弐
葬儀を終えて、鎌倉の足利屋敷には束の間の静けさが訪れた。
「こんなことしてていいのかって顔してるな」
高国が屋敷の縁側で庭を眺めていると、高氏がやってきた。手には何かの木の実を持っている。
「食うか?」
袋に入った木の実を掲げると、じゃら、と音を出す。
「……はい」
木の実を見ると未だに思い出す。それを頭の隅に追いやってから、高国は傍らの湯飲みに茶を注いだ。
「冷めていますね。取り替えましょうか」
思ったより長く縁側にいたらしい。
「いいよ。まだ暑い」
そう言って、高氏は高国の横に座った。
ほら、と差し出された木の実は、栗の実だった。既に炒ってあって、香ばしい香りを放っている。高国はそれを受け取って、皮を剥いだ。
「忙しくしないと落ち着かないか?」
「そういう訳では……」
急に手が空いて気が抜けたのは確かだった。
「ま、今は喪中だからな」
これから忙しくなる——高氏はそう言っていたのに、喪中だからと宣言し様々な業務を止めた。そのため屋敷も人の出入りが減り、いつもより閑散としている。
ここ数日は、戦の影響で、普段の領地運営に加えて、鎌倉幕府から担う役割と軍務にも追われていた。
本当に寝る暇もない程忙しかった。それらをすべて一旦止めたのだから、緩急の差が激しい。家臣らに任せっきりになっているから、色々と困る人が出てくるのではないかと思うものの、高氏が宣言した以上従うしかなかった。
高国はちらりと高氏の顔を見た。
葬儀の時から今まで、兄の態度は沈黙を守り、一貫していた。幕府の重臣としての立場を守って出陣までした高氏を疑うものなどいないだろう。しかし、高国は確信していた。
言われずとも、一番近くにいるのだから、兄が何を考えているのか、何となくわかる。
父が死んだことにより、この喪が明けらた兄は動き出すつもりなのだろうか。
「——そんな顔すんなよ」
高氏が笑った。
「決めたら、真っ先にお前に言うさ」
「……はい」
「私も、自分で思うより優柔不断だったみたいだ」
「……………」
決めかねているのだろう。——そう簡単に決められることでもない。
鎌倉は今、荒れに荒れている。
後醍醐天皇が京の六波羅探題の監視の目を潜り抜け挙兵したのが、夏。
すぐに鎮静されると思われていたこの反乱が、思いのほか長引いた。
六波羅探題を担当しているのは、派遣されたばかりの北条仲時。代替わりの時期を狙ったのだとしたら、かなり前から計画していたのだろうし、鎌倉内部にも内通者がいるのだろう。平和に慣れた仲時はまんまと後醍醐天皇の策略にかかり、はじめは見当違いの比叡山を攻撃した。
そもそも、今の六波羅探題には挙兵した軍団を抑え込むほどの兵力はない。——いや、あるいは、北条仲時に余程の知略があれば話は変わったのだろうが。
計略にかかり、もぬけの殻の比叡山を見た瞬間、士気は下がるところまで下がっていた。
6月に謀反の兆しは確かに鎌倉幕府に伝えられており、挙兵は8月。一体2カ月も何をしたいたのかと高国は呆れる。
鎌倉幕府は、もうまともに機能していないのかもしれない。
結局、9月になってあちこちに援軍を要請し、足利家からも兄の高氏自ら大軍を率いて京都まで遠征した。
ようやく陥落したその報せを聞くのと父が息を引き取ったのはほぼ同時だった。
高国は留守を任されていたから、父を看取ったのも、葬儀の実質の準備を行ったのも高国だった。
敢えて幕府内に役職を貰わず、足利家の中で働いているのだから忙しくなるのも当然のことだが。情勢を知りたくて放っている各地の密偵からは、近頃、気分の落ちるような情報しか入ってこない。
幕府はもう終わりだ。かといって朝廷が腐敗していないかと言うと——。
「疲れただろ、今のうちに休んどけよ」
「はい」
高氏の方こそ戦から帰ってきてすぐに葬儀で、疲れただろうに。こうして労ってくれる。
「後醍醐天皇には、お会いしたんですか」
「ああ。少し話した」
高国は次の言葉を待った。
傍系の出身とはいえ、紛れもない天皇であり、正当なこの国の長——だったはずの男。噂を聞く限りは、それで終わるような性格でもなさそうだが。
とにかく表には出さなくても北条が嫌いな高氏だったから、本心では朝廷側に就きたいのだろうと思っていた。実際会ってみて、どうだったのか。
高氏は顔を顰めていた。
「ありゃあ相当老獪な——タヌキだな」
狡猾で、と言いたいのだろうが。高国は苦笑した。高国の知るたぬきはもっと——。
「いいお年ですからね」
「そうだな」
「沙汰は決まったのですか」
「まあ、いくら反逆とはいっても、お上だからな。島流しがいい所だろう」
「それでは、だれかを潜らせねば」
「ここからの盛り返しがあるか?手足をもがれたも同然だぞ」
後醍醐天皇の腹心のほとんどは捕えられ、おそらく斬首されるだろう。島流しの随行はせいぜい世話人が数名と、良くて僧侶が付く程度のはずだ。
「あの野心家が島で終わるはずがありません。それに、旗印はやはり必要かと」
足利が矢面に立つと、どうしても北条の家臣の裏切り、と言う構図になってしまう。
先を見越すのなら、天皇家の後ろ盾は必要だ。
ずず、と高氏がお茶を飲む。
「しばらくは……締め付けが厳しくなるな」
「戦果を挙げられたのに」
「そこを、ねちねちとするのがあいつらなのさ」
もっとあからさまに冷遇されでもすれば、さっさと見限ることもできるというのに。
高氏と執権の仲は、高国が思っている以上に亀裂が深いのかもしれない。
高氏は一気にお茶を飲み干した。
「ま、それでも今回は、時期尚早だったって事だ」
「はい。お見事です」
高氏の読みは正しかった。同時に挙兵した楠木正成も、健闘していると聞くがそのうち鎮圧されるだろう。
今回、誘いに乗って足利が離反したところで、謀反人として追われて終わっていたはずだ。
この、緊迫したものが差し迫っているような中の束の間の静かな時間は、嵐の前の静けさのようだった。
ふと、屋敷の入り口の方がにぎやかになった。
小さな子供の笑い声がする。
「——帰って来たようですね」
高氏の息子、千寿の声だった。
高氏が笠置山へ出陣するにあたり、北条の屋敷で預かると言われた。——人質である。
まだ2歳で訳も分からなかっただろうが、母親と共にしっかりと役目を果たしたと聞く。
本来なら、この足利の屋敷でもいいところを、北条家で過ごすよう言われていた。北条も疑心暗鬼になっているのだろうが、それが余計に反発を生むと分からないのだろうか。
高氏が悪感情を隠せていないのかもしれないし、足利邸にいる高国を警戒したのかもしれない。
何にしても、無事に返されたのに安堵する。
「良かったです。本当に」
「ああ。千寿は聡いからな。褒めてやらねば」
葬儀の後、子どもの声があるだけで屋敷は少しにぎやかになる。
すっかり父の顔になった高氏に、高国の顔もほころんだ。
「早く行ってやってください」
「おう。——お前も、いい加減嫁を貰わないとな」
「私は……まだ、いいですよ」
婚姻の、約束まではしている。ただ、北条方の重臣の娘だから、おそらくこの婚姻は無効になるだろう。そう思ってあれこれ理由をつけ、先延ばしにしていた。正直、それどころではないと言う思いもある。
「ちちーぇー!!」
千寿が、まだ舌っ足らずで、それでもしっかりと高氏を見て手を振っている。
2歳にしては、確かにかなり聡い子なのだと思う。
足利邸を出る時にも、泣きもせず、唇をきゅっと結んで出て行った。今は高氏に抱かれて2歳の顔に戻っている。
子供を見ると、どうしても高国はシイを思い出す。
4歳なのに自分を一人前だと言っていた。
痛みも空腹も寒さも耐えられるのに、寂しさだけは耐えられないと言う様子で。
あの子は、今は寂しくないのだろうか。
——もうすぐ、冬が来る。




