第78話「最後の旅立ち」
王都に戻った一行を待っていたのは、各地の祠から寄せられた無数の情報だった。ヴィオラが食糧庁の職員たちと共に整理した地図には、甘い霧の発生源と思しき地点がいくつも記されている。しかし、そのすべてが指し示す先はただ一つ——北の果て、氷原の下に眠る「飴の宮殿」だった。
「飴の王、か」
広間に集まった面々を見渡しながら、俺は呟いた。
「かつて神々が封じた“甘味の権能”そのものが意思を持った存在。それが今、世界中の味を甘さ一色に染めようとしている」
「ああ」
トシが扇子を閉じて言った。
「俺も兄貴も、飴の王のことは伝承でしか知らない。封じられたのがあまりに古い時代で、神々の会議でも話題にすらならなかった」
「しかし、その封印が解けかけている。甘い霧はその前兆だ」
グーラが静かに続ける。
「すべての祠を癒した今、飴の王の力は弱まっているはず。だが——完全に封じるには、宮殿の中核に直接“味の調和”を捧げなければならない」
「味の調和」
「ああ。甘味だけではない。酸味、塩味、苦味、うま味——すべての基本の味が調和した一皿。それだけが飴の王を鎮められる」
エルムが地図を広げ、北の果てを示した。
「飴の宮殿は氷原の地下深くに眠っている。道中は厳しい寒さと、甘い霧に取り憑かれた者たちの群れが待ち受けるだろう。かつて私が飢餓の神殿へ向かった時よりも、過酷な旅になるかもしれない」
「それでも、行く」
俺は静かに言った。
「行かねば、世界中の味が甘さに呑まれる。それは——料理人として、看過できない」
リリアが弓を握り直して立ち上がった。
「私も行く。当然だろ」
「ああ」
シノとアリシア、リクも同時に立ち上がる。
「師匠、俺たちも」
「私もです」
「俺も、母さんの味を守るために——」
「よし。三人とも同行だ」
ゴルドアとマクシミリアンが無言で立ち上がり、ギリアムが大剣を担ぎ直す。将軍は少し考えてから言った。
「私は残ろう。王都の屋台と、これまでに癒した祠の監視がある」
「助かる」
ヴァルケンと戦士たちもまた、屋台の留守を守るとうなずいた。グレゴールとエレナは旅のための保存食と薬草の束を用意し始めている。
その夜、屋台では最後の晩餐が開かれた。といっても特別な料理はない。いつもの焼きおにぎりと味噌汁、卵焼きに将軍の粥——普段通りのまかないを、普段通りの仲間たちと囲む。
「なあ、カズマ」
リリアが焼きおにぎりをかじりながら言った。
「飴の王を鎮めたら——」
「終わったら、また屋台を開く。それだけだ」
「そうか。じゃあ、私も帰ってくる」
「どこに」
「ここに。屋台に。ここは——私の居場所だからな」
俺は答えず、炭火を見つめた。リリアも何も言わず、ただ焼きおにぎりの最後の一口をかみしめている。
アリシアがそっと隣に座った。
「師匠。私が王女としてでなく、一人の料理人としてここにいることを、後悔したことはありません」
「そうか」
「はい。これからも——ここにいたいと思います」
「……わかった」
彼女たちの言葉の重みを、俺は静かに受け止めた。
トシが扇子を広げて言った。
「飴の王かあ。でも、お前の料理には甘味だけじゃなくて、今まで出会ったすべての味が詰まってる。それがあれば、飴の王にも届くはずだ」
「ああ。届かせる」
グーラも静かにうなずく。
「我々も共に行く。神としてではなく、一人の料理人として——お前の味を守るために」
「ありがたい」
夜が更けて、それぞれが明日の準備に戻っていく中、俺は一人、屋台のカウンターに立っていた。明日出発すれば、また長い旅になる。だが——やることは変わらない。辿り着き、料理を作り、味を戻す。それだけだ。
翌朝、東の空が白み始める頃——一行は王都の北門に集まった。
俺、リリア、ギリアム、ゴルドア、マクシミリアン、エルム、シノ、アリシア、リク——そして気配を消したトシ、グーラ、シロガネ、クロ、ガルム、喪犬。総勢十数名の一団を、ヴィオラやランドル、将軍、ヴァルケンたち、そして常連客たちが見送りに集まっている。
「カズマ、これを持って行け」
ヴィオラが差し出したのは、食糧庁の通行証と、北の果てへの古い地図だった。
「北の国境までは通行証が使える。それより先は——」
「未知の領域だな。わかってる」
「必ず帰って来い。屋台を、もう一度開けるために」
「ああ。約束だ」
将軍が無言で差し出した包みには、保存食と彼特製の粥の素が入っていた。ヴァルケンと戦士たちも次々に包みを渡してくる。グレゴールとエレナは最後まで無言で、しかし深く頭を下げた。
「留守を頼むぞ」
「お任せを」
「いってらっしゃいませ、師匠」
屋台の看板には、一枚の張り紙が貼られていた。
『しばらく留守にします。留守の間の営業は将軍とヴァルケンたちが続けます。今度こそ、世界の味を全部取り戻してくる。——カズマ』
「よし——出発だ」
「了解!」
「はい!」
一行は北へ、北へと歩みを進める。行き先は氷原の下に眠る飴の宮殿。そこに待つのは、甘味の権能そのものが意思を持った古の存在。すべての基本の味を調和させた一皿で、それを鎮めるために——屋台シェフの最後の旅が、今始まる。
(第78話 終)
▼ 次回予告(第79話用の引き)
北の果てを目指す一行は、凍てつく氷原の入口に立っていた。そこには甘い霧に取り憑かれ、正気を失った者たちが彷徨っている。
「甘い……もっと甘いものを……」
彼らを救う方法はただ一つ——甘味だけではない、すべての味を思い出させる料理を作ること。
(次話:「氷原の彷徨者たち」)




