第53話「味の巡礼者たち」
飢餓の神殿を発ってから五日、一行は王都へと続く街道を南へ進んでいた。行きはあれほど苦労した道のりも、封印が修復された今は嘘のように穏やかだ。空気は温かみを取り戻し、枯れ果てていた荒野のそこかしこに、小さな緑が芽吹き始めている。
「世界が、息を吹き返してるみたいだ」
リリアが弓を肩にかけ直しながら言った。
「ああ。原初の飢餓が眠りについて、大地にも少しずつ生命が戻っている」
エルムがうなずく。
「封印が完全に修復された証拠だ。これでしばらくは——大丈夫だろう」
シノがふと前方を指さした。
「あれ——村かな。煙が立ってる」
見ると、かつて荒れ果てた荒野だった場所に、小さな集落ができていた。十数軒の素朴な家々と、中央には簡素な広場がある。そして——その広場に、人だかりができている。彼らはみな、何かを囲んでいた。
近づいてみると、広場の中央には小さな竈が据えられ、数人の男女が真剣な顔で鍋をかき混ぜている。周りにはそれを見守る人々がいて、時折「塩が足りない」「火加減は弱火だ」と声をかけ合っていた。
「これは——」
アリシアが目を輝かせる。
「料理を教え合ってるんです。みんなで」
俺たちの姿に気づいた一人が顔を上げ、目を大きく見開いた。
「カズマ様——!?」
「俺を知ってるのか」
「知ってます!もちろんです!五つの祠を料理で鎮めた“屋台シェフ”の噂は、もう方々に広がってます。ここは——あなたの旅に感銘を受けた者たちが集まってできた村なんです」
若者は興奮した様子で村の成り立ちを語った。もともとこのあたりは飢餓の影響で作物が育たず、住む者もいなかった。しかし、俺たちが祠を鎮めるたびに大地が癒え、水が湧き、緑が戻り始めた。すると、各地から「味を取り戻したい」と願う者たちが集まり、互いに料理を教え合う小さな共同体が生まれたのだという。
「俺たちは自分たちのことを“味の巡礼者”と呼んでます。カズマ様の旅を追いかけて、自分たちも誰かのために料理を作れるようになりたくて」
「……俺の旅を」
「はい。あなたがこれまで作ってきた料理の噂を聞くたびに、俺たちはそれを真似して、自分たちの味を作ろうと頑張ってきたんです」
若者が鍋を差し出した。中には素朴な野菜粥が煮えている。材料は粗末だが、湯気と共に立ち上る香りには、確かな温かみがあった。
「“祠の粥”って呼んでます。五つの祠の話から、自分たちなりに考えたレシピです。まだまだですけど——よかったら、食べてください」
俺は一口すくって口に運ぶ。塩加減は少し強いが、野菜の甘みが出汁に溶け、素直にうまい。何より——誰かのために作った味が、ちゃんと生きている。
「うまいよ」
「……ほんとですか!?」
「ああ。これが、お前たちの“味の巡礼”の証だ。誇っていい」
若者は涙を浮かべて叫び、広場中に歓声が広がった。
その夜、村の広場ではささやかな祭りが開かれた。
巡礼者たちがそれぞれの得意料理を持ち寄り、長いテーブルに並べていく。祠の粥、焼きおにぎりの模造品、卵かけご飯の亜種、解毒スープの簡易版——どれもが、俺たちの旅の料理を真似て、少しずつ自分たちの味を加えたものだった。
「なあ、カズマ。こいつら、お前の真似をしてるだけじゃないか」
トシがこっそり耳打ちする。
「いいんだ。真似から始まる。誰だって最初は、誰かの味を真似るところから入る」
「で、そこから自分の味を見つける、か」
「ああ。見つける者もいれば、見つけられない者もいる。でも——誰かのために作ることだけは、誰にでもできる」
リリアが焼きおにぎりの模造品をかじりながら言った。
「これ、悪くない。焦げ方が少し足りないけど——ちゃんと醤油の香ばしさがある」
「あんたが認めるとはな」
「私だって、最初はあんたの焼きおにぎりを真似るところから始めたんだ」
シノとアリシアは、若い巡礼者たちに囲まれて料理の指導をしていた。
「包丁はこう握るんだ。力を入れすぎるな」
「解毒スープは、柑橘の皮をすりおろすのがコツです。香りが格段に良くなる」
「はい!」
「なるほど——!」
二人が教える姿は、もう弟子ではなく、一人前の料理人だった。
ゴルドアとマクシミリアンは村の警備の相談に乗り、ギリアムは若者たちに剣の手ほどきをしている。戦うための剣ではなく、食材を狩るための護身術だ。
エルムは広場の隅で静かに茶をすすりながら、祭りの光景を見守っている。千年間、孤独に封印を守ってきた半神の目に、この光景はどう映るのだろうか。
グーラとシロガネ、クロ、ガルム、喪犬は村の外れで気配を消しながらも、こっそりと焼きおにぎりをつまみ食いしていた。
祭りがたけなわを迎えた頃、最初に声をかけてきた若者が、おずおずと俺の前に立った。
「カズマ様——俺たち、これからもここで料理を作り続けます。そして、いつか——」
「いつか」
「あなたの屋台に、自分の味を食べてもらいに行きたい。本当の“味の巡礼”の証として」
「いいだろう。いつでも来い。ただし——」
「ただし」
「材料は自分で持ってこい。うちの屋台は、ぼったくりだからな」
「……はい!」
若者は笑顔でうなずき、広場に戻っていった。
アリシアがそっと隣に立つ。
「師匠。この村の人たち——みんな、あなたに救われた者たちです。毒に苦しんだ私が、あなたの料理で救われたように」
「俺が救ったんじゃない。お前たちが自分で、自分の味を見つけたんだ」
「それでも——きっかけを作ったのは、あなたです。これからも、世界中にこんな村が増えていくかもしれない」
「そうなったら、屋台が忙しくなるな」
「ふふ——そうですね」
翌朝、俺たちは村を発つことにした。
村人たちは総出で見送りに来て、口々に「また来てください」「今度はもっとうまい料理を作ります」と叫んでいる。
「ここで教えたことは、あくまで基本だ」
俺は若者たちに向かって言った。
「これから先、どんな料理を作るかは、お前たち次第だ。誰かのために作り続ければ、自然と答えは出る。ただ——焦るな。料理に、早すぎることも遅すぎることもない」
「はい!」
若者たちは一斉に頭を下げた。その手には、それぞれの包丁や鍋が握られている。
「よし——出発だ」
「了解」
「ああ」
街道を南へ歩きながら、リリアが言った。
「あの村、大きくなりそうだな」
「ああ。そうなったら、市場ができて、屋台の出店も必要になる。誰か派遣しないと」
「あんた、また商売の話か」
「商売じゃない。味を広げるんだ」
「……あんたらしいな」
トシが扇子を広げて笑う。
「“味の巡礼者”か。面白いな。世界中に広がれば——いつか、神々の会議でも味の話ができるようになるかもな」
「そう願うよ」
一行は、次第に緑が増えていく街道を、王都へと急いだ。
(第53話 終)
▼ 次回予告(第54話用の引き)
ついに王都の城壁が目前に迫る。旅立ちから数ヶ月——戻ってきたカズマたちを待っていたのは、留守を守り続けた常連客たちの歓声と、少し様変わりした屋台だった。
(次話:「王都への帰還」)




