第36話「交流会前夜」
大陸交流会を三日後に控えた王都は、かつてない熱気に包まれていた。
街の大通りには各国の旗が掲げられ、会場となる王宮前の大広場には巨大な調理ステージが設営されている。西方諸国連合の美食教団、北方帝国の軍用糧食部門、東方自由都市同盟の料飲組合——大陸中の料理人たちが続々と到着し、宿はどこも満室で、市場には見たこともない異国の食材が並び始めていた。
「まるで祭りだな」
リリアが市場を見渡しながら言う。
「十年に一度の大祭だ。これで祭りでなくてなんだ」
屋台の前にも、普段の数倍の客が並んでいる。常連の商人や冒険者に加え、遠方からやってきた旅人や、交流会の見物客、果ては他国の料理人までもが「噂の屋台」を一目見ようと詰めかけていた。
「すみません、焼きおにぎり二つ!」
「こっちは味噌汁定食を三人前!」
「椎茸ご飯の大盛りはまだか!」
俺は黙々と握り飯を握り、グレゴールが出汁を継ぎ足し、エレナが野菜を刻み、シノが必死に皿洗いと配膳をこなす。将軍とギリアムは長蛇の列を整理し、時折割り込みをしようとする不埒者を睨みで追い返していた。
「カズマさん!卵かけご飯、三つ入りました!」
「よし、作れ」
「はい!」
シノは緊張した面持ちで卵を割り、醤油を垂らし、刻みネギを散らす。その手つきは、弟子入りした当初とは比べ物にならないほど上達している。彼の卵かけご飯はすでに常連客の間で評判になり、「弟子の卵かけご飯」としてメニューに定着していた。
「うまい!シノ、また腕を上げたな!」
「あ、ありがとうございます!」
シノは照れくさそうに頭をかきながら、次の注文に取りかかる。
昼過ぎ、ようやく客足が一段落した頃——見知った顔がふたつ、市場の入口に現れた。
「カズマ殿!お久しぶりです!」
「エグゼビア。それにアルデも」
「はい。西方から、交流会の代表団の一員として参りました」
元・美食教団の味覚司祭長エグゼビアと、元・味覚喰いのアルデだった。二人は無味砂漠の村に残って料理を教えているはずだが——。
「村はどうした」
「大丈夫です。今では村人たちだけで炊き出しができるようになりました。それに——」
アルデが微笑む。
「私たちも、カズマ殿の料理をまた食べたくて。交流会で、あなたが王国代表として料理を振る舞うと聞き、矢も盾もたまらず」
「そうか。腹は減ってるか」
「はい。実は朝から何も」
「なら、まず食え。今日のまかないは椎茸ご飯の大盛りだ」
二人は顔を見合わせて嬉しそうにうなずき、カウンターに並んで座った。
夕方、さらに思いがけない来客があった。
「カズマ」
ヴィオラが現れたのは、屋台を閉めようかという時間だった。彼女の後ろには、見慣れない制服を着た数人の男たちが控えている。
「交流会の警備担当だ。王国騎士団から派遣された。お前の屋台の周辺も、当日は警護する」
「物々しいな」
「当然だ。今回は大陸中の要人が集まる。それに——」
ヴィオラは声を潜めた。
「例の“先遣隊”の情報が入った」
「戦神の」
「ああ。昨夜、王都の城門で、正体不明の一団が確認された。全員が黒衣に身を包み、顔は仮面。門番が呼び止めようとしたが——気がついたら、誰もその場に立っていなかったという」
「神の軍勢だ。人間の目には止まらん」
「そうらしい。ただ——そのうちの一人が、城門の石壁にこれを刻んでいった」
ヴィオラが差し出した羊皮紙には、壁に刻まれた文字を書き写したものが記されていた。こうある。
「査察の上、価値なしと判定せば——接収する。戦神の名において」
「価値なし」
「ああ。お前の料理が、戦神の基準で“価値なし”と判定されれば——お前は神の名で“接収”される。つまり、拉致される可能性がある」
「価値ありなら」
「その時は——“神の料理人”として、戦神の軍に強制加入させられる。どちらに転んでも、自由はなくなる」
リリアが立ち上がった。その手は弓を握りしめている。
「そんなの、許せるわけがない」
「リリア」
「あんたは今まで、誰にも自由を奪われずに料理を作ってきた。神にだって、それを邪魔する権利はない」
「その通りだ。でも、まずは交流会だ。戦神の先遣隊が来るなら——その場で料理を食わせる」
「食わせて、どうする」
「判定させる。俺の料理に価値があるかどうか——神の舌で、決めてもらう」
ヴィオラが眉をひそめる。
「正気か。神が相手だぞ」
「神でも人間でも、腹が減れば同じだ。それに——」
俺はカウンターに置かれた一つの包みを見た。それはエルナから預かった、王国代表の封書。そしてその隣には——交流会で振る舞うための、特別な食材が少しずつ集められていた。
「今回は、俺だけの料理じゃない。王国の料理人たちの、総力を結集する」
グレゴールが静かにうなずく。
「私も、一皿作る。聖餐庁時代のレシピを封印するのは、もうやめた」
「エレナも」
エレナが顔を上げる。
「私に何ができるかわかりませんが——毒味役としての知識を、解毒の一皿に活かせれば」
「私は焼きおにぎりを極める」
リリアが言った。
「もう、あんたの真似事じゃない。私の焼きおにぎりを作る」
「いいだろう。シノは」
「はい!」
シノは包丁を握りしめて立ち上がる。
「俺は——卵かけご飯で勝負します!」
「よし。みんな、それぞれの一皿を持ち寄る。それが俺たちの“王国代表の料理”だ」
その夜、屋台の灯りを消した後、俺は一人で仕込みをしながら考えていた。
交流会で何を作るか——まだ、はっきりとは決めていない。だが、一つだけ決めていることがある。
それは、この世界の食材と、異世界の食材を一緒に使うことだ。Deliveryで取り寄せた日本の米や醤油だけではない。この世界で見つけた無味砂漠の岩塩、カジカの村の山菜、王都の井戸水——そのすべてを一つにまとめた一皿を、作るべきだと思っている。
なぜなら、それが「この世界で生きる」ということであり、「誰かのために作る」ということの本質だからだ。異世界から来た食材で、異世界から来た俺が作っても、それはただの日本料理の再現に過ぎない。そうじゃない。この世界の土を踏み、この世界の水を飲み、この世界の誰かのために——今、ここでしか作れない料理。それが、王国代表として俺が振る舞うべき一皿だ。
「……粥、か」
俺は小さく呟いた。貧しい村の粟粥でもなく、母の白いご飯でもない。この世界の穀物と異世界の穀物を合わせた、新しい粥。具は——まだ決まっていない。だが、食べた者の腹を温め、心をほどき、誰かの顔を思い出させるような——そんな一皿を作りたい。
「なあ、カズマ」
いつの間にか、トシがそばに座っていた。いつもの着物姿、いつもの扇子。金色の目が、暗い厨房の中で静かに光っている。
「交流会、楽しみだな」
「ああ」
「俺も、何か手伝おうか」
「神が手伝うと、反則になりそうだ」
「そうかもな。でも——味見ぐらいならいいだろ」
「ああ。頼む」
トシは少しだけ笑って、それから遠くの空を見上げた。
「兄貴も、ガルムの教育を一段落つけて、こっちに来るってさ。シロガネとクロも一緒に」
「フェンリルが王都に来るのか」
「大丈夫だ、気配を消すから。交流会には、神も獣も、こっそり参加する。そういう集まりだ」
「面白くなってきた」
「だろ」
星が、一つ、また一つと空に浮かび始めている。王都の夜は、交流会を前にしても静かだった。だがその静けさの奥に、大きなうねりが近づいているのを、俺は感じていた。
明日、交流会の準備が本格化する。そして明後日——大陸交流会が、幕を開ける。
(第36話 終)
▼ 次回予告(第37話用の引き)
ついに開幕した大陸交流会。各国の代表が次々に料理を振る舞う中、カズマたち王国代表団は、調理場で最後の仕込みに入る。
しかしそこへ——黒衣の一団が姿を現した。
「我々は戦神の先遣隊。カズマとやらの料理を、査察する」
(次話:「開幕、大陸交流会」)




