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婚約破棄された悪役令嬢は、白銀の大公に最愛を捧げられる  作者: ごゅみ
第一部 婚約破棄

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第十七話 デビュタントを終えて①

広間へ戻ると、音楽は控えの間へ向かう前よりも少し軽やかになっていた。


王妃の部屋で聞いた言葉は、胸の奥にまだ静かに残っている。神殿推薦の聖女候補、王太子の善意、手順と記録、そして、今夜はあなたのデビュタントでもあります、という王妃の声。全部を警戒の目で見ていては、春の夜があなたのものにならないわ、と言われたとき、エレオノーラは返事をした。その返事は礼儀として整えたものだったけれど、広間の扉が開き、燭台の光と花の香りと人々の笑い声がもう一度自分へ流れてきた瞬間、その言葉をただ受け取ったふりで終わらせてはいけないのだと分かった。


侍従が扉を閉じる音は、広間の音にすぐ紛れた。楽師たちは次の曲の終わりへ向かっていて、若い令嬢の淡いドレスが中央でゆるやかに回っている。白、薄い青、薔薇色、銀糸を含んだ淡金。鏡に映る光の中で、笑い声も衣擦れも明るいものとして重なっていた。エレオノーラは、控えの間で重くなった息をそのまま持ち込まないように、扇を持つ手を整えた。今夜の広間は、警戒だけで見る場所ではない。父と祖母に送り出され、王妃に認められ、母の真珠を胸に置いて立った、自分の御披露目の場でもある。


そう思って顔を上げたとき、明るい声が人の間を縫うように近づいてきた。


「エレオノーラ様」


ベアトリス・クラインは、淡い桃色のドレスの裾を小さく揺らして近づいてきた。栗色の髪は以前よりも大人びた形に巻かれ、首元には控えめな真珠が並んでいる。去年すでに社交界へ出た彼女は、今夜の白い列に並ぶ令嬢ではなく、少し先にこの広間の明るさへ足を踏み入れた同年代の令嬢として、自然に人の目を受け流す仕草を身につけていた。それでも、エレオノーラを見つけたときの目の輝きには、幼いころから変わらない勢いが少し残っている。


その半歩後ろから、クラリッサ・エルヴェールが静かに礼をとった。薄い灰緑のドレスは派手ではないが、袖口の刺繍が近くで見ると細かく、蜂蜜色の髪をきちんと結い上げた姿に、彼女らしい端正さがあった。ベアトリスのように声を弾ませることはしないが、灰緑の瞳はまっすぐエレオノーラを見ている。


「ごきげんよう、ベアトリス様、クラリッサ様」


エレオノーラが礼を返すと、ベアトリスは扇を胸元で合わせたまま、声を少し落とした。けれど、その落とし方は秘密めいたものではなく、広間の礼儀を守りながらも喜びを抑えきれない人のものだった。


「ごきげんよう。今夜のあなたをきちんとお祝いしないまま帰してしまったら、きっと明日の朝まで後悔してしまうと思っていたの。王妃陛下にお呼ばれになっていたでしょう。戻られるのを待っていたのよ」


「待っていてくださったのですか?」


「もちろんよ。去年、自分がこの広間に立ったときには、足元ばかり気にして、誰がどんな顔で見てくれていたのか、あとから半分も思い出せなかったの。だから今夜は、あなたが誰かからお祝いを受け取るところまで、ちゃんと見届けるつもりだったのよ」


ベアトリスはそう言って笑った。明るく、少し得意げで、けれどその言葉の端には、自分も同じ緊張を通った者としての親しさがあった。エレオノーラは、王妃の言葉を思い出す。祝いの言葉を素直に受け取りなさい。全部を警戒の目で見ていては、春の夜があなたのものにならないわ。目の前のベアトリスは、何かを探るために来たのではない。ただ祝うために来てくれている。


エレオノーラは、すぐに整った返礼だけを返しそうになる自分を、ほんの少しだけ留めた。


「ありがとうございます。そう言っていただけると、今夜ここに立てたことが、少しずつ自分のものになっていくような気がいたします」


ベアトリスは目を丸くし、それから嬉しそうに笑った。


「まあ、そんなふうに言われたら、私まで今夜のことを覚えておきたくなるわ。ねえ、クラリッサ様もそう思わない?」


クラリッサは控えめに頷き、エレオノーラへ視線を戻した。


「私も、お祝いを申し上げたかったのです。王太子殿下との最初の一曲も、北方大公閣下との一曲も、どちらも違う美しさがございました。けれど、私がいちばん印象に残っておりますのは、最初に王妃陛下へ礼をとられたときです。裾の揺れが止まる前に、胸元の真珠だけがほんの少し遅れて光を返していて、あれは、支度をされた方もきっと満足なさっただろうと思いました」


祖母が最後に真珠の位置を直してくれたときの指先が、エレオノーラの記憶に戻った。髪飾りでも、ドレスの裾でもなく、真珠が呼吸の邪魔をしない場所にあるかを確かめる目。王宮の光の下でどう見えるか、令嬢や夫人の視線がどこに落ちるか、母の形見を飾りではなく、エレオノーラの一部として置くための手。クラリッサが見ていたのは、ただ美しい真珠ではなかった。その位置を選んだ人の目まで届くような、静かな観察だった。


「お祖母様に伝えます。きっと、表情はあまり変えないと思いますけれど、よく見ていた方がいると知れば、喜ぶと思います」


「アデライード様に直接申し上げる勇気は、今夜の私にはまだございませんので、エレオノーラ様からお伝えいただけると助かります」


クラリッサがそう言うと、ベアトリスが小さく吹き出しそうになり、扇で口元を隠した。


「分かるわ。アデライード様に褒め言葉を申し上げるには、こちらの姿勢まで審査されそうですもの。もちろん、本当に審査なさるわけではないのだけれど、あの方の前に立つと、背筋が勝手に伸びるのよ」


「お祖母様は、何も言わずに背筋を伸ばさせることが得意です」


エレオノーラがそう返すと、ベアトリスは今度こそ笑みを深くした。クラリッサも、ほんの少しだけ口元をやわらげる。王妃の控えの間で受け取った重さは消えていない。けれど、今、同年代の令嬢たちと祖母の話をしているこの明るさは、重さを裏切るものではなかった。むしろ、重いものばかりを見つめていたら取り落としてしまう、今夜の大切な部分だった。


ベアトリスは、少し身を寄せるようにして声を低くした。


「それにしても、北方大公閣下と踊られたとき、広間の空気が少し変わりましたわ。怖いというのではないのよ。ただ、皆が一度、話す言葉を選び直したような感じがしたの」


エレオノーラは、ヴィクトルの白銀の髪が広間の光を受けても金にならなかったことを思い出した。彼の手が無理に導かず、ただ足元の位置を教えるように支えていたこと。見られているまま、少し息を戻せばいいと言われたこと。胸の奥に触れそうになる前に、エレオノーラは扇の骨へ指を添え直した。


「北方大公閣下は、どの場でも、ご自身の立つ場所を乱されない方なのだと思います」


「そういう言い方が、もうエレオノーラ様らしいわ。私なら、もっと簡単に、あの方が入ってくると広間の温度が変わる、と言ってしまうもの」


「ベアトリス様の言い方も、よく分かります」


「でしょう?」


ベアトリスは満足そうに頷いた。クラリッサは二人を見比べながら、予定表を持っていない今夜でも何かを記憶に留めるような目をしていた。


「エレオノーラ様、今夜はこのあとまだ多くの方がご挨拶にいらっしゃるでしょうけれど、無理をなさらないでくださいませ。去年の私も、あとから考えると、最後のほうは誰に何を言われたのか分からなくなっておりました」


「クラリッサ様でも?」


ベアトリスが意外そうに言うと、クラリッサは少しだけ眉を下げた。


「私でも、です。緊張していないつもりで、同じ返礼を三度続けてしまい、母に袖を引かれました」


「それは聞いたことがなかったわ」


「言いふらすほどのことではございませんので」


「では今、私が聞けたのは特別ね」


ベアトリスの声が弾み、クラリッサが困ったように目を伏せる。エレオノーラは、その二人のやり取りを見て、胸の内側が少し温かくなるのを感じた。学院の講堂で席次の変更を告げてくれたクラリッサも、周囲の目を測りながら近づいてきたベアトリスも、社交の中でそれぞれの立ち方を覚えながら、こうして今夜は自分を祝いに来てくれている。エレオノーラは、そのことを王宮の言葉や手順に変えず、ただ受け取ってよいのだと思った。


「お二人にそう言っていただけて、助かりました。今夜のことを、緊張だけで終わらせずに済みそうです」


「終わらせてはだめよ。だって、今夜のあなたは本当に綺麗だったもの。王太子殿下の隣に立つときも、北方大公閣下と踊るときも、どちらも違って見えたわ。私、明日の茶会で聞かれたら、見たままを話してしまうと思う」


「ベアトリス様、話す相手は選んでくださいませ」


クラリッサが静かに差し挟むと、ベアトリスは少しだけ肩をすくめた。


「分かっているわ。去年よりは、私も少し成長したのよ」


「そのお言葉を、明日も覚えていてくだされば安心です」


「クラリッサ様は時々、私の母より厳しいことをおっしゃるわね」


二人の声は明るく、けれど広間の礼儀を外れるほど大きくはない。エレオノーラは、笑いすぎないように口元を整えながらも、頬が自然に動くのを止めなかった。王妃に言われた通り、祝いの言葉を素直に受け取るというのは、ただ頷くことではないのかもしれない。相手が自分のために差し出してくれた明るさを、疑いや役目で覆いすぎず、その場に少しだけ置いておくことなのだと思った。


そのとき、少し離れたところで、オルドリックの視線がこちらへ届いた。広間の灯りの中でも、父の立ち姿は少しも乱れない。黒に近い深い色の礼服、抑えた銀の飾り、冷ややかに見えるほど整った横顔。そのそばにはアデライードがいて、濃い色のドレスに銀灰の髪を高く結い、扇を手にした姿は、夜の広間の中でも凛としていた。父は声を張ることなく、ただわずかに顎を引いた。帰宅の頃合いだという合図だった。


エレオノーラはそれを受け、ベアトリスとクラリッサへ向き直った。


「父から合図がありましたので、そろそろ失礼いたします。今夜、お二人にお会いできて本当に嬉しゅうございました」


「こちらこそ。ああ、もう帰ってしまわれるのね。けれど、今日は長い夜でしたもの。ゆっくり休んでくださいませ。明日以降、また学院でお話しできるでしょう?」


「はい。学院で」


クラリッサも礼をとった。


「今夜の御披露目、あらためてお祝い申し上げます。お帰りの道中も、どうぞお気をつけて」


「ありがとうございます。クラリッサ様も、ベアトリス様も、よい夜を」

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