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我々は、必ずしも、自分自身を本当に、そして十分に憎んでいるのだろうか?


自己嫌悪という、しばしば誤解されがちな概念は……!!


人々が欲しがり、しかもあっさりと手に入れているものを、自分だけが持っていないこと。


誰からも望まれないこと。


その他にも、人がとっくに満たしているように見える理由。あるいは、我々が羨むに足る理由。


その欲望をどうにか納得させるために、我々はしばしば、他人が当然のように掌の上に乗せているそれらの理由そのものを憎む。


だが、多くの者が理解していない点がある。


我々はすでに、それらの理由を内包している。


我々は、その理由とまったく同じものなのだ。


満たされることでも、成し遂げることでも、あるいはそれを「達成」と呼んで自分を誤魔化すことでもない。


望んだ時点で、もう十分なのだ。


そして、望んだにもかかわらず手に入らなかった時、人は少しばかり自分を憎む。


いや、そこは私が個人的に訂正しておこう。


羨む者は、必ず自分自身を羨むのだ!


以上!


そもそも私には、どうして人々が、すでに自分の中で成し遂げているはずの反映を、わざわざ憎み続けるのか、まったくもって一片たりとも理解できない。


ここで言う「成し遂げている」とは、その反映を、ただ「自分もそうなれたかもしれないもの」として思い描いた時点で、すでに成立しているという意味だ。


そして人は、その反映を不必要に嫌悪する。


それは、その反映が向こう側にあるからか?


届かないからか?


触れられないからか?


そこへ渡れないからか?


それとも、そもそも自分が最初から向こう側にいないという事実そのものが、耐えがたいからか?


逆にも言える。


向こう側が悪しきものだからか?


そこへ届きたくないからか?


触れたくないからか?


渡りたくないからか?


それともやはり、最初から自分が向こう側にいないという事実そのものが、耐えがたいからか?


自己嫌悪という概念が、最も熟し切り、最も純粋な形に到達した時……!!


それは、両側を憎むということだ。


別に、珍しい話でもない。


結局のところ、我々は毎日のように、無意識のうちに人類そのものを憎んでいるのだから。


羨む側も、羨まれる側も。


もちろん、そこには君も、私も含まれている。


まあ、そんなところだ!


ムハハハハ!!!


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