表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
(完了) 元マフィア、異世界で屋台を始める   作者: 星海凡夫


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

81/120

第81話「日常の先に」


飴の王が調和を受け入れ、世界の味が完全に戻ってから数週間が過ぎた。王都の東市場にある屋台は、相変わらずの賑わいを見せている。しかし——その賑わいの中に、少しずつ新しい風が吹き始めていた。


「師匠、今日のまかないは俺に任せてください」

シノが包丁を握りしめて言った。その手つきはもう、弟子入りした当初の震えとは無縁だ。

「いいだろう。何を作る」

「東方風の卵かけご飯です。リクに教わったアオサの粉末を混ぜ込んだご飯に、卵黄をのせて——」

「面白いな。やってみろ」


アリシアは解毒スープの改良に余念がない。最近は解毒だけでなく、日常の健康を支える「養生スープ」としての展開を考えているらしい。彼女のスープを目当てに通う常連客も増えていた。


「アリシアさん、昨日の養生スープ、すごく体が温まりました」

「ありがとうございます。今日は柑橘を少し多めにしてみました」

「楽しみだ!」


リクは井戸端で鍋を磨きながら、村に送る手紙をしたためていた。海の祠が癒えてから、故郷の漁村にも味が戻りつつあるという。彼は自分の学んだことを村に伝え、いつか村にも小さな屋台を開きたいと夢を語るようになっていた。


「リク、手紙か」

「はい。村長さんに、カズマさんの教えをまとめて送ろうと思って」

「いいことだ。教えは広めるためにある」

「はい!」


三人の弟子たちがそれぞれの道を見つけ始めている。それを見守るのが、俺の新しい役割になりつつあった。


昼下がり、リリアがいつもの席で茶をすすりながら言った。

「最近、あんたより弟子たちが作る料理のほうが多くなったな」

「それでいい。屋台は俺だけの場所じゃない」

「……そうだな」

彼女は少しだけ遠くを見つめた。弓は相変わらずカウンターの隅に立てかけてある。しかし最近、その弓の弦が少し緩んでいることに、俺は気づいていた。

「リリア、弓の弦が緩んでるぞ」

「ああ——張り替えようと思ってた」

「嘘だな」

「……嘘じゃない」

「何か考えてるのか」

彼女はしばらく黙ってから、ぽつりと言った。

「最近、戦いが減った。神も獣も祠も、全部片付いて——私の役目が、少しわからなくなってた」

「役目は弓を引くことだけか」

「違う。ここにいることだ。でも——それだけでいいのかと思って」

「それでいい。ここにいるだけで、お前は誰かを守っている」

「……誰を」

「俺を。弟子たちを。この屋台を」


リリアは答えず、茶を一口すすった。しかしその口元が、かすかに緩んだのを俺は見逃さなかった。


夕方、アリシアが改まった様子で俺の前に立った。

「師匠。お話があります」

「なんだ」

「王宮から——正式に、王位継承の打診がありました。顔の爛れが癒え、公務に復帰してから、ずっと待ってほしいと言われていたのですが——」

「王女としての責務だな」

「はい。でも——私は、ここで料理を作り続けたい。王女としてではなく、一人の料理人として」

「なら、断ればいい」

「しかし、そうすると王位は遠い血族に渡り、王国の未来が——」

「アリシア」

俺は静かに言った。

「お前が王女として国を治めるのも、料理人として誰かの腹を満たすのも、どちらも“誰かのために生きる”ことだ。どちらを選んでも、間違いじゃない」

「師匠は——どちらがいいと思いますか」

「俺は、お前の料理を食い続けたい。それだけだ」


アリシアは少しだけ目を潤ませ、深くうなずいた。


その夜、屋台を閉めた後、トシが姿を現した。いつもの着物姿、いつもの扇子——しかし今日は、少しだけ神妙な顔だった。

「なあ、カズマ。ちょっと話がある」

「なんだ」

「俺、しばらく旅に出ようと思う」

「旅」

「ああ。世界中の祠が癒えて、味が戻った。でも——まだまだ味を知らない者たちが、遠い地にたくさんいる。兄貴も一緒に行く。食神としての本来の仕事を、もう一度やり直したいんだ」

「グーラも」

「ああ」

グーラが静かに姿を現した。

「我はかつて、味を歪めた。その罪を償うために、今度は味を広げたい。弟と共に——世界中を巡り、料理の喜びを伝える旅に出る」

「そうか」

「お前には——本当に世話になった。礼の言葉もない」

「礼はいらない。お前たちは、俺の客だからな。客が旅立つのは当たり前だ」

「カズマ——」

「いつでも帰って来い。ここには、いつでも焼きおにぎりがある」


トシは扇子を閉じ、少しだけ笑った。その目は、初めて出会った時よりずっと優しかった。

「じゃあ、行ってくるよ。また会おう」

「ああ。元気でな」

二人の食神が去り、市場の夜は静かだった。


数日後、屋台には一枚の地図が貼られることになった。弟子たちが広げたそれは、大陸全土を描いた古い羊皮紙で、各地の祠や村の名が細かく記されている。


「何をしてるんだ」

「次の旅の計画です」

シノが顔を上げた。

「トシさんたちが世界中を巡るなら、俺たちも負けてられない。屋台の味を広げたいんです。王都だけじゃなくて、もっと遠くの村や町にも」

リクが続ける。

「俺の故郷にも、小さな屋台を作りたい。母さんの味を、村の人たちにも」

アリシアが微笑んだ。

「私は王宮と市場をつなぐ料理を作り続けます。王女として、料理人として——両方できることを」

「面白いな。好きにしろ。俺はここで、いつも通り屋台を開ける」


リリアが地図を覗き込みながら言った。

「私も、たまには旅に出ようかな。エルフの里にも顔を出したい」

「戻ってくるのか」

「当たり前だ。ここは——私の居場所だからな」


その言葉に、アリシアが顔を上げ、リリアと目を合わせた。一瞬の沈黙。それから二人は、かすかに微笑み合う。言葉はなかった。しかし——確かに、何かが通じ合った瞬間だった。


「よし、明日からまた忙しくなるぞ。今日は早く休め」

「はい、師匠!」

三人の弟子たちがそれぞれの持ち場に戻り、リリアが弓の弦を張り替え始める。ゴルドアとマクシミリアンは市場の見回りに出かけ、将軍は明日の粥の仕込みを始めていた。


グレゴールとエレナは新しいメニューの相談を続けている。ヴァルケンと戦士たちは、屋台の看板を新しく塗り直していた。シロガネとクロ、ガルムと喪犬は市場の片隅で静かに昼寝を決め込んでいる。


カウンターの隅には、トシとグーラが残していった小さな扇子が一つ。その絵は——屋台と、そこに集うすべての者たちの姿だった。


もうすぐ新しい季節が来る。屋台の物語は、まだ続いていく。


(第81話 終)


▼ 次回予告(第82話用の引き)


弟子たちがそれぞれの夢を語り始めた矢先、屋台に珍しい客が訪れる。

「カズマ殿——西方諸国連合の調理院より、正式な依頼です。大陸統一料理大会の審査員を、お願いできないでしょうか」

(次話:「大陸料理大会の知らせ」)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ