第18話「味覚神の影」
第18話「味覚神の影」
エグゼビアが屋台の常連になってから、三日が経った。
元・美食教団の味覚司祭長は、毎朝、誰よりも早く広場に現れ、カウンターの端で白いご飯を食う。おかずは何もいらないと言い、塩すら遠慮した。ただ、炊きたての米の香りを嗅ぎ、一粒一粒を噛みしめるように食う。その顔は、来た当初の仮面の男とは別人だった。
「カズマ殿。今日の米は、いつもより甘い」
「水を変えたんだ。北の沢のを汲んできた」
「水でここまで変わるものか」
「変わる。素材はすべて生きてる」
エグゼビアは深くうなずき、茶碗を両手で包みながら、少しだけ言いよどんでから口を開いた。
「カズマ殿。話しておかねばならないことがある」
「なんだ」
「美食教団を動かしているのは、私ではない。さらに上位の存在——“味覚神”だ」
俺は団扇を置いた。カウンターの隅で、トシの気配がぴくりと動く。
「味覚神」
「ああ。ただし、本物の味覚神はすでに死んだと言われている。今、教団に祀られているのは“偽りの味覚”を司る、堕ちた神だ」
「堕ちた神」
「奴の名はグーラ。かつては食神トシの兄弟神だったと聞く」
トシが音もなく姿を現した。その顔には、いつもの軽口はない。
「……グーラ。久しぶりにその名を聞いた」
「知ってるのか」
「ああ。俺の兄貴分だ。昔は“味覚神”ってのは俺たち二人でやってたんだ。俺は素材の味を、グーラは調理の味を司ってた。でも、あいつは味を極めすぎた。味のためなら食材を滅ぼしても構わないって考えに取り憑かれて——挙句、人間の“苦痛”や“絶望”にさえ味を見出すようになった」
「味のために人を殺す、か」
「そうだ。兄貴は堕ちた。神々の会議で追放され、今は西方のどこかに封印されているはず——だが、封印が緩んでるのかもしれない」
エグゼビアが苦しそうに続けた。
「グーラ様は、美食教団を通じて“究極の一皿”を探している。それは、この世のどんな食材よりも強い味を持つという——“神の味覚”そのものだ」
「神の味覚」
「つまり、カズマ殿。あなたの舌だ」
俺は思わず自分の口に手をやった。神の味覚。トシが言っていた、俺のスキルの正体。あれは単なるDeliveryスキルではなく、食神の“舌”そのものだという話だった。
「グーラは、俺の舌を食おうとしてるのか」
「食うのではない。“取り込む”のだ。あなたの味覚を己のものとし、完全なる味覚神として復活するつもりだ。そして——」
「そして」
「その過程で、あなたは味覚を失う。一生、何を食っても味がしない体になる」
リリアが立ち上がった。その手が震えている。
「……それ、許さない」
「リリア」
「あんたの料理が、味がしなくなるなんて——そんなの、許せるわけがない」
「落ち着け。まだ何も起きてない」
グレゴールが静かに口を開いた。
「グーラの封印はどこにある」
「西方諸国の果て、“無味砂漠”の中心にあると聞きます。だが正確な場所は教団でもごく一部の者しか知りません。私も——知らないのです」
「教団の残りの勢力は」
「西方に残った者たちが、今もグーラを崇拝し、封印を解こうとしています。私がここに来たのも、本当は——カズマ殿の味覚を奪い、贄として捧げるためでした」
「だが、やめた」
「はい。白いご飯を食って、思い出しました。私は、味を追いかけるあまり、食うことの本質を見失っていた」
エグゼビアは深く頭を下げた。
「ですが、私が抜けたことで、教団はより過激になるでしょう。次の刺客は——おそらく、グーラの“舌”そのものです」
「舌」
「グーラの味覚を移植された使徒。“味覚喰い”の異名を持ちます」
その夜、屋台を閉めた後、俺は一人、仕込みをしながら考えていた。
偽りの味覚神、グーラ。トシの兄貴分。味のために人を殺す神。そいつが、俺の舌を狙っている。
「なあ、トシ」
「なんだ」
「グーラは、どんな料理を作っていたんだ」
「……そうだな。技術は俺よりずっと上だった。ドラゴンの心臓の瞬間燻製、妖精の涙で練ったパン、人魚の歌声を閉じ込めたスープ——どれも、この世のものとは思えない味だったよ。でもな」
「でも」
「兄貴の料理には、どこか“温かさ”がなかった。誰かのために作ったものじゃなくて、味そのものを崇拝するための料理だった。食う奴の顔が、浮かんでなかった」
俺は炭火を見つめた。誰かのために作る料理。それが俺の、唯一の信念だ。
「トシ。お前はグーラと戦いたいか」
「……わからん。兄貴は俺にとって、唯一の家族だった。追放された時、俺は何も言えなかった。神々の会議で、兄貴を庇えなかった。だから——いつか、ケリをつけなきゃとは思ってる」
「なら、手伝う」
「え」
「お前の兄貴だ。なら、お前が決着をつけろ。俺は、その場で飯を作るだけだ」
「……それで勝てると思うか」
「勝ち負けじゃない。食わせるんだ。あいつが本当に飢えてるのは、味じゃない。誰かと共に食うことだ」
トシはしばらく黙っていたが、やがて、かすかに笑った。
「お前ってさ、相手が神でも将軍でも獣でも、やること同じだよな」
「当たり前だ。みんな腹を空かせてる」
「それで世界が救えると思ってるのか」
「思ってる。少なくとも、殺すよりはマシだ」
翌朝、屋台に一通の手紙が届けられた。差出人はない。羊皮紙には、ただ一行だけ。
「無味砂漠にて待つ。味覚喰い」
文字は、読むだけで舌が痺れるような魔力を帯びていた。
「……来たか」
リリアが手紙を覗き込む。
「罠だろ」
「だろうな」
「行くのか」
「行く。向こうが来るのを待ってたら、街が戦場になる。それだけは避けたい」
「なら、私も行く」
「リリア」
「何度も言わせるな。あんたは戦えない。私は戦える。足手まといにはならない」
「……わかった」
ギリアムが立ち上がり、将軍がうなずき、グレゴールが無言で旅支度を始める。エグゼビアが言った。
「私も案内します。無味砂漠への道を知っています」
「助かる」
「それと——カズマ殿。一つだけ、気をつけてください。“味覚喰い”は、味を“消す”力を持っています。彼と対峙すれば、あなたの味覚が少しずつ削られるかもしれない」
「それでも、行く」
クロがくぅんと鳴いて、俺の足にすり寄った。お前も来るのか。当たり前か。
トシが扇子を広げて言う。
「西方かあ。久しぶりだな。兄貴の封印、俺も確かめたい」
「よし。決まりだ」
俺は屋台の看板を裏返し、一枚の張り紙を貼った。
『しばらく留守にします。再開まで、おにぎりはグレゴールの屋台(広場東)で。味噌汁は将軍が差し入れてくれます。飢えるなよ、また会おう』
「……将軍が味噌汁を?」
「作れるようになったんだ。見よう見まねで」
将軍がむっつりと言った。
「まだ粥しか作れん。だが、練習はする」
「それでいい」
俺たちは旅支度を整え、西へと向かう道を歩き始めた。行き先は無味砂漠——味のない世界の中心。そこに、偽りの味覚神が待っている。
(第18話 終)
▼ 次回予告(第19話用の引き)
無味砂漠への道中、カズマたちは奇妙な村に立ち寄る。そこでは、住民全員が味覚を失っていた。
「ここでは何を食っても、砂を噛むような味しかしない」
村の教会には、舌を象った黒い聖印。グーラの影が、すでにすぐそこまで迫っている。
(次話:「味覚を喰う村」)




