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Day Dreamer & Over Thinker 4

4.

予言の人たちかと会ってから数日がすぎたころ。

わたしが、夜に、テレビを見ていると、突然、そのニュースはやってきた。

「落盤事故……交通事故……死者が……」

 トンネルの落盤により、車が押しつぶされたり、そこに車がつっこんだりして、なかなかの大惨事になっているようだった。

わたしは、「予言」と呼ばれていた、あの人たちの行動を、思いおこしていた。

自己がこると言っていた。たしかにそう言っていた。

 わたしは、自分の部屋に行って、メモを引っ張り出す。

あの日、予言を聞いた日に、彼らの言っていたことを、メモにしたのである。

・落盤、交通事故

・無差別殺人、不幸な生い立ち、社会への復讐

・線路に飛び込み自殺、自分たちを救ってくれない社会に迷惑をかけるため、電車が一日中止まる

・高層ビルから集団飛び降り

・原子力発電所へのテロ

「これで、ひとつ、予言は成就したことになるんだろうな」

 わたしのアバターは、予言があたったということに対して、かなり動揺していた。

もしかしたら、他の予言もあたるのではないかと、おそれおののいていた。

 そのアバターを、わたしは、ただ見つめる。

ああ、こわがっているね、自分。

これが、自分を客観視することなのか、離人症の一歩手前なのか、よくわからないが、どちらでもわたしにはどうでもいいことだ。

どちらでもないとしても、それもまたどうでもいい。

大事なことは、この行為が、わたしにとって有効で有用で、そして意味を持つということだ。

仮想多重人格。何の問題もない。

わたしはメモを机にしまった。

これが予言であろうとなかろうと、わたしに今できることは何もない。

そう思って、ねむろうとした。

しかし、ふと思い直して、パソコンをたちあげて、インターネットに接続する。

「交通事故 落盤 予言」

 このようなキーワードで検索すると、思ったより多くのページがヒットした。

掲示板の書きこみや、ブログのエントリ。

ツイッター上の発言もあった。

どうやら、予言者たちは、かなり多くの人たちに、予言を伝えていたらしい。

予言のことについて、変な人たちが何かしゃべっていた、という報告が、インターネット上には、主に見受けられた。

しかし、ごく一部、今回の事故が予言の成就なのではないかという文章も出てきている。

ニュースを知って、すぐに検索をかけてこれなのだ。

明日には、この種の文書は、もっと拡散しているに違いない。

恐怖と興奮にいろどられた、予言が成就したのかもしれないという文章。

それを見ながら、わたしは考える。

メモした予言は五件。

ひとつあたっただけなら、偶然で十分説明がつく。

ふたつでも、まだ大丈夫。

しかし、それ以上になると……。

今、考えていてもしかたがない、とわたしはアバターに告げる。

今は、ただ、予言と事故があったという事実しかない。

まだ、何もむすびついていない。


無差別殺人が起こったのは、その次の日だった。

都市部で爆弾が爆発。

爆弾を持っていた犯人を含む数十人が死亡。

警察や、インターネットに、事前に予告をしていたらしい。

遺書も、部屋とネット上に置いてあったそうだ。

犯行動機は、社会への復讐。

犯人が、恵まれない立場にいたこと、少なくとも、恵まれない立場にいたと感じていたことが、報道された。

わたしは思う。

予言は確かに成就した。ように見える。

しかし、とわたしは手元にある、予言を記したメモを見て思う。

落盤事故による交通事故以外は、みんな人為的なものだ。

好意的に解釈すれば、あの予言を聞いた人が、その予言にインスピレーションを受けて、この事件を実行にうつした、とは考えられないだろうか。

昨日の事故で、予言のことを思い出し、日ごろの不満を現実へのプロテストに変える……いや、これは時間的に不可能か。

わたしはよく知らないが、たぶん爆弾は、昨日ニュースを見て、それにインスピレーションを受けてから作るには、手間がかかりすぎるのではないだろうか。犯人の身近に爆弾の材料があったなら別だが。

しかし、わたしはもうひとつの可能性についても考える。

さっきは、できるだけ好意的に考えた、予言がないと仮定した思考だったけれど。

悪意的に考えた場合の可能性。

インスピレーションなんかじゃない、明確な意志をもった悪意があったと仮定した場合の可能性。

そう、すべては、あの予言者集団がしくんだことだとしたら。

彼らは、いかれた宗教団体か何かで、落盤事故も、実は人為的に引き起こされtか、あるいは老朽化していることを知っていただれかがその事故を合図にすることを決めたとかで、今回の事件の犯人も、その信者あったとしたら。

予言を仮定しなくても、この説明でも、十分合理的な説明は成り立つ。

いや、しかし、それもまた、現時点では、妄想にすぎない。

これが真実かどうか見極めるには、データが足りなすぎる.

わたしは、またインターネットに接続する。

昨日の今日で、ネットは予言の話でもちきりらしい。

予言があたったのではないかという不安やおそれ。

いや、まさかという思いと、もしかしたら、という気持ちが、まざりあっているのが、手にとるようにわかるかのようだった。

落盤事故だけならまだしも。

殺人事件まであたるなら、それは本物なのではないか。

インターネットを見回すと、予言を聞いたことのない人もいて、そいういう人には、だれかが予言の内容を教えていた。

この件に関する、ウェブサイトも、有志の人がたちあげたらしい。

次の予言は、線路に連続飛び込み自殺。

しかし、こんなに予言がヒットしてしまったなら、そもそも、もともと電車にとびこもうと思っていた人たちが、強い確信をもって、飛び込んでしまうのではないか。

予言の自己成就。

昔、どこかの本で聞いた言葉を思い出す。

予言をしたという行為自体が、原因となって、その予言を的中させてしまう現象のことだ。

たとえば、ギリシア神話のオイディプス王。

生まれてくる子供が、父を殺し、母と交わるだろうという予言をされたので、父王は、赤ん坊のオイディプスを殺そうとするのだが、オイディプスは生き残り、自分の素性を知らないために、他人だと思い、実の父を殺し、母と結婚する羽目になる。オイディプスは絶望して、自分の目を切り裂いて、盲目になって旅に出る。

たしか、そんな話。

父王が、予言を信じずに、オイディプスを手元に置いて育てていたら、こんなことにはならなかったのではないだろうか。

予言信じて、それを避けるためにとった行動がもとで、この父王は市に、その息子であるオイディプスは、母を母と知らずに結婚することになったのではないか。

予言があったからこそ、予言通りの事態が起きたのではないか?

これが予言の自己成就だ。

予言自体が原因で、予言が的中する。

他にも、銀行の取り付け騒ぎが、これにあたるだろう。

あの銀行は危ないかもしれない。

このような、予想、うわさ、考え、これが信じられなかったら、まともに取り合う人が少なかったら、銀行は倒産なんてしない。

しかし、十分に多くの人が信じ、みんなが預金を引き出そうとすれば、実際には資金繰りに問題のなかった銀行も、倒産することになる。

このわたしの目の前で起きている予言現象も、一種の自己成就予言なのではないか。

もともと、こんな予言さえなかtったら、落盤事故は起こっただろうし、殺人もたぶん時期的に予言とは無関係だろうから、それも起こってしまっただろうけれど、それでも、自殺する人なんて、出やしないんじゃないだろうか。

この予言のせいで、もしかしたら、自殺に「踏み込む」人間が出てくるんじゃないのか。

わたしは、そこまで考えて、うすら寒いものを背中に感じた。

アバターが、それを感じているのを、わたしは観測する。

ただ、観測する。

感想は、ない。


翌日。きっと今日もだれともしゃべらないのだろう。

そう思いながら、学校へと歩く。

予言についてもりあがっているのに、だれとも話題を共有できないのではないか。

それは、意外と、さみしいことだった。

クラスの人たちとしゃべれなくても、さみしくなんてなかったのに。

きっと、それは、わたしに、「だれかに聞いてほしいこと」ができたからだろう。

無視されるのを覚悟で、だれかに話しかけてみようか。

アバターが考えているし、感じているのだから、たとえ無視されたとしても、大したダメージではない。

それは、「膜のむこう」の世界の話だ。

間接的な世界の話。

「わたし自身」とは、直接的に関係のない話。

通学路を歩いていくと、大通りからそれて、住宅街に入るときがくる。

ここは、通学時間だというのに、ひっそりとして、だれにお合わないことも多い場所だ。

わたしは、ここの、遠くから朝の活気が聞こえてくるのに、近くはしんとしずまりかえって、世界から切り取られてだれもいなくなっているかのような、この雰囲気が、とても好きだ。

右にまがろうとすると、声の壁に、「ここで待つなら友に会う」と書いてあった。

友に会う。

友だちは、学校にひとりもいないはずだが。

このような現象を、わたしは、しばらく前に、駅のほうで見た気がする。

世界は邪悪である。

そうだ、わたしがその言葉を見たときも、ちょうど同じようだった。

もう一度、よく見ようとすると、その文字は消えていた。

これは、幻覚なのだろうか。

わたしは、遅刻ぎりぎりまで、ここで待つことにする。


「あれ、犬神さん?」

 かべにもたれかかって休んでいると、犬神さんが通りかかった。

今は学校が別々だけれど、小学校のときは、同じクラスになったこともある。

「おお、ひさしぶり」

 別におどろいた様子もなく、にやりと笑う。

こういうとき、犬というより、オオカミだな、と思う。

「元気?」

「まあまあ」

「そっちは?

「まあまあ」

 そんな、たわいもないあいさつのあと、犬神さんはすぐに、その話題を振ってきた。

「そういえば、予言って知ってる?」

 わたしは、昨夜、考えたことを犬神さんに披露する。

「へえ、おもしろいことを考えるなあ。アタシは、そういうこと、全然考えなかったよ」

「じゃあ、犬神さんは、どういうことを考えたの?」

「うーん、やっぱり、命が一番大事だってことかな」

 犬神さんの両親は、多くの人を助けるために、自分の命をなげうって死んだと聞いたことがある。だから、命を大切に思うのだろうか。

「人を殺すのはよくないし、自殺もよくない。アタシにもっと力とか余裕とかがあれば、人をたくさん殺した例の殺人鬼も、人を殺さずに済んだんじゃないかな、なんて考えてた」

「そっか。でも、今まで会ったことなかった人なんでしょう。それなら、しかたないよ」

「そうかもしれないね。でも、やっぱりとても残念なんだよね。人を殺してほしくなかったなって思う。命はなにより一番大切だから」

「犬神さんは、優しいね」

 皮肉ではなく、心からそう思う。

わたしは、犬神さんのようには考えられない。

命が、なによりも一番大切だとは思えないのだ。

どうしても曲げたくない信念のためには、命もなげうったってかまわない人間でいたいし、おそいかかってくる人殺しには、躊躇なく返り討ちにして殺せるくらいの人間でありたい。

そして、たぶん、わたしは、気に入らない人間は、本当は全部死んで欲しいのだ。

そうすれば、幸せな世界になるのではないかと、なかば本気で信じている。

わたしは、全然、命を大切にしていない。

きっと、気に入らない人間が死んだとしても、きっと、なんとも思わないのだ。

もしかしたら、死んで欲しいんじゃなくて、死んでいようが生きていようが、どうでもいいのかもしれない。

こういう考えは、犬神さんの考えとは全然違っているだろう。

わたしは、この邪悪な世界に、あまり関心を持てない。

この世界が明日終わろうと、わりとどうでもいい。

その後、犬神さんは自分の学校へ、わたしはわたしの学校へ行った。

そして、学校から帰るころには、電車が都市部でとまっているというニュースが、学校中をかけめぐっていた。

たくさんの人が、飛びこみ自殺をしたらしい。

それも、連続して。

そして、合計すると、数十人死んだらしい。

電車は、完全に機能停止していた。

数十人。自殺。公共交通機関の機能停止。予言。

そう、また、予言は当たったのだ。

これが、自己成就なのかどうか、わたしには、よくわからなかった。

今までの日常が壊れて終わっていくのを見ながら、クラスメイトたちがおびえるのを見ながら、クラスで予言についての話が飛び交うのを見ながら、わたしは何も感じていなかった。

この邪悪な世界では、いつかこういうことが起こるような気が、どこかでしていたし、そもそも、この世界に関心を持たなかったためかもしれない。

結局、わたしは、あの合唱コンクールの一件以来、この世界に本気で、興味や関心が持てないのだ。

わたしに対する無理解。

そのせいで、わたしは、一歩引いた目線で、この世界を眺めるようになった。

アバターを作ったりして、一歩離れて、この世界を眺めている。

わたしを理解しない世界に存在意義なんてあるだろうか?

いや、ない。

わたしに、悲しみと孤独のみを与える世界に存在意義があるだろうか?

いや、ない。

そんな世界で、悲しい出来事が起こるとして、そしてそれが、この世界が邪悪であることの証左ならば、こんな世界に存在意義があるだろうか?

いや、ない。

そんな世界は、わたしと本当に、関係があるだろうか?

いや、ない。

本質的に、この世界は、わたしとは関係ない。

なぜなら、この世界が、わたしを理解しないからだ。

それは、わたしを世界から切り離すということだから。

だれにも理解されないわたしは、この世界から切断されている。

だから、何人この世界で死のうが、心のどこか、冷めて、醒めて、褪めて、冷めた部分が、冷静に見ている。

ただ、見ている。

特になんの感情も交えずに。

だって、この世界とは、つながっていないのだから。

死んだ人は知らない人だし、知っていたとしても、その人はわたしを理解していないのだから、わたしとは関係のない人だ。

わたしを理解しない人は、わたしをまともに扱っていない。

わたしを人として扱わないなら、わたしも彼らを人として扱うことはできない。

わたしの愛は、とてもそこまで伸ばせない。

犬神さんのような人なら違うのかもしれない。

しかし、わたしはできない。

わたしと、彼らとの間に、感じる断絶。

この断絶は、錯覚で、わたしの頭の中にだけあるものなのだろう。

しかし、この断絶を感じたそのときに、わたしはアバターを生み出したのだ。

より、わたしの感覚に近づけていうなら、この世界との断絶を感じた瞬間、アバターが生まれたのだ。

この世界は、よそよそしく、わたしとは、なんの関係もないように、強く、リアルに、感じられたそのとき、真なるわたしは、この世界を離れて、一歩離れた、ここではないどこかで、この世界を見るようになった。

ただ、見るだけ。

自分の心に起こりうるすべてと、自分の心が見たすべてを、ただ、見るだけだ。

感情を交えずに。

わたしは、これが不幸なことだとは思わない。

瞑想というのは、この境地に至り、それを持続させることだと、どこかで読んだことがある。

感情を交えない、ひたすらなる観察。

それが、瞑想であり、思考は害悪で、考えること、思うこと、感じることを、ただ何も評価せずに、ただ観察することで、瞋りや悲しみが消えていくのだそうだ。

わたしにも、瞋りや悲しみはない。

しかし、理想のお坊さんとは違って、慈悲の心も、ない。


電車が止まったその日の夜に、もうビルからの飛び降りは、はじまっていた。

集団飛び降り。

予言の通り。

もう、だれも予言を疑うものはいなかった。

次は、原子力発電所へのテロである。

自衛隊ができるだけ早く派遣されるのではないかという話も出ている。

ニュースも、予言の話を取り上げている。

インターネットも、その話題で持ち切りだ。

クラスでも話題になっていたから、家族でもこういう話をする人たちはいるのかもしれない。

わたしは、学校でのトラブルのあと、あまり親と口を聞いていない。

しかし、それでも、親が大丈夫かとかなんとか聞いてきたくらいだ。

きっと、異常事態なのだろう。

わたしにとっては、別に異常でもなんでもないのだけれど。

そう、わたしにとっては、ふつうなのだ。

ふつう。

だって、そうでしょう。

この世界には、悲しいことが多すぎる。

何も殺されるほど悪いことはしていないだろう人が殺される。

絶滅する必要なんてなかっただろう動物や植物が絶滅する。

だれが悪いわけでもないのに、地震や火事や台風や竜巻や、天災で人が死ぬ。

戦争、奴隷、強姦、差別、思想や宗教が違うことによるいさかい、内戦、紛争、環境汚染、持続不可能な経済体制。

未来は暗く思える。

そして、今現在も、邪悪な行いが続いている。

だれかの正義のために、だれかの命が犠牲になる。

だれかが正論を振りかざす旅、だれかが死ぬ。

だれもなにもしなくても、ふとしたはずみでだれか死ぬ。

人間じゃなくても、生き物は、理不尽に死ぬ。

これが邪悪な世界でなくてなんだというのか。

こんな邪悪な世界なら、こんなひどいことが起こっても、なんの不思議もないではないか。

落盤事故も当然ありえる。この邪悪な世界で、保守点検がうまくいっていないことはありえる。

無差別殺人も当然ありえる。この邪悪な世界で、ストレスやいやなことのために心が壊れておかしくなってしまって、それが他人への殺意へと向くということはありえる。

集団自殺も当然ありえる。この邪悪な世界で、ストレスやいやなことのために心が傷つき、病んでしまって、それが自分への殺意へと向くということはありえる。そうなった人たちが同じ痛みを持つ人たちとつながることもありえる。そして、そのつながった人たちの何人かが、みんなで一緒に死のうと思うこともありえる。

こんなに邪悪な、悲しい世界なのだから、そういうこともありえる。

そして最後に残った予言。原子力発電所へのテロ。これも、もちろん、ありえる。

しかし、どうして、こんな世界なのか。

もっと、幸せに、みんなが幸せになればいいじゃないか。

もし、この世界を創った創造主、神なる存在がいるなら、この欠陥世界を創った時点で、至高存在とは言えないだろう。

全知全能だろうと、最善でないなら、それは邪神と呼ぶべきだ。

もし、真なる神がいるとしたら、この世界を創ったものではなく、まったく別の存在だろう。

この世界とは関係ない、困っている存在を助けにくる、最善の神。

それこそが、真なる神だろう。

たとえ、その存在が最強でなくとも、わたしが神を信仰しなければならないとしたら、そういう神を信仰したい。

なぜなら、この世界を創った存在は、もしいるとしたら、わたしの救いにはならないからだ。

この世界を創ったことに対して、どう言い訳するのだろう。

わたしは許したくない。

神さまは、だれかを救ってくれるものだと思う。

世界の説明原理としては、科学が発達した現在、不十分すぎる。

神さまが説明するよりも、もっと筋の通った説明を、科学は世界に対してあたえてくれる。

しかし、科学は人に救済をあたえてはくれない。

だけれども、神もまた、わたしに救済をあたえてくれない。

永遠の天国と永遠の地獄。

これは救済ではない。

人間の集団から一部を選別して、苦しみをあたえ、一部を安楽な状態へと置く。

そんなことは、人間にだってできる。

永遠に行うことは無理かもしれないが、しょせんは人間の延長にすぎない。

神ならば、みんなを幸せにしてほしい。

それは、人間のできることの延長線上にはない。

完全に異質な、まさに奇跡と呼ぶべきものだろう。

みんなを幸せにする。

どうすればいいのか、わたしには想像もつかない。

最終的に、みんなが救われなければ、救済ではない。

神が提示する世界観が、つらくて苦しいものであれば、それは、この邪悪な世界と変わらない。

結局、どちらも、わたしを救わない。

そんな神なら、必要ない。

この世界が必要ないのと同じように、そんな神なら必要ない。

わたしに救済を与えない神は、存在意義があるだろうか?

いや、ない。

それはただの暴力にすぎない。

この邪悪な世界と同じように、ただの暴力に過ぎない。

この世界が、いやなことで満ち溢れているように。

人を選別し、だれかを永遠の地獄に送り込むような存在は、いやな存在だ。

それは全然、救いにならない。

そういう存在は、好きになれない。

尊敬できない。

親しみもわかない。

つながりたくもない。

それは、この世界と同じように、よそよそしく、暴力的で、邪悪だ。

もし、存在するとしたらの話だが。


原子力発電所のテロは、夜中に起こったらしい。

家族みんなで、テレビの中継を見ていた。

複数のテロが起こったらしい。

いくつかは防がれ、いくつかは防ぐことができなかった。

そして、もうすぐ、原子力発電所が爆発するそうだ。

日本は、終わるだろう。

それも、また、落ち着いて、わたしは観察していた。

しかし、予言によれば、神があらわれるらしい。

なにかの比ゆだろうか。

もうすぐ、爆発の時間だ。

わたしたちは、家族みんなで手をつなぐ。

わたしたち家族は、仲直りした。

親がわたしに謝ってきた。

わたしも、別にいいよと言った。

わたしも、ごめんと言った。

親は、別にいいよと言った。

シンプルな許しの時間。

死ぬ前くらい、仲良く死にたいじゃないか。

だから、わたしは満足だった。

時計の針が、爆破時間になる。

テレビの中継。

テレビの画面が、光につつまれた。

そして、おごそかな声が聞こえる。

「創造主が降臨した。わたしが、神である」


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