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(完了) 元マフィア、異世界で屋台を始める   作者: 星海凡夫


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第30話「毒の料理対決」



翌晩、旧下水道の闇市は、前夜とは比べ物にならないほどの熱気に包まれていた。


赤と黒の帳が増やされ、燭台の数は倍になり、中央には二つの調理台が向かい合って据えられている。一方は黒檀、もう一方は白樺——毒と薬、死と生を象徴するかのような対比だった。観客席には、仮面をつけた貴族や料理人たちがひしめき、その数は優に百を超える。彼らは皆、異様な高揚感に目をぎらつかせ、今か今かと開始を待っていた。


「まるで見世物だな」

リリアが苦々しげに言う。彼女は観客席の最前列に陣取り、いつでも弓を取れる姿勢で座っている。隣にはギリアム、将軍、エレナ、そしてグレゴールも来ていた。屋台を一時閉めて、全員がこの場に集まったのだ。


「毒の料理対決——こんなものが娯楽になるとは」

グレゴールが静かに呟く。

「聖餐庁ですら、ここまでの冒涜は許さなかった」

「だが、カズマは受けた」

将軍が言った。

「奴には、勝算があるのだろう」


エレナは無言で、自分の舌を押さえていた。毒味役だった彼女は、この空気だけで舌が痺れるのを感じているのだろう。それでも彼女は、目を離さずに調理台を見つめている。


やがて、銅鑼の音が鳴り響き、闇市の支配人らしき仮面の男が高らかに宣言した。

「これより——“毒の料理対決”を開催する!挑戦者は屋台シェフ、カズマ!迎え撃つは我らが毒師、ジルベール!テーマは“毒”!互いに毒の一皿を作り、相手に食わせる!負けた方は——その毒で死ぬ!」


観客がどよめき、拍手と奇声が入り混じる。狂気じみた熱狂が、地下空洞を満たしていった。




ジルベールは黒檀の調理台の前に立ち、ゆっくりと両手を掲げた。その手には、昨夜と同じ銀の杯が握られている。彼は杯を傾け、中の毒酒を一息に飲み干した。喉が焼けるはずなのに、彼の顔は平然としている。


「カズマ。お前は毒を料理に変えたと言ったな」

「ああ」

「ならば、私も料理を毒に変えて見せよう。これが——私の“毒”だ」


彼が取り出したのは、小さな黒い瓶だった。瓶の中では、どろりとした紫色の液体が脈打っている。瓶の栓を抜くと、甘ったるい腐臭が会場中に広がり、観客たちが一斉に口元を押さえた。


「これは“蠱毒”。異世界の毒虫を百匹、壺の中で殺し合わせ、最後に生き残った一匹から抽出した絶毒だ。これをベースに——私の一皿を作る」


ジルベールは手際よく調理を始めた。蠱毒を煮詰め、白身魚の切り身をその中で泳がせる。魚は見る間に紫色に染まり、表面に毒の結晶が浮かび上がった。さらに彼は、毒茸の粉末、毒蛇の胆、毒花の蜜を次々に加え、一つのスープを仕上げていく。


「私の料理は“毒味”そのものだ。毒を知り、毒を愛し、毒に生かされる——その果てにある究極の味。このスープは、一口飲めば舌が腐り、二口で喉が焼け、三口で心臓が止まる。だが——その瞬間、お前は味わうだろう。この世のものとは思えぬ、甘美な死の味を」


完成したスープは、毒々しい紫色に輝き、表面には毒の結晶が星のように煌めいていた。見た目だけなら美しい。だが、その香りだけでエレナが顔を歪め、観客の何人かが席を立って嘔吐した。


「さあ——お前の番だ」




俺は白樺の調理台の前に立った。


「毒の一皿——あんたは毒で殺す料理を作った。俺は違う」

「違うだと」

「毒を、味に変える。それが、あんたに足りないものだ」


俺が取り出したのは、一匹の魚だった。この世界の海で獲れる、ごく普通の白身魚——ただし、その肝臓には微量の自然毒が含まれている。人間が食えば舌が痺れ、ひどい場合は呼吸が止まる。しかし、この毒は——加熱と発酵で無毒化できる。


「ふぐだ」

ジルベールが目を細める。

「……日本で、最も危険な食材の一つ。毒を持つ魚を、なぜ」

「毒を知る者だけが、毒を味に変えられる。あんたは毒を知りすぎて、毒を愛しすぎた。だから——毒を毒のまま使う」

「それが料理人として正しい道だと?」

「違う。毒を取り除き、味だけを残す。それが料理だ」


俺は包丁を手に取った。ふぐの毒は肝臓と皮、卵巣に集中している。それらを傷つけずに取り除き、可食部の身だけを薄造りにする。一瞬の気の緩みが命取りになる作業だ。だが——前世で毒を扱い、今世で包丁を握り続けた俺の手は、迷わなかった。


身を薄く引き、皿に花びらのように並べる。それから——小さな小鉢に、自家製のポン酢を注いだ。この世界の柑橘と、異世界デリバリーの醤油を合わせ、無味砂漠の岩塩をほんの少し加えたものだ。


「ふぐ刺しだ」

「……ふぐ刺し」

「ああ。毒を取り除き、味だけを残した刺身。ポン酢で食え。毒は——どこにもない」


ジルベールの顔が、初めて強張った。

「毒がないだと。この対決は“毒の一皿”がテーマだ。毒のない料理など、反則ではないのか」

「毒は、取り除くためにある。それが、毒を知る者の責任だ。あんたは毒を愛するあまり、その責任を忘れた。だから——王女の顔を爛れさせ、味覚を奪い、この闇市で誰かを苦しめ続ける」


俺はジルベールの目をまっすぐに見据えた。

「さあ、食え。俺のふぐ刺しと、あんたの毒スープ——どちらが本当の“毒”か、決めよう」




会場が静まり返る中、二人は互いの料理を差し出した。


俺はジルベールの毒スープを受け取り、ジルベールは俺のふぐ刺しを受け取った。


「——開始」


俺は毒スープを口に運んだ。


次の瞬間、舌が燃えた。いや、燃えるという生易しいものではない。舌の表面が溶け、喉が締まり、胃が激痛に震える。視界が歪み、耳鳴りが走り、心臓が早鐘を打った。毒だ。まごうことなき、死の味だ。


——だが。


俺は奥歯を噛みしめ、もう一口、スープを飲んだ。確かに舌は焼ける。喉は閉まる。だが——その奥に、白身魚のうま味が、かすかに残っている。毒の向こうに、素材の味が、まだ生きている。


「……なるほど」

俺はスプーンを置いた。

「あんたの料理は、毒の奥に味がある。だが、毒が強すぎて、誰もその味にたどり着けない。これでは——料理じゃない。ただの毒だ」


一方、ジルベールは——ふぐ刺しを一口、口に運んだ。


彼の手が、止まった。


「……なんだ、これは」

「ふぐ刺しだ」

「味が——しない。毒が、ない。ただの、魚の味だ。ほんのり甘くて、歯ごたえがあって、ポン酢がしょっぱくて——」

彼はもう一口、もう一口と箸を進め、やがて——震える声で言った。

「私は、何十年ぶりだ。毒のない料理を食ったのは」


ジルベールの目から、涙がこぼれ落ちた。毒に染まった男の、毒のない涙だった。


「私は——組織に毒師として拾われる前、ただの料理人だった。小さな店で、親父と二人で、ふぐを捌いていた。毒に怯えながら、それでも——客の笑顔を見るのが好きだった」

「思い出したか」

「ああ。思い出した。私は毒を愛したんじゃない。毒から逃げられなくなっただけだ」

「なら、戻れる。料理人に」

「戻れない。もう体は毒に染まり、私は——いつか毒で死ぬ」

「それでも、今、この瞬間、あんたは料理を食った。毒のない、ただの料理を」


ジルベールは皿を置き、深く息を吐いた。その顔は、さっきまで闇市を支配していた毒師のものではない——ただの、疲れ果てた料理人の顔だった。


「……私の負けだ。カズマ」

彼は立ち上がり、会場を見渡した。

「この闇市は、今夜で終わりだ。毒味の宴は、もう開かれない。そして——王女に盛った毒の解毒方法は、この手記にすべて記してある」


彼は懐から一冊の手記を取り出し、俺に手渡した。

「それと——カズマ」

「なんだ」

「お前は、毒を味に変えた。私はできなかった。だから——これで、私の毒のすべてを、お前に託す」

ジルベールは銀の杯を掲げ、中に残った毒酒を一気に飲み干した。

「毒師ジルベールは、ここで死ぬ。だが——カズマ。お前の中に、私の毒の知識が残る。いつか、その知識がお前を救うだろう」


「ジルベール——」

「さらばだ、元・毒使いの料理人」


ジルベールは静かに床に倒れ、そのまま動かなくなった。毒に染まった体は、最期に自らの毒で旅立ったのだ。




会場が静まり返る中、俺は手記を胸にしまい、立ち上がった。


「リリア、みんな——帰るぞ」

「……ああ」


闇市の観客たちは、呆然としながらも、一人、また一人と席を立っていく。毒の宴は、終わった。


エレナがジルベールの亡骸にそっと布をかける。

「……毒味役だった私には、彼の気持ちが少しだけわかります。毒に取り憑かれ、抜け出せなくなる。でも——最後に、あなたのふぐ刺しを食べて、彼は救われた」

「救われたかは、わからん。でも——飯は食った。それで十分だ」




地上に戻ると、夜が明け始めていた。東の空が白み、星が一つずつ消えていく。


「手記には、解毒方法が」

リリアが尋ねる。

「ああ。王女の顔の爛れと、味覚の完全回復——両方の方法が記されている。これで、王女は治る」

「よかった」

「ああ」


屋台に戻る道すがら、トシがそっと姿を現した。

「ジルベール、死んだか」

「ああ」

「奴が持ってた“毒味”の権能——俺の兄貴が昔、貸した欠片だ。それが、今お前の手記に宿ってる。つまり——」

「つまり」

「お前は今、味覚と毒味、二つの神の力を持つことになる。これは——前例がない」

「それが何を意味する」

「さあな。でも、戦神がますますお前を欲しがるだろうな。味覚と毒味、両方を操る料理人なんて、兵器以外の何物でもない」


俺は空を見上げた。星の消えた空は、澄み切った青に変わり始めている。

「来るなら来い。俺は屋台を開けるだけだ」


(第30話 終)




▼ 次回予告(第31話用の引き)


ジルベールの手記を元に、王女アリシアの解毒が始まった。だが、その矢先——王宮から緊急の報せが届く。

「ラザフォード公爵の残党が、王都に潜入した。狙いは王女——そしてカズマの屋台」

十年前の毒殺未遂事件の真の黒幕が、ついに動き始める。

(次話:「公爵の残党」)

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