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プロローグ
時は幕末──文久三年(一八六三年)四月六日。黒船来航から十年。生麦の一件を経て、ついには英国公使館までもが焼き討たれた。攘夷の気運は日ごとに高まり、世は音を立てて軋んでいた。
海と街道の要衝、品川宿。そのはずれにある古びた馬小屋の軒下で、一人の浪人が目を覚ます。擦り切れた着流しを身にまとい、鞘の中でかすかに鳴る刀を携えたその姿は、もはや誇りか、それとも重荷か。腹が鳴る。喉が焼ける。懐を探れば、指先に触れるのはわずかな銭。無一文ではない。だが、明日の保証もない。先の見えぬ不安と、骨の髄まで染み込む飢え。浪人は霞む目で空を仰いだ。
「──ここで野垂れ死ぬのは、真っ平御免だ。」
名もなき浪人は、この荒れ狂う時代の波をいかにして渡るのか。剣を取り、名を刻むか。あるいは酒と女に溺れ、刹那の夢に身を沈めるか。歴史は激しくうねり、運命はまだ白紙のまま。すべては、この一日から始まる。




