第4話:不器用な手と、解けた氷
「私を……あなたのダンスに混ぜてください」
放課後の旧校舎、埃が光に透ける屋根裏部屋。
鉄の扉を押し開けて入ってきたエレノア・フォン・ヴァルハイトは、まっすぐにヒマリアを見つめ、深々と頭を下げた。
その額にはうっすらと汗が浮かび、息が乱れている。放課後、人目を忍んで走ってきたのだろう。
「えっ……エ、エレノア様!? どうされたんですか!?」
ヒマリアが驚いて目を丸くする。
エレノアは唇を強く噛み締めると、悔しさと情けなさが混ざり合った青い瞳を持ち上げた。
「昨日、あなたのステップを見てから……自分の剣舞を踊ろうとしても、身体がいうことを聞かないの。ヴァルハイト家の剣は『苛烈にして完璧』でなければならない。なのに、私の身体は硬く、右足首は痛むばかりで……」
彼女は自分の右足首をぎゅっと握りしめた。
「父上からは『そんな軟弱な軸では騎士の任に耐えられん』と叱責され、学園でも『氷の令嬢』と影で笑われる……。でも、昨日のヒマリアの動きには……力みがなくて、しなやかで、何より……すごく楽しそうだった」
高貴な公爵家の令嬢が、没落貴族の少女に向かって本音を吐露する。それは彼女にとって、血を吐くような思いだったはずだ。
「教えてほしい。どうすれば、あんな風に柔らかく動き……怪我を庇わずに済むのかを!」
「エレノア様……」
ヒマリアは一瞬言葉を詰まらせたが、すぐに柔らかい笑顔を浮かべ、俺の方を振り返った。
「私じゃなくて、レオちゃんに聞いてみよう! ね、レオちゃん?」
(へっ……素直でよろしい)
俺はトコトコとエレノアの足元へ近づくと、彼女の右足首のあたりを鼻先でつついた。
「ふぁっ……!? な、なにをするの……っ」
身を竦めるエレノア。俺は彼女の足首の筋肉を前足でキュッ、キュッと押し揉むように刺激した。
(やっぱりな。右足を痛めているのを庇うあまり、左の太ももと腰の筋肉がカチコチに緊張してんだ。これじゃ全身の連動性が死んで当然だ)
「ワン!(おいヒマリア、ストレッチの補助だ! こいつの腰と太ももをほぐすぞ!)」
「うん! エレノア様、ちょっと座ってください! 私、レオちゃんに教わったマッサージとストレッチをやってみます!」
「えっ? あ、ちょっと……!」
戸惑うエレノアを床に座らせ、ヒマリアは丁寧に彼女の脚を伸ばし、可動域を広げるストレッチを施していった。
前世でも、過酷な練習で身体を壊しかけるメンバーはごまんといた。痛みを隠して力任せに踊れば、待っているのは壊滅だけだ。
「痛っ……! くっ……!」
「息を吐いてください、エレノア様! ふぅ〜って!」
「ふぅ……っ……」
ヒマリアの指示通りに深く息を吐き出すと、エレノアの身体からすっと余計な緊張が抜けていく。
(よし、筋肉がほぐれた。次はリズムと軸の取り直しだ)
俺は前足を床に打ち鳴らした。
タッ! タッ! タッ! タッ!
「ワン!(立ち上がれ! 手を繋げ!)」
俺は二人の間に入り、ヒマリアとエレノアの手を交互に前足でつっついた。
「手を……繋ぐの?」
「はい! エレノア様、私と一緒にステップを踏んでみましょう!」
ヒマリアが差し出した手。使い古された手袋の上からでも分かる、泥と汗に塗れて努力してきた『泥臭い手』だ。
エレノアはおずおずとその手を握り返した。
「ワン・ツー・スリー・フォー……!」
俺が刻むテンポに合わせて、ヒマリアがエレノアを引っ張るようにステップを踏み出す。
最初はぎこちなく、右足をかばってバランスを崩しそうになるエレノア。だが、ヒマリアがしっかりと手を受け止め、彼女の呼吸に合わせてリードする。
「力を抜いて……剣を振り下ろすんじゃなくて、風に乗るみたいに……!」
「風に……乗る……?」
ヒマリアの言葉に、エレノアの目がすっと澄み渡った。
彼女は目をつむり、ヒマリアの手の温もりと、俺が刻む正確なリズムだけに意識を集中させた。
右足を踏み出す。膝の力を抜き、重心をスムーズに左足へと移動させる。
その瞬間――エレノアの身体から「硬さ」が消えた。
まるで、凍りついていた氷輪が春の日差しで解けるように。
流れるような滑らかな旋回。銀色の髪がふわリと舞い上がり、二人の少女の手が描く軌道は、息をのむほど美しかった。
「できた……! 私、足が痛くない……! 回転が……ブレない……!」
目を開けたエレノアの顔に、今まで見せたことのない鮮烈な輝きが宿っていた。
冷徹な『氷の令嬢』の仮面が剥がれ落ち、そこにあったのは、純粋に表現できたことに歓喜する一人の少女の素顔だった。
「すごいです、エレノア様! すごく綺麗……!」
「ヒマリア……私……」
繋いだ手を見つめ、エレノアは胸を詰まらせた。
今まで一人で抱え込んできた圧重、誰にも言えなかった恐怖。それが、この小さく温かい手と、一匹の犬が刻むリズムによって解き放たれたのだ。
(くくっ……いい表情するじゃねぇか)
俺は胸を張り、二人に向かって高らかに吠えた。
「ワン!(これで一人目、合格だ!)」
「ふふ、レオちゃんも『合格』って言ってるよ!」
「えっ……本当にこの犬が言っているの……?」
驚くエレノアに、ヒマリアは眩しいほどの笑顔を向けた。
「エレノア様、私と一緒に……歌って踊りませんか? 貴族の舞踏じゃなくて、みんなが笑顔になれる、新しいステージを創りたいんです!」
まっすぐな勧誘。
エレノアは一瞬息をのんだが、やがて繋いだ手をキュッと握り返し、誇らしく微笑んだ。
「……良いでしょう。このヴァルハイトの名に懸けて、あなたの情熱に付き合います。……よろしくね、ヒマリア。それと……レオ先生」
エレノアが俺の前で膝をつき、目線を合わせて優しく微笑む。
(へっ、生意気な騎士様が、すっかり可愛くなっちゃって)
俺は前足を彼女の手にぽんと乗せ、ニヤリと鼻を鳴らした。
こうして、『ルチア・クローバー』の二人目のメンバー――絶対的ダンスリーダー・エレノアが加入したのだった。
(第4話・おわり)
次回(第5話)予告
「あ、あの……私なんかが歌ったら、雰囲気を壊しちゃいます……っ」
次に狙うは、天使の歌声を持ちながら極度のあがり症に悩む少女・ソフィア!
だが彼女の背後には、家柄を盾に嫌がらせを仕掛ける悪徳令嬢たちの影が……?




