第4話「審問官と最後の晩餐」
ランドルが屋台に現れたのは、それから三日後のことだった。
前回と同じく早朝、人気のない時間帯。だが今日の彼は、どこか切迫した面持ちで、手に一枚の羊皮紙を握りしめている。
「カズマ、話がある」
「朝飯は」
「……食ってる場合か」
「食え。話はそれからだ」
ランドルは口を開きかけて、やめた。この男、学習している。俺は手早く昨夜の残りの出汁を温め、溶き卵を流し込む。ご飯をよそい、刻みネギを散らして、卵かけご飯ならぬ「卵とじご飯」の即席朝食だ。見た目は質素だが、出汁は煮干しと昆布の二段構え、醤油は小豆島の再仕込み。一口食えばわかる。
ランドルは無言で三口かきこみ、一瞬息を止め、それから顔を上げた。
「……なぜお前の飯はこうなんだ」
「さあな。で、本題は」
彼は羊皮紙を広げた。硬質な筆記体で綴られた公式文書。末尾には、隣国ハイデルン聖王国の印章——剣と聖杯をあしらった封蝋が押されている。
「カズマ(旧名不詳)。異能調理による民心の惑乱、非公認の奇跡流布、神の権能の私的濫用の疑い。ついては異端審問官一名を派遣、実地調査ならびに審理を行う」
「……異端審問官」
「ハイデルンは信仰国家だ。奇跡は教会だけが独占するものと定めている。お前の料理は、そいつらのルールを踏み荒らしてる」
「心当たりはあるな。ライルの骨折を握り飯で治した。あれは確かにやりすぎた」
「審問官は明日にもこの街に到着する。名前はヴェルナー。齢六十、過去に三十件の異端審理を担当し、二十五件で火刑を勝ち取っている。通称“聖なる刃”」
リリアが音もなく背後から近づいてきて、俺の手元を覗き込んだ。
「……どうする」
「決まってる。飯を食わせる」
ランドルが呆れた顔で俺を見る。
「正気か。相手はお前を火あぶりにしに来るんだぞ」
「ならなおさらだ。腹が減っては審問もできまい」
翌日の昼下がり、件の審問官は予告より半日早く現れた。
白髪交じりの短い頭髪、痩せぎすの長身、漆黒の司祭服。背後には聖騎士が二人、鎧を光らせて控えている。観光客のふりをした監察局の若い連中が、遠巻きに見守っていた。
老人——ヴェルナーは屋台の前に立ち、値段表をじっと眺めた。
「焼き鳥一本30ゴールド。カツ丼450ゴールド。ずいぶんと強気な値付けだな」
「材料がいいんです」
ヴェルナーの灰色の目が、俺を射抜く。
「お前がカズマか」
「そうです」
「私はハイデルン聖王国異端審問官、ヴェルナー。単刀直入に聞く。お前の料理は奇跡か、魔術か、それとも詐欺か」
「どれでもありません。料理です」
「料理で骨折が治るか」
「治ったのは事実です。ギルドの記録にも残ってる」
ヴェルナーはしばらく俺の目を見つめてから、ゆっくりと腰を下ろした。
「……よかろう。ならばその“料理”とやらを、この老いぼれにも食わせてもらえるか」
「もちろん。何がお好きですか」
「好きなもの、か。そうだな……最後に美味いと思った飯が何だったか、もう思い出せん。お前に任せる」
俺はその言葉に、一瞬だけ手を止めた。最後の飯。この老人は、もしかすると——いや、今は考えまい。
俺が作ったのは、「とん汁定食」だった。
具だくさんの味噌汁に、炊きたての白米、たくあん二切れ、そして冷ややっこ。それだけだ。奇跡もなければ、バフもろくにつかない。システムのポップアップは、《HP+5、満腹度80%》の質素な表示だけ。つまり、ほぼ普通の食事である。
だが——これが、俺の答えだった。
ヴェルナーはまず味噌汁を一口すする。それから豆腐を箸で割り、ご飯をひとつまみ口に運ぶ。ひたすら静かな食事だった。聖騎士たちは呆気にとられ、ランドルは息をひそめ、リリアは遠くから弓を握ったまま見守っている。
ヴェルナーは最後の一粒を食べ終えると、箸を置き、目を閉じた。
「……五十年ぶりだ」
「何がです」
「ただの飯が、うまいと思ったのは」
老人の声は、かすれていた。さっきまでの硬質な審問官のそれではない。
「私はな、カズマ。若い頃に教会の厨房で育った。シスターたちが大鍋で作る、具だくさんの味噌汁が何より好きだった。神に仕えると決めた日も、異端を裁く側になると決めた日も、私はあの味噌汁のことを考えていた。だが、いつの間にか——味を、忘れていた」
「審問官の仕事が、味を忘れさせたんですか」
「人を裁き、火をくべることに、味覚は必要ないからな」
沈黙。
それから彼は、ゆっくりと立ち上がった。
「カズマ。お前の料理は、奇跡でも魔術でもない。ただの飯だ」
「ええ」
「ただの飯が、なぜこれほどの力を持つ」
「人間は腹が減ると、正気を失います。正気を失った人間は、裁くことも祈ることもできない。俺はただ、腹を満たしてるだけです」
「……ただの飯で、人が救えると思っているのか」
「少なくとも、殺すよりは救えます」
ヴェルナーはしばらく俺を見下ろし、それから——かすかに、口の端を歪めた。笑っているのかどうか、判別できない表情だった。
「報告書にはこう書く。『異端性なし。ただし要注意対象として経過観察を推奨』」
「……よろしいんですか」
「火あぶりにしては、飯がうますぎた」
彼は羊皮紙を取り出し、サインを走らせた。聖騎士たちが驚愕の声をあげる。
「審問官猊下!正気ですか!?」
「正気だ。それとも、お前たちもここで飯を食うか?」
聖騎士たちは顔を見合わせ、それから——そのうちの若い方が、おずおずと手を挙げた。
「……焼き鳥、塩で」
夕方までに、聖騎士二人は焼き鳥十本とカツ丼を平らげ、ヴェルナーはみそ汁をおかわりした。異端審問は、こうしてあっけなく幕を閉じた。
見送り際、ヴェルナーは振り返らずに言った。
「気をつけろ、カズマ。教会の中には、私よりずっと冷酷な者がいる。“聖餐庁”の連中だ。奴らは食を支配することで人心を掌握しようとしている。お前の屋台は、いつか必ず奴らの標的になる」
「聖餐庁」
「食の奇跡を、教会の独占物と定めている部署だ。次に来るのは審問官ではない。暗殺者か、あるいは——接収部隊だ」
ヴェルナーの背中が、街の門の向こうに消えるまで、俺は見送っていた。
リリアが隣に立つ。
「……面倒なことになってきたな」
「もともと面倒な人生だ」
「これからどうする」
「決まってる。明日も屋台を出す」
クロがくぅんと鳴いて、俺の手のひらを舐めた。カルパス、まだもらってなかった。
夜、宿の窓から王都の方角を眺める。聖餐庁。食を支配する組織。それはつまり、この世界の誰かが、俺のスキルとまったく同じ発想を持っているということだ。
「食わせて支配するか、食わせて解放するか」
どちらを選ぶかは、これからの俺の料理次第だ。
(第4話 終)
▼ 次回予告(第5話用の引き)
屋台に新しい顔が並び始めた——聖餐庁の動きを察知して、俺を“接収”しようとする貴族たちだ。
「カズマ殿、我が領地で店を持たないか?報酬は好きなだけ積もう」
「いや、うちの商会でブランド化しよう。のれん分けだ」
大人気、と喜んでいる場合ではない。これは、獲物の奪い合いだ。
(次話:「貴族の舌と甘い罠」)




