ飲むと腰痛が軽い!」
「夜ぐっすり眠れる!」
実際には微量の魔力が含まれていた。
だが誰も気づかなかった。
しかし。
平穏は長く続かなかった。
ある夜。
施設に“異常”が現れた。
廊下の照明が点滅する。
冷気。
黒い霧。
そして。
巨大な影。
「……悪霊か」
ネクロは目を細めた。
この世界にも、まれに強い怨念は存在する。
特に病院や介護施設には集まりやすい。
影は呻いた。
『苦しい……苦しい……』
利用者たちが怯える。
スタッフも震えていた。
だがネクロは静かだった。
「下がっていろ」
彼はローブを翻した。
久しぶりに、本格的な死霊術を使う。
「《魂魄鎮静》」
青白い魔法陣が広がる。
悪霊が悲鳴を上げた。
『ァァァァアア!!』
だが。
ネクロは攻撃しなかった。
「何があった」
『……死ねなかった……』
「ほう」
『一人で……誰にも見つからず……』
孤独死。
ネクロは理解した。
老人だったのだ。
誰にも看取られず、苦しみ続けた。
「そうか」
ネクロは目を閉じた。
「ならば、ここで終われ」
静かな声。
その瞬間。
周囲にいた幽霊老人たちが前に出た。
『おう、新入り』
『一人は寂しいよなぁ』
『茶でも飲め』
悪霊は呆然としていた。
『……え?』
『細けぇことはいいから来い!』
霧が揺れる。
やがて黒い怨念は、ゆっくりと薄れていった。
最後に聞こえたのは。
『……ありがとう』
という小さな声だった。
数日後。
真由美が復帰した。
彼女は驚愕した。
「なにこれ……めちゃくちゃ経営改善してる……」
離職率低下。
利用者満足度向上。
紹介増加。
なぜか観葉植物まで元気。
「ネクロさん、何したの?」
「少し死霊術を」
「聞かなかったことにするね」
真由美は遠い目をした。
だが。
彼女は知っていた。
この施設が変わった理由を。
ネクロは、死を恐れていなかった。
だからこそ。
死に向き合う老人たちを、落ち着かせることができたのだ。
◇◇◇
春。
施設の庭に桜が咲いた。
車椅子の老人たちが並んで花を見る。
「今年も咲いたなぁ」
「きれいですねぇ」
ネクロは少し離れた場所から眺めていた。
その隣に、真由美が立つ。
「ネクロさん」
「なんだ」
「ここ、好きですか?」
彼は少し考えた。
魔王軍にいた頃。
彼は死を兵器として扱っていた。
だが今は違う。
ここでは。
死とは、人生の終わりを見届けることだった。
誰かが生きた証を、最後まで支えることだった。
「……悪くない」
「ふふ」
真由美は笑った。
その時。
『ネクロ先生ー!』
幽霊老人たちが手を振っていた。
「おい成仏しろ」
『やだ!』
「即答するな!」
利用者たちは何も見えていない。
だがなぜか、楽しそうに笑っていた。
春風が吹く。
桜が舞う。
死霊術士ネクロ・アルヴェインは、静かに目を細めた。
追放され。
世界を渡り。
ようやく見つけた居場所。
それは、死と隣り合わせの老人ホームだった。
◇◇◇
その夏、『ひだまりの家』に新しい入居者がやってきた。
名は九条蓮司。
八十六歳。
元大学教授。
車椅子生活ではあったが、頭は異様に切れていた。
「君が噂の黒ローブ介護士か」
「そう呼ばれている」
「死臭がするな」
ネクロの動きが止まった。
九条はニヤリと笑う。
「安心したまえ。私は昔、民俗学を研究していてね。欧州の降霊術や東洋呪術にも詳しい」
「……ほう」
「その気配。普通ではない」
ネクロは少しだけ警戒した。
この世界の人間に正体を見抜かれたのは初めてだった。
しかし九条はそれ以上追及しなかった。
「まあいい。人を害さないなら、私は興味深いと思うだけだ」
その日から。
九条とネクロは、夜中によく話すようになった。
「人はなぜ死を恐れると思う?」
ある夜、九条が尋ねた。
ネクロは答える。
「未知だからだ」
「半分正解だ」
九条は窓の外を見る。
「人は、“忘れられること”を恐れるんだよ」
「……」
「死そのものより、自分が消えることが怖い」
ネクロは黙った。
死霊術士として、彼は多くの魂を見てきた。
だが。
確かに死者の多くは、“未練”を持っていた。
家族。
夢。
後悔。
誰かに伝えたかった想い。
「だから介護は重要なんだ」
九条は続けた。
「老人ホームとは、ただ延命する場所ではない」
「ほう」
「人生の最後を、“人として終える場所”なんだよ」
その言葉は。
ネクロの胸に深く刺さった。
秋。
ひだまりの家では地域交流イベントが開かれることになった。
子供たちを招き、老人たちと交流する企画である。
「ネクロさん、飾り付けお願い!」
「了解した」
結果。
施設内が異様に豪華になった。
浮遊するランタン。
自動演奏する骸骨楽団。
空中を飛ぶ紙細工。
「ちょっと待って!?これどうなってるの!?」
「演出だが?」
「手品の範囲超えてるよ!?」
子供たちは大喜びだった。
「すげー!!」
「ハロウィンの魔法使いだ!」
老人たちも笑っていた。
普段は無表情な認知症利用者まで、目を輝かせていた。
その時。
一人の少女がネクロのローブを引っ張った。
「おにいさん」
「なんだ」
「おばあちゃん、最近あんまりしゃべらないの」
少女の祖母は、重度認知症だった。
言葉も少なく、反応も薄い。
ネクロは静かに老婆を見る。
そして。
そっと肩に触れた。
微弱な霊波。
記憶の深層へ、静かに触れる。
すると。
「……あきちゃん?」
老婆が呟いた。
少女の目が大きく開かれる。
「おばあちゃん!?」
「大きく……なったねぇ……」
少女は泣きながら抱きついた。
ほんの数分。
だが、確かに祖母は孫を認識していた。
その光景を見て。
真由美は静かに涙をぬぐった。
冬。
九条の体調が悪化した。
食事量低下。
呼吸不安定。
誰の目にも明らかだった。
終わりが近い。
「ネクロ君」
「なんだ」
「少し、外へ出ないか」
夜。
二人は施設の屋上へ出た。
東京の街明かりが広がっている。
「きれいだな」
「そうだな」
「私はね」
九条は空を見た。
「若い頃、自分は何か偉大な人間になると思っていた」
「……」
「だが実際は、論文を書いて、学生を教えて、老いて終わるだけだった」
「それの何が悪い」
九条は笑った。
「君は優しいな」
「事実を述べただけだ」
「いや、優しいよ」
しばらく沈黙が続く。
冬の風が吹く。
そして九条は静かに言った。
「死後の世界は、あると思うか?」
ネクロは答えに迷った。
彼は知っている。
魂は存在する。
だが。
それを軽々しく語るべきではない気がした。
「……あるかもしれん」
「はは。それなら少し安心だ」
九条は目を閉じた。
「私は、忘れられたくない」
「忘れられんさ」
「そうかね」
「お前は、ここに残る」
施設で交わした会話。
教えた知識。
笑った時間。
それらは人の中に残り続ける。
ネクロは、老人ホームでそれを知った。
三日後。
九条蓮司は静かに息を引き取った。
最後まで穏やかな顔だった。
ネクロはベッド脇に立つ。
魂が現れる。
九条は生前と同じように笑った。
『なるほど。本当にあるんだな』
「ああ」
『君は最後まで不思議な男だった』
「お前もな」
『……ありがとう』
魂は静かに夜空へ昇っていった。
今度は、引き留める幽霊老人はいなかった。
皆、黙って見送っていた。
『教授、達者でな』
『向こうでも講義するんじゃぞ』
『酒飲みすぎんなよー!』
九条は振り返り。
最後に笑って消えた。
その夜。
ネクロは一人、休憩室で缶コーヒーを飲んでいた。
異世界に来たばかりの頃を思い出す。
あの頃は。
ただ静かに暮らせればいいと思っていた。
誰とも関わらず。
戦わず。
死だけを見て生きるつもりだった。
だが今は違う。
ここには人がいる。
笑う老人。
泣く家族。
支える職員。
そして。
人生の最後を懸命に生きる者たち。
「……悪くない世界だ」
その時。
『ネクロ先生!』
幽霊老人たちがまた集まってきた。
『麻雀やるぞ!』
『今日は教授も来るってよ!』
「成仏しろと言っているだろうが」
『細けぇことは気にすんな!』
ネクロは深くため息をついた。
だが。
ほんの少しだけ笑っていた。
死霊術士ネクロ・アルヴェイン。
かつて死を兵器として扱った男は。
今では、人生の終わりを支える仕事をしている。
老人ホーム『ひだまりの家』。
そこは今日も。
生者と死者が、静かに笑い合う場所だった。




