1.囚われの魔王
世界を滅ぼすはずだった魔王は、いま、六畳一間でカップ焼きそばの湯切りに失敗していた。
「ぐぬぬぬ……!なぜじゃ!なぜ毎回こうなるのじゃ!」
銀髪ツインテールの少女――魔王ルシフェリアは、流し台の前で憤慨していた。黒いマントに紅い瞳、頭には小さな角。見た目だけなら完全にラスボスだ。
だが現実は、近所のスーパーで半額シールを狙う生活をしている。
「ワシは本来、万魔を統べる大魔王じゃぞ……!」
そのとき、玄関が開いた。
「ただいまー。あ、また焼きそば爆発してる」
帰ってきたのは、鹿見まどか。どこにでもいそうな高校二年生――に見えるが、実際は世界を何度も救った伝説級の魔法少女である。
「まどか!貴様の部屋の流し台は呪われておる!」
「ルシフェリアちゃんが雑なだけだよ」
まどかは苦笑しながら鞄を置いた。
三か月前、異界から侵攻してきた魔王軍は、まどかによって壊滅した。最終決戦の末、魔王ルシフェリアも敗北した……はずだった。
しかし、とどめを刺す直前、まどかはこう言ったのだ。
『行く場所がないなら、うち来る?』
結果、なぜか同居生活が始まった。
「今日は夕飯どうする?冷蔵庫、豆腐と卵しかないけど」
「むっ……ならばワシが暗黒煉獄料理を作ってやろう!」
「この前、台所が燃えかけたからダメ」
「理不尽!」
ルシフェリアは床を転がった。
かつて世界を震え上がらせた魔王とは思えない姿だった。
だが、まどかはそんな彼女を見て少し笑う。
「でも、最初よりずっと楽しそう」
「……なんじゃ急に」
「前はずっと怖い顔してたから」
ルシフェリアは黙った。
異界では、彼女は絶対の支配者だった。弱みを見せれば裏切られる。恐怖で部下を従わせ、力だけを信じてきた。
だから、こんな風に笑って食事をする生活など、知らなかった。
「……ワシは魔王じゃ。世界を支配するために生まれた存在じゃぞ」
「うん」
「なのに今は、スーパーのポイントカードを集めておる」
「この前、自分で“ポイント五倍デー最高!”って言ってたよ?」
「うるさい!」
まどかは声を立てて笑った。
その笑顔を見ていると、ルシフェリアは妙に落ち着かなかった。
強大な魔力でも、軍勢でも、この少女には勝てない気がする。
そのときだった。
窓ガラスが震えた。
空間が裂け、黒い霧が噴き出す。
「――魔王様ァァァ!!」
現れたのは、全身鎧の大男だった。魔王軍四天王の一人、ガルディオスである。
「おお、ガルディオス!」
「ご無事でしたか!さあ、我らと共に人間界侵略を再開しましょうぞ!」
ルシフェリアは一瞬、目を細めた。
かつてなら迷わず頷いていただろう。
だが、視線の先には、エプロン姿のまどかがいる。
「今日は麻婆豆腐にしようと思ってたのになあ」
のんびりした声。
その空気感が、妙に心地いい。
「……ガルディオス」
「はっ!」
「侵略は中止じゃ」
「……は?」
「人間界にはゲームセンターがある。コンビニスイーツもある。あと冬のこたつは強すぎる」
「ま、魔王様!?」
「それに……」
ルシフェリアは少しだけ頬を赤らめた。
「ここ、悪くないのじゃ」
ガルディオスは絶句した。
まどかは優しく笑う。
「じゃあ、ガルディオスさんもご飯食べてく?」
「え?」
「豆腐なら三人分あるし」
数分後。
世界征服を企んでいたはずの四天王は、ちゃぶ台の前で正座していた。
「いただきます」
「うむ」
「……いただきます」
湯気の立つ麻婆豆腐。
テレビではバラエティ番組。
窓の外には、穏やかな夕暮れ。
魔王ルシフェリアは、ふと思う。
世界を支配するより、こういう日常を守る方が、案外難しいのかもしれない、と。
まどかが笑う。
「ルシフェリアちゃん、またご飯粒ついてる」
「なっ!?ど、どこじゃ!」
「ここ」
指で頬をつつかれ、ルシフェリアは顔を真っ赤にした。
「まどかぁぁぁ!!」
少女たちの騒がしい声は、夕暮れの街に溶けていく。
世界は今日も平和だった。




