中学3年生
中学三年生になった。中二の夏に万引きがばれて、灘山中学校を退学させられたため、灘山高校へエスカレーター方式で進学することは叶わなくなった。今、通っている公立中から灘山高校を受験することもできたが、入試でぶっちぎりの一位になれたとしても、間違いなく入学させてもらえない。そこで、県内の公立高校トップの高岡高校(通称:タカ高)を目指すこととなった。
そうは言ったものの、タカ高への道のりは本当に厳しい。もし、一年前にあんな愚かなことをしていなかったら、今頃、灘山中でのんびりしながら、そのまま灘山高へ進学できたのに…。過ちの代償は思った以上に大きく、時々、激しく押しつぶされそうになる。
公立中に転校してから、一ヶ月ばかり経った頃、父がバドミントンを続けるよう、ぶっきらぼうに言った。珍しく、母も後押ししてくれた。今では中学総体に向けて、毎日バドミントンの練習を頑張っている。でも、ふとした瞬間に父が突然怒り出して、僕を殴りつけて来るのではないかと恐ろしくなる時がある。後にも先にも、父が僕を殴ったのはあのときだけである。だが、しばらくはあの恐怖が体に染み付いていた。
父が弁護士になるまでのすごくつらい過去を考えれば、あれも仕方ないのかもしれない。しかし、父は日頃から
「弁護士は、法律を武器に言葉で戦わないといけない。暴力など、もってのほかである」
と、言っている。それがあんな風になるなんて、未だに信じられなかった。海美が生まれてからも、兄は何かと我慢することが多いからと、二人で遊園地を回ったり、月に一度は二人で遊びに行ったりと、本当に優しい父親である。僕はそんな父親を裏切ってしまったのだ。父からあんな仕打ちをうけても仕方ない。そんなこと、分かっているけど…。やっぱり、恐い…。
海美は幼稚園の年長になっていた。僕が悪さをしていた頃、海美は幼稚園に入園した。前の年、僕は自分のことに精一杯で、年の離れた妹のことをほとんどかまってやれなかった。中三になってから、昔のように父や母と気軽に話さなくなったせいか、海美と話すことが多くなった。海美がいると、まだ何とか父や母と話せるのである。
七月二一日、海美は六歳になった。妹は僕と違って、小さいながらにしっかりしているし、はきはきとしている。天真爛漫で明るく、人に好かれる要素を生まれながらに持っている妹に、僕はただ嫉妬した。
「きのうね、ようちえん、さいごのひに、うみのたんじょうび、いわってもらったよ」
「海美、それはよかったね。お母さんもうれしいよ」
「お父さんもだぞ。今日は家族みんなで、海美の誕生日を祝おう」
「うみも、うれしい!」
僕はなんだか、邪魔者扱いされているようで、居心地悪かった。そのうち、いても立ってもいられなくなって、こっそりリビングを抜け出し、部屋へ戻った。両親はちらっと僕を見たが、何も言わなかった。
中学総体はあっけなく終わった。あれほど、バドミントンに打ち込んだのに、一回戦で負けた。負けたことはくやしかったけど、妙に清々しかった。不思議だった。高校でもバドミントンを続けて、このリベンジをしてやろうと言う気持ちが全くおきなかった。自分にとって、バドミントンはその程度かとさえ感じた。
夏休みはほぼ毎日塾に通った。家にいるよりも、楽でいられるのがよかった。一日中、家にいるのは本当に苦痛である。別に勉強が好きなわけではないけど、勉強している間は、今ある現実と向き合わなくていいので、そう言った意味では楽だった。あれほど嫌いだった勉強に、こんな効果があるとは思いもよらなかった。
八月三一日は本当に苦痛だった。まず、家族といるだけで、息が詰まりそうなのに…。誕生日を祝ってもらっているため、逃げられないこと。主人公を置いてけぼりにして、三人で勝手に楽しんでいるのは、心底むかつく。ただでさえ、八月三一日の誕生日はあまり好きでないのに、本当に嫌いになりそうだ。
明日から二学期が始まれば、まだ学校に逃げ込めるけど、どんどん高校受験の日が近付くのは苦痛である。どうすれば、楽になれるのだろうか…。どうすれば、居心地のいい場所は見つかるのか。一五歳の誕生日は、ただ迷っていた。広い大洋の中で、行き先が分からずに、ただ漂流を続けていた…。これが人生と言うものか?




