第三十二話 紫の変異体
数時間後、両手を組んで待っている明人のもとへ萌が駆け寄ってきた。
「はぁはぁ、お待たせしました」
「搬送された患者さんは大丈夫そうですか?」
「はい、処置は終わりました。今すぐには詳しく症状を伝えることは出来ないのですが、何とか父に許可をもらって病室には通すことが出来ると思います」
「毎度すみません」
「いえいえ、父も私も感謝していますから」
萌はそう言うと、ニコリと笑って明人を誘導し始める。明人はそれに従い、萌の後を追い、エレベーターに乗った。
エレベーターは五階で止まり、萌は開くボタンを押したまま明人を先に下ろした。そして続いてエレベーターを下り、再び明人の前に回って真っ白い廊下を進んでいく。
しばらく進むと、萌は五十二号室前で立ち止まり、スライドドアを開けて中に入った。明人は入室前に番号札の下にかけてある室内名簿を確認した。そこには名札が一つしかかかっておらず、それは見覚えのある名前であった。『平刃』。明人はその名札を見ると、萌の横を通り過ぎてカーテンがかかっているベッドへ向かった。
「教授……!?」
明人は努めて静かな声でそう言った。カーテンの向こう側で寝ていたのは、数時間前まで家に居た平刃であった。術後のせいで深い眠りに落ちているようであった。
「明人くん、その、お知り合い。だったの?」
「……はい」
「その、手術は完璧でした。あとは意識が戻るのを待つしか……」
「はい、ありがとうございました。ここ、座っていても良いですかね?」
「えぇ、彼の身内の連絡先が一切分からなかったから、知り合いがいてくれると安心すると思うわ」
萌はそう言うと、しばらく静かに明人に付き添い、首掛けの携帯電話から着信音が鳴ったので、それに応じて病室を出て行った。
それから数時間後、窓の外は暗くなっていた。明人が平刃の起床を祈っているところ、ある程度の仕事を終えた萌が明人のもとへ戻って来た。
「今日は起きそうも無いですね」
萌はそう言いながら時計を確認した。
「あ、すみません。もうそろそろ面会時間終了ですよね」
「ごめんなさい」
萌はそう言って頭を下げる。そして頭を上げて続ける。
「本当はダメだけど、起きられたら連絡入れましょうか?」
「良いんですか?」
「はい、絶対に内緒ですよ?」
萌はそう言って微笑む。
「ありがとうございます。絶対に口外しません」
明人もそう言いながら微笑んだ。
そして明人は席を立ち、鞄を背負い直してから病室を出た。萌は病棟の出入り口まで明人を送り、その日は別れた。
翌日朝目覚めると、明人はすぐにスマートフォンを確認した。あまり眠れていないせいか、時折激しい頭痛が明人を襲った。
新着のメールが一見届いており、時刻は今朝の六時に届いたものであった。明人はそれを確認すると、スマートフォンの画面に映っている現在の時刻を確認する。……朝の九時少し前であった。どうやら昨晩あまり眠れなかった反動で、少し長く眠ってしまっていたらしい。明人は跳ね起き、着替えをしながらメールを確認する。
〈おはようございます。早朝に申し訳ございません。五十二号室の平刃さんが目覚めたようです。全身打撲をしているにも関わらず、それを振り切って病院を抜け出そうとしていたようでしたが、途中でまた倒れてしまったそうです。私も今から病院に向かいます。明人くんも時間があれば面会にいらしてください。〉
明人はそんな丁寧なメールを読みながら着替えを終えると、洗顔を終え、歯磨きを終え、そして簡単な荷物を纏めてすぐに家を飛び出した。
明人宅からはそれほど離れておらず、病院にはものの数十分で到着した。明人は通常の病棟を駆け抜けると、渡り廊下を抜けて隣の病棟に駆け入った。すると萌が待っていてくれたようで、すぐに目が合った。そして明人と萌は少なく会話を交わし、病室へ向かった。
病室に飛び入ると、昨晩とは違いカーテンが開けられており、ベッドに座っている平刃がすぐに見えた。
「教授!」
明人は萌を置き去りにし、平刃の横に駆け寄った。
「神馬か。丁度連絡を入れようと思っていたんだ」
「いやいや、冷静過ぎませんか?」
「焦っても仕方ないだろ。そんなことより、少し面倒なことになってな」
平刃はそう言うと、スライドドアの近くに立っている萌の方を見た。
「変異体ですか?」
明人は萌に聞こえないように、小さな声でそう聞いた。すると平刃は小さく頷いた。察した明人は一度ベッドを離れ、萌のもとへ向かった。
「どうかしましたか?」
「出来れば教授と二人で話したいことがあるんですけど……」
「はい、大丈夫ですよ。それではまた少ししたら戻ってきますね」
仕事が他にもあるようで、萌はそう言うとスライドドアを開けて病室を出て行った。それを確認した明人は、スライドドアが完全に閉まるのを待ってからベッドに戻った。
「すまなかったな」
「いえいえ、良いんですよ。バレたら大変ですからね」
「まぁそうだな」
「それで、面倒なこととは?」
「あぁ、そうだったな。実は昨日携帯電話に着信があった。瑠璃からだった。それで廃工場に呼ばれてこのありさまだ」
「その廃工場に変異体が居たってことですか?」
「あぁ、そうなんだが、ここからが面倒だ。そこにいたのはロージョンじゃなく、紫色の変異体だった」
「紫……? ってことは色付きってことですか?」
「そうなるな。それで私はそいつに攻撃された。まんまと君たちを炙り出す餌にされたわけだ」
平刃は自嘲するようにそう言った。
「俺、行ってきます」
「おい、今言ったばかりだ。これは君たちを炙り出す罠だぞ」
「嘘言わないでください。教授は瑠璃さんを助けたいはずです。俺にしたって、助けたい命がある。そうですよね?」
「……すまない」
「行ってきます」
明人はそう言うと、立ち上がって椅子を元の位置に戻した。そしてスライドドアを開け、誰も居ないことを確認すると廊下を走って廃工場を目指した。
明人が走り去ってすぐ、隣の病室のドアが開き、そしてその部屋からは申し訳なさそうに萌が姿を現した。そして真っすぐに続く廊下の突き当りを眺めながら、ボソッと呟く。
「変異体、それに罠って……。明人くんは一体どこに……」
萌は明人のことを心配に思ったが、途切れ途切れに盗み聞きしてしまった話を無理矢理に忘れようと努め、仕事に戻った。
全速力で駐輪場に向かった明人は、原付の横に立ってヘルメットを装着する。そしてシートに跨りエンジンをかける。
大学から十数分原付を走らせ、明人は廃工場に到着した。ヘルメットをシートの下に入れ、明人は廃工場に向かって歩き始める。廃工場はどことなく不穏な雰囲気を纏っており、明人は両手首のバイタルリミッターを確認しながら廃工場のドア前に立つ。そして軽く一息つき、ドアを開ける。
明人は恐る恐る足を運んでいく。工場内は薄暗く、あまり長居はしたくなかった。
奥まで進んでいくと、ぼんやりと少しだけ明かりが灯っている場所が見える。その薄明りの近くには、一脚の椅子とそれに座る瑠璃の姿があった。
「瑠璃さん!」
はなから罠と分かっている明人は、大きな声で瑠璃の名前を呼んだ。するとそれに気が付いた瑠璃がこちらを見た。
「誰? 暗くて見えないわ」
向こうからは明人の姿が見えないようで、瑠璃は目を細めながらそう言った。
「神馬明人です!」
「明人? ここに来ちゃダメ! あたしのことはどうでもいいから!」
瑠璃は明人の名前を聞き、何か思い当たることがあったようでそう言った。
「そう言われても帰れませんよ。あなたを助けるためにここに来たんですから」
「ちょっと! 年上の言うことは聞きなさい!」
瑠璃は強くそう言うが、明人は止まらない。
「絶対に助けますよ。バイタルチェンジ!」
明人は変異を終えると、ようやく瑠璃の視界にも映る範囲に歩み寄って来る。
「出て来いよ! いるんだろ!」
明人は紫色の変異体をおびき出すため、煽りながら徐々に徐々に瑠璃に近付いて行く。
「出てこないならこのまま瑠璃さんを助けて帰っちまうぞ!」
明人は四方八方に視線を投げながら、もう少しで瑠璃にたどり着こうという所で立ち止まった。
廃工場が閉め切られているせいか、明人とは違う別の誰かの靴音が工場内の反響する。明人は近辺をぐるりと見回し、そして瑠璃の方を見る。すると暗闇から紫色の変異体が現れる。
「出てきやがったな」
「明人、逃げて」
瑠璃はいつになく真剣な眼差しでそう言った。しかし明人は怯まない。
「おい、瑠璃さんを解放しろ。それともなんだ。交換条件でもあるのか?」
「お前だけじゃ無いはずだ」
変異の力によって声を変えているようで、紫色の変異体の声は聞き取りづらい。明人はそれも兼ねて聞き直す。
「は? どういうことだ?」
「お前の他にも色付きがいるはずだ」
「へっ、知ったことか。ここにいるには俺だけだ」
明人がそう言うと、紫色の変異体は瑠璃の横まで出てきた。するといきなり瑠璃の胸倉を左手で掴み、そのまま瑠璃の身体を持ち上げる。そして右手だけを部分変異させ、剣に変化させると瑠璃の首元にその剣先を当てる。
「おい、やめろ!」
「こいつも色付きだ。ここで覚醒させてやる」
「やめろ!」
明人は腰に下げていた柄を握り、ある程度剣が伸びるとそれを紫色の変異体に向かって投げる。それに気づいた紫色の変異体は、瑠璃を投げて自分はバックステップを踏んで暗闇の中に消えた。
「大丈夫ですか!」
明人は投げられた瑠璃に駆け寄った。
「ごほごほっ! あたしは、大丈夫……」
瑠璃はむせながらそう言った。
「とりあえず縄を解きますね」
明人はそう言うと、瑠璃の両手を縛っている縄を解いた。そしてすぐに立ち上がり、周囲を警戒する。
「やはり力技では覚醒しないようだな」
「出て来い!」
「もう一人を連れて来い。お前一人では相手にならん」
明人は今すぐにでもぶん殴ってやりたい。と思っていたが、相手が暗闇の中にいる以上、むやみやたらに行動できずただただ首を振るだけであった。
「さぁ逃げ帰れ。その力なき女を連れて」
音の反響と暗闇のせいで、相手の位置は全く掴めない。明人は仕方なくじりじりと後退していく。
「しかしこれではゲームが成り立たない。新たな人質を貰う」
しばらくその言葉が反響し、そして薄れて消え入りそうになった時、廃工場のドアが開く音がした。するとそれと同時に工場内の電気も着き、当然紫色の変異体は姿を消していた。
「くそ、逃げられたか」
大した戦闘もなく、明人の変異は解けた。そして瑠璃をゆっくりと助け起こし、二人は工場の外に出た。
「怪我は無いですか?」
「うん、あたしは大丈夫。君も平気よね?」
「はい、俺はピンピンしてます」
「壱夜さんは?」
「あ、えーっと……」
「やっぱり結構重症だった?」
「はい。結構」
「はぁ、お姉ちゃんにバレたら大変だわ」
瑠璃はそう言って歩き始めた。明人は苦笑しながら原付のもとへ向かい。原付を押しながら瑠璃の後を追った。
そうして二人は途中まで徒歩で帰り、バス停まで瑠璃を送ると明人は原付に跨った。別れざま、明人は瑠璃に平刃の入院先と部屋番号を教えて先に病院に戻った。




