第1話 パンを咥えた巫女
「うわあああ!」
森に囲まれていてただでさえ弱くなっている太陽の光が届かない神社。俺は、耳を両手で塞いでその場にしゃがみ込んだ。けれど、耳を塞いだところで、なぜか《《それ》》は聞こえる。
どうして?どうして?
《《それ》》は、神社の四方八方から聞こえる不気味な声。
前からなにか気配を感じる。俺の直観が目をぎゅっと瞑らせ、さらに体を縮めこませた。
「誰か…助けて……。」
出たのは本当に微かな声だ。
人間は恐怖に貶められると、ここまで声をはれないものだと思い知った。
「誰か……。」
「いけなーい遅刻遅刻!!」
次の瞬間!そう叫ぶ声が聞こえ、俺は思わず目を開けてしまった。だけど、その行為に決して後悔することはなかった。それだけは言える。
静かで闇に包まれた森から現れたのは、パンを口で咥えた高校生ぐらいの女性だった。
《《彼女》》に─────────
そんな愉快な声をあげて森から飛び出してきた《《彼女》》に会って────────
俺の日常が大きく変わった。
事の始まりは少し前の下校途中に遡る────────────────────
俺たちが住むこの夏焼村では、よく不思議な現象が起きる。
俺の名前は天瀬 悠。15歳だ。
「ねぇねぇ、悠。最近出るんだって」
近所に住んでいる同い年の大津瑠夏。学校から下校している時にそんなことを聞かれ、俺は咄嗟に何が?と問い返した。
「老若男女問わない人の声がね、聞こえるんだって。」
「あの神社ってもう鳥居しか原型が残ってないあの神社か?」
「そそ。」
それを聞いて俺は胸を躍らせる。その様子を見た瑠夏はにやりと口角を上げる。
「おっ。興味持ったかな?」
「そりゃ心霊現象は大好物だからな。」
「でも、本物は見たことないもんね。」
その一言を瑠夏が放った瞬間、悠は唇を尖らせた。
仕方ないじゃん。まだ遭遇してないんだし。あーあ、本当にいるのかなー
バッグを後ろの背中に移動させた拍子に俺は真上を向いた。太陽はすでにかくれんぼを始めていたが、かくれるのが下手なため、山の陰からオレンジ色の光で村を照らしていた。
「それともう一つ。この村に巫女さんがやってくるらしいよ〜」
瑠夏が思い出したようにそう言う。
「それは聞いた。《《不思議な池》》とかはあるけど、まさかこんな辺境な村に来るなんて…物好きだよな。」
そう、夏焼村に《《夏休み前日》》の今日。巫女がやって来るという噂が広がっていた。それはもちろん学校でも今日の話題として広がっていたので、よく知っている。
「じゃあね。夏休みだし、しばらく会えないかな?」
分かれ道で瑠夏は少し寂し気な顔をした。それを感じ取った俺は鼻で笑う。
「こんな田舎なんだから、夏休みでも一週間に3回は会えるよ。」
「確かに、こんな狭くてド田舎な村ならいつでも会えるわね。」
「おいおい、言いすぎじゃね?」
そんな会話をして瑠夏は、肩の力が抜けたように笑みをこぼした。それに呼応するように悠は声を出して笑う。
「じゃっ!」
「夏バテすんなよ~」
分かれ道からアニメのオープニング一曲分ほど時間が経った頃。
「明日から夏休みか」
悠が体を程よく伸ばしてそう呟いた。その場所は、瑠夏が言っていた噂話。例の神社がある通りだった。そう考えると……
不穏な風が俺の髪を撫でる。
だが、その時の俺の表情はわくわくでいっぱいだった。
心霊現象が見えるかもしれない。
それは小学生のようなほんの好奇心の一歩だった。
神社に向けて自分の足を一歩踏み出した瞬間
「ワンッ!」
どこからか犬の鳴き声が聞こえてきて、身体をびっくと震わせた。
うわっ!脅かすなよ…
最初に後ろを向く、次に黒目で左、そして右を確認するが、どこにも犬の姿はなかった。
改めて悠は神社へと歩き出す。神社に向かう途中の森は静さと暗さに飲まれていた。
森を進むにつれて旗や名前の書いてある石が見え始める。
「しっぺい太郎?誰の名前なんだろ?」
なにかに恨みを持った人が書いたような荒い文字だったが何とか読み取れた。石にはしっぺい太郎と書いてある。
誰かの名前かな?
やがて、森の奥に階段を発見する。
五、六段ほどの階段を上った先に、立派な鳥居が見える。普段は赤い鳥居でも、この時間帯となると、うっすら紫黒く感じ取れた。左手には、まるで大きな岩が崩壊した後のような、信じられない光景が広がっていた。
ここで何があったんだ?こんな岩が割れるなんて…
その光景をしばらく見て、俺は絶句する。
そして、鳥居の右手前にはまっすぐと前を向いている犬の像があった。ただ、その犬は神聖な神社にあるとは思えない凶悪なまるで《《怒った》》顔をしていた。
「ワンッ!!」
その像を見た瞬間背後から再び犬の鳴き声が聞こえた。
すぐに背後を向くが当然、犬の姿どころか生き物は見当たらなかった。
さっきより大きく聞こえたような…
そう考えながら悠の右足のつま先が鳥居を越えた瞬間だった。
「ワンッ!!ワンワン!!」
犬が再びけたたましく鳴き立てた直後。
《《それ》》が聞こえ始めた。
まさか…本当に……
悠の顔のわくわくが少しずつ崩壊し始める。足は震えて動かない。
無理やり足を動かそうとするが、言うことをきかず、そのままバランスを崩して尻もちをつく。
「うわあああ!」
森に囲まれていて太陽の光が届かない神社。俺は、耳を両手で塞いでその場にしゃがみ込んだ。けれど、耳を塞いだところで、なぜか《《それ》》は聞こえる。
どうして?どうして?
一定のスピードで鳴り続けていた自分の心音が早くなる度に《《それ》》の声が段々と近づいてくる感覚だった。
《《それ》》は、神社の四方八方から聞こえる不気味な声。老若男女問わない、色んな人がなにかに苦しみ、うなだれていて、生きている人間が出せるような声とは到底思えなかった。
前からなにか気配を感じる。俺の直観が目をぎゅっと瞑らせ、さらに体を縮めこませた。
「誰か…助けて……。」
出たのは本当に微かな声だった。
人間は恐怖に貶められると、ここまで声をはれないものだと思い知った。
「誰か……。」
「いけなーい遅刻遅刻!!」
次の瞬間!そう叫ぶ声が聞こえ、俺は思わず目を開けてしまった。
静寂に包まれていた夕暮れの神社にパンを噛み砕く音が響き渡る。
静かで闇に包まれていたはずの森から現れたのは、パンを口で咥えた高校生ぐらいの女性だった。
「ちょっ!?」
彼女は現れて早々、俺の右腕を引っ張って鳥居をくぐった。
悠の全身が鳥居をくぐった瞬間、先ほどまで聞こえていたはずの老若男女の声は消えていた。目の前には本殿であったであろう、廃墟と化した建物があった。屋根は二割ほど崩壊していて、お賽銭箱があったであろう位置に瓦礫が散乱していた。
本殿だ…。って今はそんなことより。
「誰!?」
俺の右腕をつかんだままでいる彼女にかけた第一声はそれだった。
「tふg…たn¥…ゴホッゴボッ!」
あろうことかパンを食べながら話し始めた彼女の言うことは聞き取れるわけもなく、俺は突っ込みを入れた。
「なんて!?というかなんで朝にやるノリを今!?こんな今から日が沈むよって時にやってるん!?」
「あなたねぇ、それよりいうことがあるんじゃないの?」
パンを完食した彼女はそう聞いてくる。
そうだ、俺は間違いなく助けられた。命の恩人にあんな態度…失礼だったな。
悠は彼女の方を向いて、
「助けてくれて本当にありがとうございました。」
少し照れくさそうにそう言い、最敬礼をした。
「いや、そうじゃなくてあなたの名前は?」
「天瀬 悠…です。」
お礼を言ったのに、思っていた反応とは違って俺が少しもやっとした。
だが、彼女は「そっか!」と明るい声を上げてほほ笑んでいた。
「私は笛江戸 咲良。最近この村に来た巫女なの。よろしくね。」
「よろしくお願いします。」
この人、噂になってた巫女だったんだ。
「呼び捨て、ため口でいいよ。それに、悠は悪くないし、お礼なんていいよ。悪いのは…昔の人たちだから。」
「昔の人たち?」
「おん。それにしても、派手に壊れてんね~。」
本殿の壊れ具合を改めて実感した彼女は困ったような顔をしていた。
「これ、昔の書物とか残ってるのかな?」
咲良は頭をかきながら本殿に向かった。
なんで昔の本?
訝しむような顔をしながら悠も彼女に着いていく。
崩壊した屋根を華麗にかわして安全な道を飛んで飛んで進んでいき、やがて、本棚のようなものがある場所についた。本棚には多くの本が入っていた。だが、それをよく見て悠はすぐに異変に気付いた。
全部同じ?
タイトルはすべて同じ本だったのだ。
いやでも、内容が違うだけかも…。
そう思い、いくつかの本を手に取り、最初の数ページをペラペラめくってみる。
結果としてはどの本も同じだった。そしてもう一つわかることは、文字が書かれているのは10ページ程度、そこから先のページは白紙だった。
本の内容にはこう書かれている。
今年も、泣く泣く生贄を奉った。
だが、須要なことである。明神様に。
否!!
〇〇〇に!!!
あの者は明神様ではない。恐ろし〇〇〇に違いない。某《《それがし》》は見た。
襲い掛かる《《犬の姿》》を。
その文章に出てきた《《犬》》には確かに覚えがあった。それも相まって、本を閉じながら俺はつぶやく。
「犬のせいなのか…」
「…本当に?」
そのつぶやきに反応したのは咲良だった。
「だって本に書いてあるし…」
「確かに書物にはそう書いてあるけど、その書いてあることが全部本当とは限らないんじゃない?」
そんなこと言われても……。
本に書いてあることが事実じゃない?たとえそうだとしてもな~
昔の出来事なんて今じゃ知る由もないし。
「よしっ!!」
次の瞬間、咲良が書物を閉じると同時に悠の方を向いた。
「じゃっ、真実を見に行こっか。」
「えっ?そんなことできるわけ…」
悠がそう言い切る前に咲良はお札を人差し指と中指で挟み、前に出す。そしてすぐにほほ笑んだ表情でそう言った。
「私、間違って伝えられた伝承をお直しする巫女なの。」
その瞬間俺の目の前はまばゆい光に包まれた。




