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Day Dreamer & Over Thinker 2

2.

 世界の根幹をなすのは、統一理論否定原理だということを、わたしは確信している。

 統一理論否定原理とは、世界を説明する完全に筋道だった理論(これをわたしは統一理論とよぶのだが)があると、必ずそれを否定する何かがでてくるというものである。

 言いかえると、わたしたちは、なにかを完全に説明しきることはできないという考えのことだ。

 そのように、世界を説明する方法には限界があるとわたしは思っているのだが、それでもあえて、この世界がどのようなところであるかについて、わたしの考えを述べたい。

 この世界には、悲しいことが多すぎる。

 筋の通っていないことや、理屈にあわないことが多すぎる。

 よって、この世界は不完全である。

 よりよいものとなり、完成するために、世界は更新されるだろう。

 この予定のことを、楽園計画とよぶ。

 世界の更新のあかつきには、すべての生けとし生けるものが救われるだろう。

 永遠の地獄は存在しない。

 これが、万物救済思想である。


以上の、わたしの思索が、クラスメイトたちに宣べ伝えられたのが、だいたい一週間ほど前のことであった。

クラスでの日誌、のようなものに、わたしの考えを書かねばならないという「天からのお告げ」を受け取ったわたしは、即座にそれを実行した。

だが、実際のところ、わたしの考えを理解できるものはなく、非常に残念なことだが、わたしは遠巻きに眺められている、というありさまである。

いや、だが、実は、わたしとこのクラスの多数派との乖離は、今にはじまったことではなかった。

 そもそも、わたしは、このクラスに入ったころは、今ほど「逸脱」していなかった。

もちろん、この逸脱というのは、一種の言葉遊びとしていうのであって、真に逸脱しているのが、クラスの多数派の連中であることは明らかだ。正義はわたしのほうにある。

きっかけは、合唱コンクールだった。

わたしは、多数決により、指揮者に指名された。

それはよくある、わたしたちはあまり指揮者なんかやりたくないし、という気持ちの無意識的な集合が、責任感のありそうなドクダミ坂きれいを、つまりこのわたしを選んだだけのことだったのだが、最大の不幸は、わたしに音楽的才能が与えられていなかったということだ。

そのころは、悲しいことに、わたしはまだ、世の中の「常識」(つまりわたしの妄想の産物)に従っていたために、つらいながらも、懸命に練習していた。

おろかなあるクラスメイトは、下手なドクダミ坂さんにつきあってあげている人がいるなんて感謝しなくっちゃだめだよ、と言い、またあるクラスメイトは、こんなに下手だとは思わなかったよ、と絶望の溜息をもらした。

選んだ人間は勝手なものだ、と思いながらも、がんばって、我慢して耐えていたのだが、ついにある日、ぷつりと、わたしの中でなにかがどうにかなる音がした。

つまり、それが「解放」であり、「個人的次元上昇」であった。

わたしは、とてもつらいので指揮者をやめる、と言った。

みんなはショックを受けた様子で、そんなのは無責任だとか、もうあと二日なんだからがんばろうとか、そんなことを言った。

 だから、わたしは、彼らに伝えた。

「もしあなたたちが本当の友達なら、つらいと言っている人を放っておくはずがない。わたしはつらいから助けて、と言っている」

 すると、理解がありますよという笑顔を浮かべながら、あるクラスメイトが、

「それは正論かもしれないが、自分が言うことじゃないんじゃないか。自分の仕事は果たすべきだよ」

 自分こそ正論を言っているのではないかと思ったが、そのことは言わずに、

「だれもわたしを助けてくれないから、自分で自分を助けるしかない。それに、みんなに助けてほしいと言っている、つらいと言っている。あなたたちは、何をわたしにしてくれる?」

 沈黙。

何もしないということだった。

結局、わたしは指揮者をしないことにした。

そのあと、クラスは妙な空気になり、優勝は確実か、と言われていたクラスであったのに、優勝を取り逃がした。

いや、本当に優勝できるかどうかわからなかったのだから、取り逃がしたという言い方はおかしい。

さらにおかしいのは、クラスメイトに多大な負担をかけていたのに、その負担を我慢できなかったやつがわがままなのだという理論を振りかざすクラスメイトたちであった。

しかし、愚者は道理をわきまえないので、自分なりに理を尽くして道を説いたのだが、結局クラスメイトたちはわたしの言うことを理解しなかった。

彼らには、自分たちが、だれかを追い詰めていても、追い詰められた結果、与えられた仕事を放棄したら、それが悪いと思っているらしい。

実に狂った考え方だ。

しかし、彼らは愚かなので、このような考え方が身についてしまっているのである。

さながら、中世の天動説を信じるものたちのように、道理をわきまえていない。

 さらに道理をわきまえないことに、彼らの一部は、わたしをいじめはじめた。

先生にも言ったのだが、うまく効果があがらなかったので、次に警察に相談した。しかし、それも効果があがらなかったので、暴言を録音して、個人情報とともにネットで公開することにした。

 これは効いた。

教室で泣きわめきながらつかみかかってくる女の子を、わたしは冷静な目で見ていた。

なぜ、何度もやめるように言ったのに、やめなかったのか。

先生にも言ったし、警察にも言った。

そのことはすでに伝えてあるはずだが、やめなかった。

これは妥当な手段だと思うが、どうか?

すでにとった方法では効果があがらないことがわかったのだし、いじめは悪いことなのだから、こういうことをしても、自業自得だと思うが?

今までに、何度もやめるよう言ってきたはずだし、そうしようと思えばできたはずだ。

わたしの冷静な論理に、彼女は泣きわめくことしかできなかった。

彼女は、学校に出てこなくなった。

親と先生はわたしに謝るように言ったが、わたしはがんとして拒絶した。

なぜなら、正義はわたしにあるのであり、さらに、わたしが困っているときに助けなかった先生の言うことなど聞くに値しないからである。

理性を失った親がわたしをなぐったが、寝ているすきに、わたしも親をなぐりかえした。ついでに蹴りもお見舞いした。

昔のわたしなら、こんなことはできなかっただろう。

しかし、あのとき、わたしの中でなにかがどうにかなったとき、頭の中でぷつりと音がしたとき、わたしは確かに、真理を得たのだ。

精神の段階が、違うフェイズに移行したのである。

わたしは、いつも動いている自分の心を、アバター、と呼んでいる。

これは、昔のわたしと似ているようでいて、非なる存在である。

真なるわたしは、アバターを動かしている意識であり、アバターの後ろにいる。

この真なるわたしは、わたしの精神活動を観察し、適切な判断を下す。

怒ったり、喜んだりするのは、アバターの仕事であり、それを真なるわたしは観察する。

観察すると、感情は持続することができない。

よって、わたしは、アバターに怒らせ、その怒りを真なるわたしが観察することで、冷静な一手を放つことができる。

これにより、外部の影響に惑わされることなく、真理にしたがって行動する道が開かれることになった。

わたしはこの技法を、仮想多重人格、と名付けている。

ともかく、この一件があってから、クラスメイトたちは、こいつにかかわったらやばい、何をされるかわからない恐怖がある、こいつには常識が通用しない、と思ったようで、彼らとわたしとの間には、溝ができた。

しかし、一言言わせてもらえれば、常識という名前の、彼らの倫理体系かつ行動様式が通じないだけで、わたしにはわたしの倫理体系と行動様式があるので、それを理解すれば、別に問題はないのである。彼らが、わたしの倫理体系と行動様式を理解しようとしないだけで。

わたしは、攻撃してこないかぎりこちらも何もしないと伝えてあるし、その攻撃というのは、いじめなどのことだと言ってある。

よって、理解はある程度なされたものだと思っている。

しかし、彼らは、攻撃しないということを、できるかぎり離れたところから一緒に生活するという意味に解釈したらしい。

わたしに話しかける人間は、ひとりもいない。

しかし、わたしの定義によれば、これは攻撃ではないし、今のわたしにとっては、苦痛でもない。

昔のわたしだったら、どうかわからない。苦痛に感じていたかもしれない。しかし、そんなことは考える必要もないことだ。

ただ、理解されないというそのことだけは、悲しいと表現してもいい気持ちであった。

さらに、自分が理解されないだけではなく、わたしの書いたノートの内容も、理解されなかったのではないか、と暫定的に結論を出した。

もし、だれか理解したものがいたとするなら、なんらかの形でアクションまたはコンタクトをとってくるはずだからだ。

だれかに理解されないのは、しかし、悲しいけれど、やむをえない。

自分さえ、思い通りに動かせないときがあるというのに、他人を思い通りに動かそうとは、笑止千万である。

他人の理解力に期待するより、自分の伝達能力をあげるほうが、よりよいだろう。

とはいえ、他人の理解力がないせいで、傷ついている人たちのことを考えると、自分の伝達力を上げることを優先すべきという考えが完全無欠の正論だとは、とても思えないのであるが。結局それは、一方に負担を押し付ける議論なのだから。

そのようなことを考えながら歩いていた帰り道。

わたしは、その存在に出会った。

掲示板。

駅の掲示板、のさらに下。

たまたま目にしたところに、文字。


世界は、更新される。


電流が走った。

これだ。

これが、わたしが求めているものだ。

アバターを通して、真なるわたし、内なるわたしにも、その感動が伝わる。

わたしと、同じことを考えている人間がいた。

いや、人間かどうかはわからないのだ。もしかしたら、ある種の高位存在かもしれない。

もう一度、そこに目を向けると、さきほどあった文字が消えて、新しい文字がおどっていた。

そのことを、不思議には思わない。

これは、チャネリングなのだ。


この世界は終わらせるべきだ。世界を更新しなくてはならない。


おお。

天をあおぐ。

青い空が見える。

不思議なことが自分にも起こればいいと考えたことはない?

わたしはある。真理に目覚める前にも、ずっとそのようなことを思っていた。

今が、そのときだ。

ついに来たのだ。

この展開は、漫画やアニメや小説で知っている。わたしは、選ばれたのだ。

主人公に。

めずらしく、アバターだけでなく、真なるわたしも感動で震えているので、アタラクシアすなわち心の平安にいたるために、三秒ほど瞑目する。

再び目をあけ、みたび、先ほどの場所に目をやると、まったく新しい文字が見えた。


神は邪悪である。すなわち、この世界の創造主は、邪悪である。


理解した。

この世の中には、悲しみが多すぎると思っていたのだ。

もし、この世界を作った存在がいたとするなら、まことに、それは邪悪あるいは不完全であるに違いない。

そうでなければ、この世界の悲劇性の説明がつかないからだ。

そのとき、ふいに、声が聞こえた。

「わたしたちは、創造主のしもべです」

 拡声器を使って、駅のほうで演説のようなものをしているらしい。

大勢の人は、かかわってはいけない危険なものを見るような目で、ちらりと彼らを見たあと、ひたすらに目を合わせないように足早に歩いていく。

わたしは、対照的に、創造主のしもべなる人たちをじっと見る。

彼らが、自分たちの想像した創造主を信仰しているならば、それはまったくわたしには関係のない話なのだが、もし、本当にこの世界を作った存在がいるとして、その存在とコンタクトをとれる集団が彼らであるなら、彼らはすなわち、わたしとは目的を異にするものたちだということになるだろう。

なぜなら、創造主が邪悪であり、わたしはこの世界を終わらせ、更新しなくてはならないからだ。

目的を異にする、ならまだしも、最悪の場合、敵同士としてぶつからざるを得ないかもしれない。

こちらから攻撃するつもりは毛頭ないが、ガンジーよろしく非暴力非服従でいくつもりもさらさらない。

日本人だからというわけではないが、専守防衛が、暴力に対するわたしのモットーである。

やられないならなにもしないが、やられたらやりかえす。

彼らは、わたしの視線には、全然気づかぬようで、あさっての方向をむいて演説していた。

「予言をします、みなさん」

 その言葉で、群衆の動きが微妙に変わったのがわかった。

何人かは、一瞬、足さえ止めた。

「これから、災いが起こるでしょう。まず、明日、大きな交通事故が起きます。落盤事故が原因です。さらに、続けて、不幸な生い立ちを持った人たちが、社会に復讐するため、無差別殺人を行うでしょう。それほど大胆になれないものも、自分たちを救ってくれなかった社会に精いっぱいの迷惑をかけるため、線路に飛び込み、列車が一日中動かなくなる日が来ます。集団での、高層ビルからの飛び降り自殺も起きるでしょう。そして極めつけは、絶望した人間たちによる、原子力発電所へのテロです。もうだれにも、原子力発電所が壊され、放射性物質がまき散らされることが止められないとなったとき、神が、すなわち、この世界の創造主が、降臨されるでしょう。それにより、この世界の人々は、真なる信仰を持つものと、それに反抗するものに分かれることになります。そして、もちろん、最終的な勝利を手にするのは、真なる信仰、その創造主への信仰を持つものなのです」

 やけに具体的な予言だ。

まさか、自分たちで予言を実行しようというのではあるまいな。

その、大多数の人の感性からすると、あっけにとられるというか、度胆をぬかれるような予言のせいで、何人かの人間は、足を止めている。

これは、きっと彼らにとっては、成功なのだろう。

その予言が終わると、彼らはそそくさと立ち去っていった。

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