ー.巫女任命式
初投稿作品です。
「トヨサトは青し麗し里なれば……」
懐かしいわらべ歌を耳にして、サクは銅鏡を磨く手を止めた。どうやら外では、里の子どもたちが集まって遊んでいるようだ。きゃいきゃいとはしゃぐ声が小窓から落ちてくる。
(ウチも去年はあっち側やったなあ)
サクは何故かすっかり可笑しくなってしまった。手巾を放り投げると、宝物庫の床に背中から倒れこむ。
「おや、どうしたんじゃ姫さん?」
「ちょっと休憩! ババ様、後は頼んだ!」
老女は苦笑した。今年で13になるというのに、この姫はどうにも子供っぽい。教育係としてはそこが歯がゆくもあり、可愛くもある。
「それにしても、久々に聞いたわ、あの歌。いったい何時から歌われとるんやろ」
どんぐり眼をぱちぱちと瞬かせて、見上げる。ババは、口元の皺を撫でながら答えた。
「はて、ずいぶん古い歌じゃからのう。確か、数代前の巫女姫様がオオキミの御前でお詠みになった歌じゃ。どこかの姫さんとは違うて、その巫女姫様には学があったんじゃのう」
「ふん、学がなくって悪かったなあ? どうせウチは健康だけがとりえのバカ娘や。お父ちゃんにも言われたもん、国中の薬師を訪ねたけれど、お前につける薬だけは見つからんかったって。やかましいっちゅうねん」
扉から風が吹き込んできた。季節はもうすっかり秋である。
娘は、代々トヨサトの地を治めるミツキ氏の二の姫・サクである。
「なあ、まだ磨かんといけんの? もう一箱は磨いたで。そろそろ飽きてきたんやけど」
「まだまだ頑張ってもらわんと。なにしろ、今回の例祭は姫さんが主役。その奥の二箱も鏡じゃ」
「げっ、まだそんなに残っとんのか。これ、磨いたあと飾り付けまでせなあかんのやろ? 面倒臭い。気が遠くなるわあ」
「……本当に姫さんはいつも通りじゃのう。今夜の祭りで正式に巫女になるというのに。なんでそんなに緊張感がないんじゃ……」
あからさまに嫌そうな顔をしたサクに、教育係の老婆――ババはがっくりと肩を落とした。今日は年に一度の例祭の日。実りを氏神に奉納する日だ。
祭の目玉は、サクの巫女任命式である。ミツキ氏の娘は成人を迎えてから結婚するまでの間、全員が巫女として氏神に奉仕する。先日12歳になったばかりのサクも、今夜しきたり通りに式を行うことになっていた。
「そうはゆうてもなあ、ババ様。巫女ゆうたかて、聞こえへんのやから意味ないと思うねん。昔の巫女は神さんの声がはっきり聞こえたらしいけど、ウチらはさっぱりや。今じゃ巫女なんて名目だけやんか。今日も神さんに一言報告するだけやし、なんなら儀式自体ムダやと思うねんけど」
サクはそう言って小首をかしげた。ババは思わず言葉に詰まる。確かにここ数十年、神の言葉を耳にした巫女は一人もいない。昔は自由に意思の疎通ができていたそうだから、やはり代を重ねるうちに神の血が薄くなってしまったのだろう。サクの言うことはあながち間違ってもいないのだ。それでも雰囲気に当てられて、大抵の娘は式の前はガチガチに緊張するものなのだが……
(姫さんは重圧も不安も全く感じてないようじゃ。これはよほど大物なんか、それとも阿呆なだけなんか。いずれにせよ変わったお方じゃて)
そうしている間にも、例祭の開始時刻が刻一刻と近づいてきていた。
――――――
光のない、新月の夜である。社があるカグヤマには、ミツキ一族が続々と集まってきていた。
「これはこれはオサどの。本日はあのサクヒメ様の晴れの日。めでたいことです」
「いやはや、親としてはもう少し落ち着いてほしいもんですがね。ま、駆けつけ一杯といきましょうや」
肩を組みながら母屋に向かう父の姿を見て、サクはため息をついた。
「はぁー、お父ちゃんも辛抱が足りんお人やなあ。せめて皆の前での挨拶ぐらいは素面でやってほしかったわ」
「まあまあ、オサも祭を楽しみにしてらしたんじゃろう」
「せやかて、ウチがこんな重い衣装つけて苦しんでんのに、お父ちゃんだけ楽しむなんてずるいわ」
そんなこんなでサクがなんとか支度を終えたちょうどその時、儀式の開始を知らせる鐘が一つ鳴った。さすがにサクも慌てて、転がるように式場へと駆け出していく。
「姫さんー! 頼むからちゃんと手順通り、練習通りにするんじゃぞー!」
追いすがるババの声に、サクは一度振り向いてにっこりと満面の笑みをみせた。
「まかせとき!」
――――――
夜が更けても、ざわめきは収まらなかった。ひどく真剣な顔で語り合う男たちに、興奮して辺りを走り回る子どもたち。涙を流して社を拝む老人までいる。それもそのはず。今夜の巫女就任式で、実に数十年ぶりに神のお告げがあったのだ。本来なら一族を上げて喜ぶべきところなのだが、そのお告げの内容が問題だった。
『二ノ姫ヲ東ヘ向カワセロ。アレノ夫トナルベキ男ガイル』
そしてお告げがあった、肝心のサクはといえば……
「姫さん? 姫さーん!? なんで寝とんのじゃあ!?」
社のど真ん中で、実に幸せそうな顔で眠りこけていたのだった。




