第11章【2】
イリーとリッツが班員を連れて集合場所に戻ると、すでに他の班の生徒たちが集まっていた。みな、一様に不安そうな表情をしており、アルヴァルドの指示を待っている。アルヴァルドの周囲にはすでに生徒会メンバーの姿があった。
「二年、三年の生徒会員は集まってくれ。ゴブリンの討伐へ向かう」
アルヴァルドの言葉に従い、イリーとリッツもアルヴァルドのもとへ向かう。すると、ドロテアが意を決したように声を上げた。
「わたくしもお供いたしますわ」
ドロテアに続き、リティカとセシリアも続こうとしている。しかしイリーには、ドロテアを戦いの場に連れて行くわけにはいかなかった。
「あななたちはまだ戦闘に慣れてない。みんながいては足手纏いになるよ」
イリーはあえて少し厳しい口調で言う。そうでもしなければ、ドロテアは確かな覚悟のもと、イリーたちに続くことだろう。
「イリー、リッツさん!」
フローティアがふたりを呼ぶ。イリーはリティカに目配せしつつ、他の生徒会メンバーに続く。ゴブリンは危険性の高い魔獣で、戦いに慣れていない者が危険に晒されるのは確かだ。ドロテアがいようがいまいが、ゴブリンが他の生徒たちのもとへ辿り着く前に討伐する必要があった。
先頭を行くジークローアが足を止める。森の奥からゴブリンの集団がこちらに向かっていた。イリーは素早く、全員に「物理攻撃耐性」「魔法力強化」の魔法を発動する。それと同時に戦闘が始まった。
ゴブリンは攻撃性の高い魔獣だが、個体個体はさほど力を持っていない。討伐するのは簡単なことだ。だが、ゴブリンの巣を突いたとなると、しばらくゴブリンの波が続くことになる。それの波に押されれば他の生徒が危険に晒される。彼らはこの場でゴブリンの波を止める必要があった。
先頭に立つジークローアが剣戟でゴブリンの首を落とす。アルヴァルドとリグレット、エンリケが魔法で応戦し、イリーとリッツ、フローティアは後衛で四人をサポートした。
ゴブリンは次々と湧いて来る。それでもほとんど前衛の四人が討伐する。高い能力を誇る彼らにとって、ゴブリンは苦戦するほどの相手ではなかった。だが、ゴブリンの巣には百体程度の群れがあるとされている。ゴブリンの波が止まるまで耐えなければならない。
それでも、前衛と中衛の四人が次々とゴブリンを下し、イリーとリッツ、フローティアのもとに辿り着くゴブリンはほとんどいなかった。
ややあって、ジークローアが最後の一体を下し、ゴブリンの波は完全に止まる。少しのあいだ、彼らはゴブリンの侵攻が続いた森の奥を観察した。次のゴブリンが姿を現すことはなく、討伐は完了していた。
「今回は先発だけで済んだようだね」
辺りに散らばるゴブリンの死体を眺めながらアルヴァルドが言った。この死体の山は王宮から処理隊が来るらしい。
「これ以上に手出しをしなければもう出て来ないだろうな」
ジークローアが剣についた血を拭いつつ言う。これだけのゴブリンを相手したとは思えないほど、余裕の残された表情を浮かべている。イリーは攻略対象の能力値の高さをまざまざと見せつけられた気分であった。
「……イリー、リッツさん」
ゴブリンの死体の山を眺めていたイリーは、静かに呼び掛ける声に振り向いた。フローティアが真剣な眼差しをイリーとリッツに注いでいる。
「話したいことがあるわ。生徒会の仕事が終わったら、寮の中庭にいらしてくださる?」
イリーは首を傾げつつ、リッツと顔を見合わせた。リッツもきょとんとしていたが、フローティアの表情は何か訴えかける色が湛えられていた。
「わかりました」イリーは頷く。「必ず伺います」
「ええ」
アルヴァルドが王宮に報せ鳥を飛ばし、一行は集合場所へと戻った。彼らが帰って来たことで、安堵の表情を浮かべる生徒が多かった。それぞれ自分が担っていた班に戻り、班員の無事を確認する。
「みなさん、ご無事で何よりです」
リティカが明るい笑みでイリーとリッツを迎える。セシリアとドロテアも、一様に安心したように微笑んでいた。
「ドロテア、さっきはごめんね」イリーは言った。「少しきつい言い方をしてしまったよね」
「いえ、イリー様は間違っていませんわ」ドロテアは薄く微笑む。「わたくしたちではお役に立てなかったでしょうから」
ステータス上では、三人の能力値は申し分ない。着実に力を身に付けている。しかし、実戦となると話は別だ。彼女たちはまだ王立魔道学園に入学したばかり、防衛戦に挑むには時期尚早だろう。
「とにかく学園に戻ろう」アルヴァルドが号令をかける。「まだ完全に安全になったとは言えない。上級生の言うことをよく聞くように」
生徒たちは一様に頷く。ゴブリンの巣を突いてしまった生徒には、ともすれば罰則が待っていることだろう。
* * *
生徒会の時間では当然、実習において起きたゴブリン事件のことが議題に上がった。生徒会メンバーが揃うと、アルヴァルドが報告書を手に話し始める。
「今回、ゴブリンの巣を突いた生徒のいたグループは、講師役がひとりだった。その分、一年生が三人と人数が少ないグループになっていたが、講師役が止めるのも聞かず、一年生のひとりがゴブリンの巣を突きに行ってしまったらしい」
イリーとリッツの班は講師役がふたりだったため、一年生は五人というグループになっていた。講師役になれる生徒は限られている。指示を無視する生徒を制御しきれないことがあったとしても責められることではないだろう。
「好奇心が猫を殺す良い例だな」
呆れた表情で言うジークローアに、フローティアが重々しく頷いた。
「これからは、講師役をふたり以上にする必要がありますわね」
「今回は負傷者を出さずに済んだけど」と、エンリケ。「運が良かっただけかもしれないしね」
「ゴブリンキングが出て来たらどうなっていたか……」
リグレットがつくづくと呟く。ゴブリンの巣には必ずゴブリンを統べるゴブリンキングがいる。今回は先発の雑魚ゴブリンが出て来ただけで済んだが、ともすればゴブリンキングと戦闘することになっていた。その点で、ゴブリンの巣を突くのは危険性の高いことなのだ。
「とにかく」アルヴァルドが続ける。「今回のゴブリンの巣は王宮に駆除依頼を出した。しばらくエメラルドの森は立ち入り禁止だ」
イリーはそのとき、隣に座っていたリティカが小さく安堵したように息をつくのに気付いて振り向いた。その表情は少し強張っている。イリーはリティカに身を寄せ、声を潜めて言った。
「もしかして、このゴブリンの巣が関係するイベントがある?」
「はい……」リティカも小声で答える。「ドロテア様が闇魔法でゴブリンの巣を駆除するイベントがあるんです。ここからドロテア様が孤立して、ヒロインとの対立が明確になります。このイベントを回避できたのは大きいです」
「この先のストーリーはどうなるの?」
「ヒロインはただ攻略対象の好感度を上げていくだけなんですが、その最中に悪役令嬢が闇魔法を仕掛けて来るんです。それを回避しながらエンディングを目指すんです」
「このあとはどんなイベントが残されてる?」
「ふたつのパターンがあります。文化祭の直前、悪魔に取り憑かれた悪役令嬢が家族全員を呪い殺します。その後はしばらく姿を消しますが、文化祭で再登場するんです。そのときはもう闇の悪魔に変化しています。ハッピーエンドの場合、ヒロインと攻略対象が協力して悪役令嬢を倒すことになります。バッドエンドの場合、戦闘の際に攻略対象が命を落とすことになります」
「どちらにせよ悪役令嬢は助からないんだね。でも、攻略としては単純でよかった。ドロテアが悪魔に取り憑かれるのを防げばいいんだね」
「はい。ドロテア様を守り抜ければ、バッドエンドは回避できるはずです」
「それなら心配ないね。ここに聖女がいるんだから」
イリーが星を宿らせた左目を瞬かせて見せると、リティカは安堵したように微笑む。イリーはフローティアの破滅を防ぐことができた。それは聖女として覚醒するのが入学前だった恩恵もある。続編ヒロインとともに前作ヒロインで聖女である自分がいることでドロテアを破滅から救うことができる。イリーはそう確信していた。
* * *
生徒会での仕事を終えると、イリーとリッツは女子寮の中庭に向かった。フローティアは先に仕事を切り上げたため、約束通り中庭でふたりを待っていた。フローティアは寮生活ではないためすでに公爵家の迎えの馬車が来ているはずで、イリーとリッツものんびりと話している時間がないことはわかっていた。
「フローティア様」
イリーの呼び掛けに、フローティアは軽く手を振る。神妙な面持ちをしていた。
「何が起きているのかわからないけれど……」フローティアはゆっくりと話し始める。「あなたたちは、何かからドロテアさんを守ろうとしているのではなくて?」
イリーとリッツは顔を見合わせた。フローティアはもちろん、自分が乙女ゲームの世界の悪役令嬢であることを知らない。それはドロテアも当然のことで、破滅の運命が待っていることなど想像もしていないだろう。
「ドロテアさんは闇属性の魔法を持っている……。何か、自分に似たものを感じるわ」
イリーにもリッツにも、その答えを誤魔化す必要はなかった。
「はい」イリーは頷く。「ドロテアは、闇の魔法に呑まれようとしています」
フローティアは真剣な表情で耳を傾ける。イリーの言葉を疑う気持ちは微塵もないのだろう。
「それは私たちの運命を変えるほどの力を持っています。ドロテアを守る鍵はリティカです」
詳しく話すことはできない。この世界がゲームの世界であるなど、きっと説明したところで証明することはできない。それだけは打ち明ける必要もないだろう。
「イリーがわたくしを変えたように、リティカさんはドロテアさんを変える力を持っているのね」
「はい」
「わたくしたちは、リティカさんを支えればいいのね」
「仰る通りです。これからどんなことが起きるかは、私たちにもわかりません。とにかく文化祭を無事に迎えることができれば、ドロテアはもう大丈夫です」
「わかったわ。けれど、きっと大丈夫よ」
確信を湛えた声で言い、フローティアは穏やかに微笑む。
「あなたたちが私を救ってくれたように、リティカさんもドロテアさんを救う力を持っているのでしょう? わたくしも協力するわ」
「はうっ」
突如として短い声を上げるとともに胸元を押さえるイリーに、リッツとフローティアは揃って呆れたような笑みを浮かべる。ふたりともイリーの奇行には慣れっこだった。
「フローティア様がいらっしゃれば百人力です。なにせ、フローティア様は女神であらせられるのですから……」
「ご期待に沿えるよう努力するわ」
「このことをリティカに話してもよろしいですか?」
イリーを無視しつつ、リッツが冷静に言う。もちろん、とフローティアも平然と頷いた。
「みんなで協力しましょう」
「はいっ! フローティア様の愛の下僕として尽力します!」
「あなたのそれは終生、変わらないのでしょうね」
「そんな……一生、友達でいてくださるなんて……」
「言ってませんわ」
フローティアはついとそっぽを向く。ツンデレぶりは相変わらずである。それでも、フローティアの協力を得られることで、ドロテアを救える確率は上がる。イリーはそう確信していた。ドロテアに悪役令嬢を全うさせはしない。それが転生者としての務めだった。




