第1話:ラスト・カーテンコールは四ツ足で
『ラスト・カーテンコールは四ツ足で』
〜転生先は異世界、俺の正体は愛玩犬。伝説のトップアイドル、泥底の令嬢を世界の歌姫にプロデュースします〜
第1話:ラスト・カーテンコールは四ツ足で
その夜、東京ドームを埋め尽くした五万人の歓声は、地鳴りとなって俺の足裏を震わせていた。
視界を焼き尽くす白光のスポットライト。絶叫に混じる悲鳴のようなコール。旋律に合わせて揺れる、数千、数万のペンライトの海。
その熱狂の中心に、俺――『アーク』の絶対的センター、レオは立っていた。
(……足が、限界だ)
右足首の激痛を、アドレナリンだけで殺す。
汗で前髪が額に貼りつき、息を吸うたびに肺が焼けつくように熱かった。だが、俺は笑った。完璧な角度で顎を上げ、カメラのレンズ越しに数百万のファンへ向けて、狂おしいほどの笑みを投げてみせる。
「俺だけを見てろ――!」
マイクに乗せたその一言で、ドームの天井が吹き飛ぶほどの歓声が弾けた。
俺は孤高だった。
メンバーとの馴れ合いを嫌い、妥協を許さず、自分にも他人に厳しすぎるほど厳しく接した。仲間からは恐怖され、嫌われ、敬遠された。けれど、構わなかった。
ステージの上では、圧倒的な強者でありたかった。一人で頂点に立ち、誰にも文句を言わせない『完璧なアイドル』であり続けること――それが俺のすべてだったからだ。
ダブルアンコールを終え、楽屋へ戻る通路。
スタッフたちが道を開け、深々と頭を下げる。だが、一緒に汗を流したはずのメンバーたちは、誰一人として俺に声をかけない。少し離れた場所で、肩を組み合って笑い合っている。
(……これでいい)
ポケットの中で握りしめた拳が、かすかに震えていた。
最高のステージだった。誰も追いつけない高みに、また一歩登り詰めた。なのに、胸の奥にぽっかりと開いた小さな穴から、冷たい風が吹き抜けていく感覚を拭い去ることができなかった。
楽屋を出て、一人で事務所の迎えの車へ向かう夜道。
降り始めた冬の雨が、火照った頬を冷やす。
その時だった。
路地裏から、一人の幼い少女がボールを追って飛び出してきたのは。
書籍そのままに暗闇の先から荒い排気音とともに現れた、大型トラックのハイビーム。
「――っ!?」
思考よりも早く、体が動いていた。
雨に濡れたアスファルトを蹴り、少女の背中を突き飛ばす。
直後、視界が強烈なヘッドライトの光で真っ白に染まり、鼓膜を破るような金属音が響いた。
衝撃は、なかった。
ただ、自分の体が宙を舞い、骨が砕ける無機質な音が頭の中に響き渡る。
(あぁ……俺の……ラストライブ……終わっちゃったな……)
遠ざかる意識の中、冷たい雨の匂いと、ドームで聴いた最後の歓声が混ざり合い、俺の世界は深い、深い闇の中へと沈んでいった。
闇は、どこまでも深かった。
だが、息ができないわけではなかった。
(……熱い……)
全身を包む、不気味なほどの温もり。
耳元で、水の中にいるようなぼやけた音が聴こえる。
『おお、お生まれになりましたぞ!』
『まあ、なんて愛らしい毛並み……』
(だれだ……? 病院……か……?)
声に応えようとしたが、口が開かない。
身体を動かそうとしても、自分の手足がどこにあるのかすら分からなかった。ただ、ぬくぬくとした温かい塊に挟まれ、小さな呼吸を繰り返すことしかできない。
どれほどの時間が流れただろうか。
ある日、すっと視界がひらけた。
目の前に広がるのは、白亜の壁と、見たこともないほど巨大な木製の家具。そして――窓から差し込む、柔らかく眩しい太陽の光。
(……俺は、助かったのか……?)
身体を起こそうとした。
だが、異様な違和感が身体を襲う。視線が、極端に低いのだ。床がすぐ目と鼻の先にある。
ふと、目の前の姿鏡に自分の姿が映った。
「……!?」
そこにいたのは――高貴な漆黒と純白の毛並みに覆われた、一匹の、手のひらサイズの「子犬」だった。
つぶらな瞳。ぴんと立った大きな耳。短い足。
俺が呆然と口ぐせを開けると、鏡の中の子犬も、ぽかんと口を開けた。
(……は……? 犬……? 俺が……犬……!?)
声を張り上げようとした。
しかし、喉から漏れ出たのは――
「くぅ……ん……っ!」
情けない、震えた高音だった。
パニックになり、短い足を突っぱねて畳みかけるように暴れる。だが、犬の幼体である身体は驚くほど不器用で、自分の耳を踏んづけてそのまま床に転がった。
「まあ! レオ様がお目覚めになられましたわ!」
「なんと愛くるしい……!」
ドレスを着たメイドたちがワーッと集まり、俺の身体を壊れ物のように優しく抱き上げる。
その香水の匂い、飛び交う言葉、そして窓の外に広がる、まるで中世の絵画から抜け出したような城下町の景色。
(異世界……知性を持った愛玩犬として転生……?)
頭の中に、冷たい事実が突きつけられる。
俺は死んだのだ。あの雨の夜、トラックにはねられて。
そして、この見知らぬ世界で、一匹の貴族の愛玩犬として生まれ変わったのだ。
二度と、あのステージには立てない。
二度と、あの歓声を浴びることはできない。
マイクを握ることも、スポットライトを浴びることも叶わない、一匹の畜生として。
(冗談じゃない……! 俺の人生は……俺の歌は……ここで終わりなのかよ……!?)
胸を突く圧倒的な絶望と喪失感。俺はキュンキュンと喉を鳴らしながら、ただ窓の外の空を見つめることしかできなかった。
――それから、数ヶ月が過ぎた。
俺が引き取られたのは、王国でも末端に位置する『アルスター男爵家』の屋敷だった。
名前は前世と同じ「レオ」と名付けられた。
だが、この屋敷の空気は、日を追うごとに重く、冷たくなっていった。
「ただいま……戻りました……」
重い木製扉が力なく開き、一人の少女が姿を見せた。
ヒマリア・フォン・アルスター。この屋敷の令嬢であり、俺の飼い主だ。
使い古された泥だらけのドレスの裾をひきずり、彼女は廊下に崩れ落ちるように座り込んだ。
青い髪は乱れ、頬には涙と土の跡がついている。
「また……駄目だった……。『身分不相応な泥臭い歌』だって……学園のみんなに笑われたの……」
彼女は膝に顔をうずめ、肩を激しく揺らした。
アルスター家は、領地の不作と借金で破産寸前だった。
ヒマリアには夢があった。この国の大舞台で歌姫となり、家を救い、大好きな歌で人々を笑顔にすること。だが、彼女には技術がなかった。正しい発声も、リズムの取り方も知らず、ただ身分を蔑まれ、夢を踏みにじられ続けていた。
「私……歌うのが好きなだけなのに……。お兄様にも『もう諦めてくれ』って言われちゃった……。私には、何も……何もないよ……」
ぽつり、ぽつりと床に落ちる涙。
俺は、じっと彼女を見つめた。
その涙の冷たさを、俺は知っている。努力が報われず、誰にも認められず、暗闇の中で一人震えていた下積み時代の夜を。
トコトコと、俺はヒマリアの足元へ歩み寄った。
そして、前足を彼女の膝の上にぽんと乗せた。
「……レオちゃん?」
涙で濡れた瞳が、俺を見下ろす。
俺は彼女の目を見つめ返した。その瞳の奥には、どんなに踏みつけられても消えない、狂おしいほどの『情熱』の火種が残っていた。
(……下手くそで、不器用で、泣き虫な落ちこぼれ)
俺はハッと息を吐き出し、床を右前足で強く踏み鳴らした。
タッ、タッ、タッ、タッ。
寸分の狂いもない、正確な『4/4拍子』のリズム。
「ワン!(立て!)」
俺は短く、低く吠えた。
ヒマリアが息をのむ。
「え……? レオちゃん……いま、拍子を取った……?」
「ワン!(歌いたいんだろ!? だったら泣いてる暇なんてねぇ!)」
俺は身体を翻すと、軽やかなステップを踏んでみせた。
前足を交差し、首を振り、犬の小さな身体でありながら、完璧な軸を維持したダンスの「基本のキ」。
言葉は通じない。俺はマイクも握れない。
だが、俺の魂には、あのドームを揺らした絶対的な『本物』の技術と情熱が刻み込まれている。
ヒマリアの瞳に、ポカンとした驚きと、続いて小さな光が灯った。
「レオちゃん……ダンス……踊ってるの……?」
(そうだ。俺のステージは終わった。だが――)
俺はヒマリアに向かって、誇り高く胸を張った。
(お前のステージは、今ここから始まるんだよ)
一人で頂点に立った男は、今、一匹の犬として、泥底の歌姫を世界の頂点へと引き上げる決意をした。
運命のカウントが、今、響き始める。
(第1話・おわり)
次回(第2話)予告
「えっ、レオちゃんがダンスの先生……!?」
ヒマリアの壊滅的なリズム感を矯正するため、レオの容赦ないスパルタ特訓がスタート!
そして学園の使われていない旧校舎で、孤高の騎士令嬢・エレノアとの運命的な出会いが訪れる――。




