第二十九話 放たれた悲劇
それはあまりにも不意打ちであった。つい先ほど、明人と影司の中で彼女は裏切り者じゃない。そう決まったというのに。何故彼女が牧田と同じ車に乗っており、何故気絶した瑠璃が同乗しているのだろうか……。
「あ、朝美……? なんだよ、これ……」
明人のこれは珍しく震えていた。怒りと言うよりは、悲しみに近い感情で明人は朝美に投げかける。しかし朝美は答えない。
「フフ、答える義理は無い。そう言う事かしらね」
牧田は満足気に笑みを浮かべ、掴んでいた瑠璃を座席に投げ戻し、そして突っ立っている朝美の腕を引っ張って無理矢理車に乗せる。
――その時、微かに朝美の横顔が明人の目に映った。その瞳は、助けを求める潤んだ瞳であった。
「朝美……」
明人が茫然と立ち尽くしていると、牧田は運転席に乗り込んで車を発進させる。そして三人が乗った車はどんどん柴神山に向かって遠くなっていった。
「……今日は引き返そう。俺もお前も今日は消耗し過ぎた」
影司は明人を気遣って、無理に牧田を追うことを諦めた。そしてそれ以上何かを言うでも無く、何かをするでも無く、影司は車に乗り込み、黒いリムジンはターンをして火澄町に向かって走り出した。
「なんで……。なんでだよ……」
その後数十分、明人はその場に立ち尽くした。平静を取り戻した時、既に辺りは暗くなっており、明人は虚ろな状態で何とか帰宅した。
翌日、目覚めても何もやる気が起きない明人は、着替えず、歯も磨かず、顔も洗わず、リビングの椅子に座って残りわずかとなったコップの中の麦茶を眺めていた。
平刃に報告するべきなんだろうな。明人はそんなことを思いながらも、携帯電話を取り出して平刃に電話をかけようとはしない。
そうして無駄に一時間が過ぎたころ、平刃から電話が入った。しかし明人が電話に出ることは無かった。再び電話が来るかとも思われたが、平刃からの電話は一度きりで、明人は残っていた麦茶を飲み干した。
それから数十分後、明人の家に訪問者があった。放心状態の明人が出るはずも無く、尋ね人はただひたすら外で待たされるだけであった。
流石に待ちかねたのか、インターホンでは無くドアを強く三回ノックした。
「はぁ、誰だよ。しつこいな……」
ノックが断続的に続くので、明人はようやく席を立ちあがった。そしてノロノロと、あわよくばこの動作の途中で帰ってはくれないか。と願いながら玄関にたどり着いた。
「はい?」
明人はドアチェーンをかけたまま、不機嫌に顔を覗かせた。
「私だ」
ドアの向こうには、いつも通り白衣姿で無表情な平刃が立っていたのだが、声のトーンからしてここ数日で一番不機嫌なのがすぐに分かった。なので明人はすぐにドアーチェーンを外し、平刃を中に入れた。外は雨が降っていた。
「す、すみません。でした……」
明人は申し訳なさそうに、呟くようにそう言った。
「雨なのに外で待たせたことか? それならどうでもいい。問題は、戸木田君のことだ」
「そ、そうですよね……」
明人はペコペコと頭を下げながら、お茶の準備をし、平刃にお茶を出した。
「それで、戸木田君は柴神山に向かったという事だね?」
「はい、でもなんで」
「阿久戸君から聞いた」
「で、ですよね。それしか無いですよね」
「行くのか? 行かないのか?」
「それは……」
しばらく沈黙が二人を包んだ。
雨の音が妙にこだまする室内。明人は口を開く。
「……行きます。真実を確かめるために」
「よく言った。車は外に停めてある。阿久戸君もそこにいる」
「影司も……。分かりました、直ぐ準備します」
明人はすくりと立ち上がり、洗顔と歯磨きをすぐに終え、動き易い服に着替えた。
「準備オッケーです」
「よし、二人を救いに行くか」
「はい!」
明人の顔つきはいつものようにしゃっきりとし、平刃に続いて家を出た。そして後部座席に乗り込むと、そこには影司もいた。
「マジでいるのかよ」
「お前一人では心配だからな」
「心強い限りだ」
明人と影司がそんな会話をしていると、それを遮るように運転席のドアが閉まった。
「よし、行くぞ」
全員が乗ったことを確認し、平刃は水霧町に向かって車を発進させる。
……一時間ほどで水霧町に着いた車は、柴神山を目指してもう少し車を走らせる。
「もうそろそろ着くぞ」
平刃はバックミラー越しに明人を見てそう言った。
「はい。覚悟は出来てます」
「……奴の言葉次第では、俺が始末してやる」
不安そうな顔をする明人に向かって、影司は心無くそう言う。
「朝美は裏切ってなんか無い」
「もしもの場合だ。お前では躊躇うと思うからな」
「もしもがあったらな」
不安な空気に包まれたまま、車は柴神山の麓にある駐車場に停まった。
三人は車から降り、傘を差した。三人が降りた馴染みの駐車場には先客があった。影司がいつも乗っているようなリムジンなのだが、そこに停まっていたのは白いリムジンであった。無駄に豪華なその車は、水霧町にはそぐわなかった。
全員がその車に目を向けたが、誰かが感想を言うことも無く、三人は山を登り始めた。
前回牧田が研究所への階段を出現させた地点まで移動すると、三人はそこで立ち止まって辺りを見回した。
「前来た時はあの人が開けてましたよね」
明人は雨によって少しぬかるんでいる地面を足でにじりながらそう言った。
「あぁ、そうだな」
平刃は口癖のようにそう言いながら、木々が全く生えておらず、ぽっかりと地面が覗いている明らかにそこに何かがあると言わんばかりの場所を見つけ、その周囲を観察していた。
「……ここなら俺も入れるはずだ」
入り口を捜索している明人と平刃に向かって影司はそう言った。そしてポケットに突っ込んでいた左手を外に出す。するとその手には牧田が持っていたものと全く同じリモコンが握られていた。
「待っていたぞ」
平刃は分かっていたようにそう言うと、開けた場所をどいて一番近くにあった木の傍に寄った。
「頼むぜ影司」
明人も開けた場所から少し離れ、近くの木に寄って影司にそう言った。
二人の安全を確認した影司は、リモコンの赤いボタンを押した。すると前回同様、地面が隆起し、鋼鉄の扉が現れた。そして影司がドアに近付くと、鋼鉄のドアはスムーズに開いた。
「よし、これで進めんな」
ドアが開くとすぐ、明人は影司の横を通ってドアの隙間をすり抜けた。そして速足に階段を下って行ってしまう。
「はぁ、私たちも急ごう」
「はい」
平刃は小さく嘆息をつきながら、明人を追って階段を下り始める。そしてそれに続いて影司も階段を下る。
階段を下り終えると、そこには前回来た時と全く変わりない研究施設が広がっていた。
「待て、神馬。あまり焦るな」
「でも、こんなところ……。何されてるか分からないじゃないですか」
「確かにそうだ。だがな、分かるか? 妙に静かだ」
平刃にそう言われた明人は、はやる気持ちを抑え込んで辺りを見回し、そして耳を澄ました。
……確かに物音が全くしていない。前回来た時はもっと機械音によって室内は騒々しかったはずなのだが。
「確かに、静かですね」
平刃と影司はとうに気付いていた違和感に、明人はようやく気が付いた。
「……焦りは禁物ですが、さっさと見つけて出るべきだと俺は思います」
影司は平刃の方を見てそう言った。
「そうだな、焦らず迅速に。目標だけ果たそう」
「よし、サクッと見つけるぞ」
明人と平刃は影司に同意すると、三人は研究所の奥へ進んでいった。
「これは……」
奥へ続く通路に入った時、平刃が立ち止まった。
「い、いなくなってますね」
明人もすぐに気が付いた。通路の両脇に並んでいたカプセルの中から、被検体がいなくなっていたことに。
「ここも、ここもいないです」
明人は通路を右往左往して、カプセルの全てから被検体がいなくなっていることを確認する。
「放たれたのか……?」
平刃は顎に手を添えながらそう呟いた。
「……全部黒い液体か」
影司も通路の途中で立ち止まり、何個かのカプセルを眺めていた。
「二人とも! 早く先に進みましょうよ」
「あぁ、そうだったな」
平刃は添えていた手を下ろし、白衣のポケットに手を突っ込んで歩き始める。影司は返事もせず、何か考え事をしながら明人の横を通って先へ進む。
その後三人は研究所の奥へ進み、前回朝美が捕らわれていた部屋も越え、研究所の大分奥まで進出した。
「いねーな。どこ行ったんだ」
「もうそろそろ研究所も末端のはずだが……」
研究所の一部屋一部屋は、奥に進めば進むほど閑散と質素なものになっていた。呟く程度に言った明人と平刃の言葉が反響してしまうほど、部屋には物が少なかった。
「……次が最後の部屋か」
影司は明人と平刃のことを全く気にかけず、どんどん奥へ進もうとする。
「何だあいつ。落とし物でもしたのか?」
「ふっ、だと良いがな」
平刃は冗談交じりにそう言うと、影司の後を追って歩き始める。
「あ、ちょっと待ってくださいよ」
「明人」
扉の奥に消えた平刃と影司を追おうとした時、背後からする声が明人の足を止める。
「朝美……。お前、大丈夫か?」
「えぇ……。その、ごめんなさい」
「瑠璃さんのことか?」
「うん。その、ごめんなさい。私……」
「お前の意志だったのか?」
「それは……。その、早くここを出た方が良い」
朝美はそう言うと、身を翻して研究所の入り口方向に向かって走り出してしまった。
「おい朝美! ……早く出た方が良いって、クソ」
平刃たちを追うか、朝美を追うか。迷った挙句明人は朝美を追うことにした。
「どうだ、探し物は見つかったか?」
一方研究所の一番奥にある、最後の部屋に辿り着いた平刃は、部屋の中央で立ち止まっている影司にそう声をかけていた。
「紫の液体……」
「探し物はこのカプセルか? ふむ、紫色の液体か」
平刃は影司の横に立ち、部屋の最奥にある紫色の液体で満たされたカプセルを見た。
「……これも空か」
影司は落ち着いたように、しかしどこか不安な様子を見せながらそう言った。
「知り合いでもいたのか?」
「……はい、彼は俺の最初の仲間でした」
影司はそこまで言い、それ以上は何かを語ろうとはしなかった。しかしどこかスッキリしたような顔をしていた。
「ふっ、探し物が増えたようだな」
平刃は微笑してそう言うと、話を続ける。
「さて、今日の所は引き上げようか」
「……はい」
二人は踵を返し、研究所を出るために来た道を引き返し始める。
「奴の姿が見えませんが?」
その途中、影司がふとそう呟いた。
「何か見つけたんだろう。しかしここまで出会わないと心配になるな。少し急ぐか」
平刃がそう言うと、影司は軽く頷き、二人は歩く速度を上げて研究所の入り口に向かった。
「おい開けろ! 朝美!」
遠くから明人の声が聞こえる。平刃と影司は黙ってその声がする方に急いだ。
そして一部屋、二部屋と来た道を引き返し、もう少しで出入口と言う所まで戻って来た。
「クソ! なんで開かねーんだよ!」
怒声と共に鋼鉄のドアを叩く音が長い階段を反響し、平刃と影司のもとまで明確に聞こえてくる。
残りの一部屋を越え、カプセルが並んだ通路を走り、二人は長い階段が備わっている最初の部屋に戻って来た。
「神馬、どうした!」
平刃は階段の最上段で立ち止まっている明人の背中に向かってそう叫んだ。
「開かないんです! ドアが!」
平刃の声に気が付いた明人は、振り向いて事情を説明した。
「待ってろ、今行く」
二人は階段を駆け上り、明人より少し下の段で立ち止まる。
「どいてろ、俺が開ける」
影司がそう言うので、明人は入れ替わる形で階段を下り、影司が扉の前に移動した。そしてポケットからリモコンを取り出し、扉に向けてボタンを押す。しかしボタンは反応しない。
「……どういうことだ?」
「なんだ、開かねーのか?」
「みたいだ」
「みたいだっておい。クソ、どうすりゃ良いんだよ」
三人が立ち往生していると、研究所が微振動を始める。
「階段にいては危ないな。下の部屋に移動するか」
平刃の提案により階段を下ろうとしたその時、背後からゆっくりと甲高い足音を立てて近づいてくる人物がいた。
「これはこれは、また不法侵入か」
その声に三人は振り返った。
「郷間……」
「郷間? あの人が……」
平刃がそう発し、影司はとても鋭い目つきになったので、彼が郷間本人だという事が明人にもすぐに分かった。
「今はそんな話をしてる場合じゃないだろ。扉が開かないんだからな。それに揺れ始めている。今回ばかりは手助けしてやろう」
郷間はそう言いながら階段を一段一段上がって行き、そして白衣のポケットから新たなリモコンを取り出し、青いボタンを押した。するとブザーが鳴り響き、研究所は非常モードとなり、入り口以外の全てのドアにシャッターが下ろされ、入り口の鋼鉄のドアは手動で開けられるようになった。
「さぁ、協力して開けようじゃないか」
郷間はスルスルと三人の間を抜けて行き、そして鋼鉄のドアに手をかける。
「ほら、早くしろ。死にたいのか?」
郷間がそう急かすので、三人は顔を見合わせて渋い顔をしたのだが、致し方なくドアに手をかける。
「せーの!」
男四人の力により、鋼鉄のドアは徐々に徐々に開いて行く。
……何回かに分け、人一人が通れるほどにドアをこじ開けると、一人ずつその隙間を抜けて外に出た。
「な、なんだこれ……?」
外に出ると、何本かの木が折れ、地割れを起こしている場所もあり、民家がある町の方を見ると、何軒かからは火が上がっていた。そしてその周辺には複数のロージョンが破壊活動をしている姿が目視出来た。
「止めるぞ!」
「あぁ」
明人と影司は山を駆け下り、町へ向かう。
「郷間! ……逃げたか」
平刃は怒りを露わにし、郷間がいた背後を向くのだが、そこにはもう郷間の姿は無かった。




