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8月31日の憂鬱  作者: あまやま 想
中学生時代
9/19

中学1年生

 とうとう、中学一年生になった。受験勉強を頑張ったおかげかどうかよく分からないが、僕はどうにか私立の灘山中学校に合格することができた。灘山中学校はエスカレーター方式なので、中学校でよほど成績が悪くならない限り、灘山高校へ進学できるらしい。

 僕は中学校に入ってから、バドミントンを始めることにした。その話を父と母にしたところ、母は

「勉強が大切でしょう」

と言っていた。ところが父は

「文武両道、いいじゃないか! せっかく中学生になったことだしな…。ただし、部活に入ったからと言って、成績が悪くなるようなら、すぐに辞めさせるからな!」

と言ってくれたおかげで、バドミントン部に入ることが許された。

 また、小四の夏以来ずっと続いていた、月に一度の父との遠出も、僕が中学生になるのを機に止めることになった。四年生の頃は楽しみで仕方なかったが、最近は父といるよりも友達と遊ぶ方が楽しい。そろそろ、やめたいなぁと思っていたが、これまでのいきさつを考えると、自分からは言い出しにくかった。

「広道も、もう中学生だな。最近は父さんといるよりも、友達と遊ぶ方が楽しんじゃないか?」

「う、うん。実のところ、そうなんだ…」

「そうか、それなら、話が早い。なんか、広道の相手ばかりしていたせいか、どうも、最近、海美が冷たくてね…」

「そうなんだ…」

「これからは、もっと海美の相手をしようと思う」

「そうだね。僕もそれがいいと思うよ」

 ちょっとだけ、心にも思っていないことを言ってみる。実はちょっとさびしいかな…なんて思っていた。

「よし! そうと決まったら、家に帰るか。まあ、急に広道を相手しなくなると、今度は広道が冷たくなるといけないから、月に一度の休みは、家族みんなで外食にでも出かけることにしようかな…」

「それはいいね」

 そんなやり取りもあって、中学生になってからは家族全員で月に一度、外食するようになった。ある時はファミレス、ある時は回転寿司、ある時は定食屋…と言った具合で、近所にあるいろんな店へ行くようになった。

 ある時、バドミントン部の同期である三橋と赤口と僕の三人で「どうしたら、天才になれるか?」と言う実に下らない話をしていた。そしたら、赤口がこんなことを言い出した。

「『天才と馬鹿は紙一重』っていうだろう? だから、とことん馬鹿になるといいんじゃないか? その後、一気にひっくり返れば、きっと世界一の天才になれるぞ」

「お前、それ、マジで言ってるの?」

 三橋は、半ばあきれたように言った。もし、そのひっくり返り方が分かれば、こんな所に通って勉強なんてしなくていいのに…。ユーモアのかけらも感じられない。

「冗談に決まっているだろう…。お前らには笑いのセンスが感じられない…。実に残念だ…」

「なんでやねん!」

「こんな所で、意味不明な突っ込みを入れる大原は特にひどい!」

 うわっ、くやしい…。何か言い返さないと…。そこで三橋と赤口の二人が大笑いするので、思わずつられて笑ってしまった。さっきまで言い合っていたことなんで、どうでもよくなった。三人でいると楽しい。

 私立中学に入ったことで、小学校で一緒だった友達と離ればなれになってしまった。最初はとても不安だった。でも、入学してから時間が経つにつれて、これまでと同じように新しい友達もできた。赤口と三橋とはクラスは違ったが、部活が同じだし、帰る方向も途中まで同じなので、特に仲良くなった。

 もちろん、仮にも名門私立中学なので、朝は七時半から授業が始まり、毎日が七時間授業である。先生達もとても厳しく、宿題もたくさん出る。それ以外にも、日々の予習・復習を怠れば、すぐに授業についていけなくなる。でも、どの先生も面白い授業をして下さるので、不思議と退屈な授業はなかった。授業が終われば、水曜を除いて、毎日部活がある。そのため、朝は六時に家を出て、家に帰るのは夜の八時ぐらいだった。このように中学生になってから、家にいる時間がやたらと短くなった。それこそ、学校中心の生活である。

 この年の六月、薬害肝炎の訴訟が全国的に起きた。原告の数は三千人を超えた。そのため、多くの弁護士がこの裁判の弁護人として、この裁判に関わることになった。もちろん、父も母も例外でなかった。このとき、海美はまだ四歳になっていなかった。この時、母は平日事務所で働き、土日は家でゆっくりする生活を続けていた。本当は海美が小学校に入るまで、この生活スタイルを続ける予定だった。しかし、この非常事態にそんなことを言っていられなくなった。そこで、海美は母の姉である夏子おばさんの所に一ヶ月ほど預けられることになる。

 これまで、家に帰ると必ず母と海美がいたはずなのに、誰もいない。父と母が帰って来るのは、早くて夜の十時…。遅い時は日付が変わっていることもあった。そのため、親と顔を会わせていない日が二、三日も続くこともあった。これまでは母が作ったおいしい手料理を当たり前のように食べることができた。ところが、今は毎日、出前やコンビニの弁当ですませる日々である。朝は朝で、三人とも早く家を出るため、玄関でばったり会って、二言か三言程度交わすだけである。

「おやよう」

と僕が声をかけると、父も母も「おはよう」と返す。

「お父さん、肝炎訴訟って、いつになったらメドがつくの?」

「う〜ん、とりあえず、初公判までに一つでも多くの書類を作らんといかんからな…」

「そうね。原告が少しでも有利に裁判を進めるためには欠かせないことだからね。広道もしっかり頑張るのよ」

「分かっているって、お母さん」

「まあ、初公判が六月三〇日と決まったから、あと二週間が山だ。ああ、今日も雨か…。バドミントンは体育館でやるから、雨でも関係ないか。広道、頑張れよ」

 そう言って、父も母も玄関から勢いよく飛び出した。僕も後に続いた。登校中、梅雨空を恨めしそうに見つめながら、足早に駅へと向かった。電車から時々見えるあじさいが妙に映えていて、きれいだった。

 七月二一日、海美は四歳になった。初公判が終わって、一段落したのか、母はまた以前と同じ生活をするようになり、海美も家に戻ってきた。この日は久々に家族四人がそろって、海美の誕生日を祝った。初公判は終わったとは言え、父は以前よりも忙しそうにしていた。僕も夏休みに部活と塾通いをすることになっていたので、昔のようにゆったりとした空気に包まれることはなかった。もう、海美の誕生日がうらやましいとは昔ほど思わなくなっていた。時の流れは待ってくれない…。ただ、淡々と恐ろしいぐらい規則正しく時は流れる。時計の刻む音が、なんだか憎らしくすら聞こえる。

 夏休みだと言うのに、毎日のように学校に行って、昼過ぎまでバドミントンをやっていた。その後は、いつも赤口と三橋と下らない話をしている。夕方からは塾に行って、夜遅くまで夏期講習を受けた。昼間、活発に動き回っているものだから、うっかり寝てしまうこともある。そして、よく先生に叱られた。そんな日々の中でも、いつか父や母のようになりたいと言う気持ちは強まるばかりだった。

 気がつけば、あっと言う間に八月三一日になっていた。もう、家族四人で遊園地に行くこともなかったけど、四人でそろって一緒にごちそうを食べる。普段、どんなに忙しくても、たまには家族で一緒に過ごす時間があるっていいなと思う。でも、なぜかよく分からないけど、だんだん、この家族団らんの時間が苦痛に思えるようになっている。自分でもよく分からなかった。でも、八月三一日特有の悲壮感や憂鬱感は相変わらずだった。これだけは小学一年生の八月三一日に初めて憂鬱に思ったときから、全く変わらない。

「ああ、また、夏休みが終わる…。どうして、僕は八月三一日に生まれたのだろう…」

 二学期に入ってからも、バドミントン中心の生活は変わらなかった。一応、塾には通っているものの、つまらないし、部活帰りでいつも疲れているから、全く頭に入らなかった。成績は少しずつ下がるようになり、四月にはトップテンに入っていたのに、十月の中間テストでは百番台まで下がってしまった。同学年には二百名しかいないので、今はちょうど真ん中辺りにいることになる。別に高校はエスカレーター方式なので、極端な話、最下位でも進学できる。しかし、このままでは勉強が分からないまま、進学していくことになりかねない。 

 父と母は成績表を見るなり、大きくため息をついた。

「どうやら、僕が間違っていたらしい…。広道には文武両道で頑張って欲しかったけど、このままでは文武両滅になりかねないな…」

「そうね。期末テストで挽回できないようなら、もう部活は辞めてもらわないと…」

「えっ、そんなぁ…」

 思わぬ展開に、僕はどうすることもできずにいた。とりあえず、この場をうまくしのがないといけない。

「わかった。期末テストでは五〇番以内に入るように勉強を頑張るよ。もし、ダメな時は、きっぱりとバッ、バドミントンを辞めるから…」

 動揺のあまり、思わずかんでしまった。多分、ここまで言わないと今辞めさせられるだろう。

「よし、広道がそう言うなら、その言葉を信じよう。お母さんもそれでいいだろう?」

「そうね。とりあえずのところはね…。でも、もし、期末テストで五〇番内に入らなかったときは…、分かっているよね?」

「わかってるよ! 今、約束したじゃないか!」

 そう言って、僕はリビングを出て、部屋に戻った。勢いで言ったものの、実のところ、どうしていいか全く分からない。そりゃ、勉強すればいいんだろうけど、勉強しても分からなくなっているから困ったものである。

 とりあえず、分からない所をこまめに先生に聞くことにした。学校でも塾でも放っておかずに、分からないときはすぐに聞いた。これは赤口と三橋のアドバイスであった。もちろん、部活のキャプテンや顧問の先生には事情をきちんと話した。これで、多少部活に遅れても大目に見てもらえる。まあ、日本トップクラスの名門で名の知れた灘山中学校である。何事も学業最優先である。学業ができないものは、何かを主張することすら許されない。

 分からない所をこまめに先生の所へ聞きに行ったり、授業の前にその日の授業予定の教科書のページを読んでから授業を受けたりと、とりあえず悪あがきを続けてみた。すると、少しずつだが、また授業が分かるようになってきた。また、出された宿題はきちんとこなし、塾では寝ないようにした。眠くなったら、二の腕の内側をつねったり、シャーペンで手のひらを差したり、首をグリングリンと音が出るぐらい振ってみたり、いろいろやった。確かに寝なくはなったが、周りから「イタい子」として見られるようになったのは、思わぬ誤算だった。やっぱり、一つ一つをコツコツと真面目にこなしていくことはつらい。思わず、音を上げそうになる。

 でも、その甲斐あって、二学期の期末テストではなんとか四八番に滑り込めた。おかげでバドミントン部を辞めずにすんだ。あとは、この調子でコツコツとやっていけばいい。もう、中学校最大の危機は乗り越えたと思った。この調子で何となくやっていけば、何とか灘山中学校を卒業して、そのまま灘山高校へ行けるとさえ信じていた。少なくても、中一の頃はそう感じていた。

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