イルダン
「商売は田舎に限るよなぁ…」
荷物を鱈腹載せたリヤカーを引きながら、男はにやけた口元を隠さずに呟いた。
治安が悪くなる一方の大帝国だが、それでも田舎は未だ長閑で犯罪への警戒が緩い。
ちょっと裏路地へ入れば、偽札を皮切りに様々な情報が売買され、生活品と銃器が並んで売られている。
リヤカーに所狭しと押し込まれた荷は全て、偽札で競り落としたものだった。
一歩間違えれば札と一緒に首も飛ぶが、生憎この田舎町に彼を殺せるような人物はいない。
路地を歩く内に嗅ぎ慣れた匂いが微かに鼻をつき、裏取引を勘繰らせない安穏とした風景をぐるりと見渡した。
街のずっと向こう側の丘から黒煙が上がっている。
「やっべ、絶対出遅れた」
あの丘の上は孤児院らしい。
呑み屋で管を巻いていた老人の話では、優良な国家施設で街のお偉方からも高評価を得ているとの事だ。
街中にいるものだと踏んでいたのに、全く見当違いな場所を彷徨っていたわけか。
「呪然の匂いがぷんぷんしてやがる。
探す手間が省けたな。……出遅れたけど」
得意気に鼻を鳴らして笑った男は、すぐに肩を落として大きな溜息を吐いた。
現在地から孤児院までは、早く見積もっても徒歩一時間以上の時間を費やすだろう。
リヤカー一杯分の物資への寄り道と、見当違いな場所を彷徨っていた事で、当初の計画より大幅なタイムラグが生じた事は明白だった。
部下の冷たい一瞥と同時に吐き出されるだろう容赦無い皮肉の数々を思い浮かべ、彼は更に大きな溜息を吐くと、重いリヤカーを引いて出来るだけ早く足を進めた。
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「イルダン、ちょっと」
物陰からじっとこちらを見つめる男に手招きされたのは一昨日の事だ。
著しく人口の減った東国アルラストにとって、事態が大きく好転する報せが舞い込んだ日とも言えるだろう。
「ジョゼ…お前さぁ、怪しいってその癖」
「うるさい。早く来い」
手招きされるがままに入った室内には、長老達と部下のマデーがそれぞれ腰掛けてイルダンを待っていた。
「何だよ。会議か?今日あるなんて聞いてねぇぞ」
「緊急招集だ。
夢見のシャナが夢を見た」
「へぇ〜…そりゃまた…」
夢見のシャナは夢見の通名の如く、未来や重要な出来事を夢に見る女だ。
十年閉じ篭って生きるしかなかったアルラスト人にとって幸先の良い夢でも見たのだろうか。
シャナに目を向けたが、彼女の表情から吉凶は読み取れなかった。
「シャナ、夢の内容をもう一度」
「はい…。
夢は、一年ほど前から見ていました。全体が赫い、奇妙な夢です。
夢の中で感じたものは、激しい怒りと憎悪…胸が押し潰されそうな、哀しみです。
きっと、呪然の暴走だと思います。匂いがしていましたから。
最近まで夢は感覚と感情だけだったのですが…今朝、はっきりと見えたのです」
恐ろしい夢なのだろうか。シャナの握り合わせた両手は微かに震えている。
一つ大きく息を吸い、固唾を飲んで言葉を待つイルダンの目を見つめ、シャナは唇を開いた。
「あの方の、お顔が…。
見間違えるはずがありません。あのお顔立ちは、確かに、ベネルディオ様でした」
「ベ、ベネルディオ?!」
「ベネルディオ様は十年前、確かに落命された。
だが、ご子息は生死不明のままだ」
ジョゼが神妙な顔つきでイルダンを見つめる。
「シャナが見たベネルディオ様そっくりのお方。
彼は、幾分幼く見えたそうだ」
「生きてるって事か?」
「恐らく」
イルダンの口角は知らず知らず上がっていた。
テーブルに乗せた手が震えているのは、歓喜のせいだ。
「イルダン、マデー。
お前達に彼を捜してもらいたい」
火の長老は静かな声で言った。
「探すったって、何処を」
「シャナは彼の姿以外に、まだ見ているものがある」
「何だよ」
全員の視線がシャナに集まった。
顔色の優れないシャナは、用意された水を一口飲んでから言った。
「死の森です。
あの夢は、現実に起こります。
死の森の…恐らく東側の街、そこで呪然の暴走が、あるはずです…」
「万が一に備えて、俺は西側の街道を張る。
まぁ…あの道を西の人間が使うとは思えないが」
「死の森の東側の街っつーと…、ラインか。
呪然の暴走、ねぇ…。あんまり良い話じゃねぇな」
よし、とイルダンは膝を打った。
善は急げとばかりに席を立つイルダンを、水の長老が「待ちなさい」と制止する。
「必ず探し出して下さい。
地上で生き長らえていたとは言え、彼はこの国になくてはならぬ人ですから」
「了解。
心配すんな、長老方。あいつは俺が必ず、此処へ連れ帰る」
亡き親友の忘れ形見だ。
イルダンは快活な声で笑い、部下のマデーを引き連れて捜索の旅に出た。
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それから二日。
見事にタイミングを逃し場所すらも間違えていたイルダンは、形相も必死に孤児院へ続く急な坂道を息を切らしながら登っている。
こんな時風使いだったら楽なのにと愚痴ながら半分程上った頃には、既に呪然の匂いは消えてしまっていた。
それどころか、野次馬の群れは重いリヤカーを引く彼を次々と追い抜いて、孤児院の周囲には黒山の人だかりが出来ている。
「ちっくしょ…何が、俺のガキは世界一、だ!あの野郎…っ。
こんな、回りくどい事に…なるんなら…っ、最初っから、あそこに、疎開させときゃ…良かっただろうがよ!!」
かつての親友に悪態を吐きながら、やっとの思いで坂を上り終えた頃には、完全に息が切れていた。
呼吸を落ち着けるためリヤカーに寄りかかって小休憩した後、イルダンはそっと野次馬の群れに近づいた。
「うっわ。何これ、どしたの」
「ひっでぇよなぁ…。大人は全員生存の希望なしだとよ、兄ちゃん」
「可哀想に…まだ小さい子供も何人か死んじまって」
「へぇ…不審火?それとも不始末?」
「そんな普通な火事なもんか!
消防さんの話じゃ、手足が飛んじまってる死体ばっかりだそうだ」
「噂じゃぁこの孤児院、東の悪魔を二人も置いてるって話だからなぁ」
「へぇ〜ぇ…二人も。
東の悪魔は見つけ次第通告が法令じゃなかったっけ?」
「国に差し出したところで何も貰えねぇし、飼いならせば金かかんねぇ使用人になるからって、こんな田舎町じゃ稀にある話らしいぜ」
「この分だと他にもいるんじゃないのかねぇ…東の悪魔ども。怖いねぇ…」
「ほーう、ふぅーん…へぇ〜…」
一声かけただけでどんどん広がる噂の騒めきに適当な相槌を打ちつつ、イルダンはリヤカーを引いて孤児院の裏手に回った。
野次馬と警察と消防は孤児院の周囲と隣町へ続く街道を封鎖しているだけで、死の森周辺には人っ子一人いない。
亡霊が出るとか、薄気味悪い木が人を食うとか、戦前から西の人間にとってはぞっとするような噂ばかり流れるこの森に用があった。
微かに、呪然を持つアルラスト人の匂いがする。
「アルラストは死なない、か。
よく言ったもんだぜ。なぁ、ベネル」
ふん、と鼻を鳴らし、イルダンはゆっくりとリヤカーを押して森に踏み入った。
勘の良い優秀な部下は、その内追いついてくるだろう。
もしかすると、既に森に入っているかもしれない。
死の森は彼にとって、幼い頃遊びまわった広大な庭のようなものだった。




