7.お嬢と姫騎士志望
話は少し遡る。
「というわけで、ジャスパーによると、あれはホムンクルスに死人の魂が呼ばれて入ったってところらしいですね」
「悪魔じゃないのね。残念だわ」
お嬢は少しつまらなそうに溜息を吐いた。お嬢にとっては、それが屍人だろうが来訪者だろうが、悪魔でなければどれも一緒なのだろう。
「でも、器を用意してそこに悪魔を招き入れるという発想はなかなか良いわね。わたくしも試してみようかしら」
「あー……それがお嬢、ジャスパーの話だとやめといたほうがいいみたいです。なんでも、人間が用意できる程度の器にくるのは低級のしょうもない悪魔ばっかりだって話ですよ。いつも出てくる魔霊とか」
絶対言い出すと予想していた問いが来た。僕は残念そうに首を振り、用意していた答えを述べる。
「まあ、そうなの? 悪魔王を入れられる器は用意できないものかしら」
「さあ……。聖人とか聖女とか呼ばれるほどに稀代の聖職者をベースにすればもしかして、ってジャスパーは言ってましたけど、今はいないみたいですし、そういうの使おうとするといろいろ当局で問題になりますからちょっと」
残念ですねえと、僕は笑ってはぐらかした。
通常のホムンクルスですら、少量であっても材料に人間の血やら何やらとあらぬ素材が必要になるのだ。悪魔の器にするためのホムンクルスなんて、何が材料に必要かを考えるだけで嫌になる。
ついでに言うなら、あの娘を作るのに用意された材料が何かなんてこと、本人には絶対教えられないだろう。
そんな僕の内心は別として、お嬢は眉を寄せて小さく溜息を吐いた。
「ともかく、最近少し手詰まりなのよ。アートゥ、何か他の手段を調べて。わたくしももう一度書物をあたってみるわ。そうね、そろそろまたあの商人にも、新たな魔導書がないかを確認してみましょう」
「あ、わかりましたお嬢。僕がひと通りやっときますから。魔導書もね。それにジャスパーも何か見つけてるかもしれませんし、聞いてきます」
「あらそう? なら、お前に任せるわ」
お嬢をあの胡散臭い商人に会わせて、またアタリを引かれては困る。ああそうだ、リオナの件に紛れてたけど、あの商人もどうにかしなきゃいけない。
「あと、お嬢。リオナはどうします?」
「そうね……ホムンクルスだったわね。それ、どのくらいもつものなの」
「ジャスパーの話では、通常なら数年らしいんです。けど、あれ、悪魔降ろし用で頑丈に作ってあるから、100年はもつだろうと言ってました」
「100年……ホムンクルスならあのまま100年ということね」
「え? そうですけど」
お嬢はなぜか、ふふ、と笑う。
「おもしろいわ。アートゥ、何かあの子にできそうな芸を仕込んでおいて」
「芸ですか?」
そんな犬猫みたいにうまく仕込めるものだろうか、と僕は首を捻る。
「ええ。このわたくしのホムンクルスにふさわしいものを覚えさせて、ルーファス様にもお披露目するのよ」
「……え」
お披露目? と確認すると、お嬢は艶やかに笑った。
「当たり前よ。ルーファス様にお見せせずに、誰に見せろというの」
ああまた面倒なことを言い出した。
あのまんま連れてったら、間違いなく粗相しまくりだろう。
「ええと、わかりました。なんとかしてみます。あの体格なんで、頭使うほうで仕込んでみようと思います」
「そうね。わたくしもそれが良いと思うわ」
ほぼ丸投げな形でお嬢に任されて、僕は部屋を辞す。頭使うほうって言われてもなあ。ホムンクルスに魔法なんか使えたっけか。
* * *
「というわけで、これからしばらく君の先生をしてくれるシャーリー様です。文字の読み書きも教えてくれるっていうからがんばってね」
「あなたがリオナさんね。シャーリー・ロスクレアよ。よろしく」
さっそく、エリアスの伝手で頼んだ教師役のシャーリーと引き合わせた。にっこりと手を差し出すシャーリーを、リオナは目をまん丸に見開いてじっと見つめている。
「あ、あ……アートゥさん、こんな美人のお姉さんに知り合いがいたんだ」
「いや、どっちかっていうとエリアスの知り合いだよ。彼女はロスクレア子爵令嬢で、騎士と正義の神に仕える聖騎士でもあるんだ。文武両道ってわけ」
「す、すげえ! こんなにおっぱいでかくてスタイル抜群の美人ってだけですげえのに女騎士とかすげえ! エリアスさんの知り合いって、もしかして彼女だったりするの? なあ、アートゥさん、エリアスさんてこんなすげえ彼女いたの? マジで? エリアスさん、なんで教えてくれないの!?」
「はいはいはい、わかったから落ち着いて」
「……まあ!」
興奮して矢継ぎ早に尋ねるリオナを落ち着かせようとしていると、シャーリーの顔がかあっと赤く染まった。
「私、エリアス様の彼女に見えるかしら」
「見えるっていうかさあ、こんな美人を知り合いですって連れてこられたら、ふつう彼女だと思うって! エリアスさんかっけえし!」
「まあ! まあ! あなたも、エリアス様がとても素敵だと思うのね?」
「思う思う! だってすげえ筋肉で俺がぶら下がってもビクともしないんだぜ! あれ、絶対お姉さんのこと姫抱っことか軽々やっちゃうやつだって!」
「まあ……!」
エリアス様に姫抱っこ、とシャーリーが宙を見つめたまま帰って来なくなってしまった。このふたりは意外に気があうのかもしれない。
「とにかく、シャーリー様、この子に行儀作法と剣と読み書き、お願いします。あとでエリアスも来ると思いますので……」
「まあ! エリアス様が!?」
きらりと輝くシャーリーの目は、肉食獣の輝きを宿していたと思う。だが、そこは僕の管轄するところではないので見なかったことにしよう。
こう見えて、僕もいろいろと忙しいのだ。
「やあ、ジャスパー」
「今日はどうしたの。あのホムンクルスは元気?」
お嬢の不満を解消すべく、僕は今日もジャスパーのところへやってきた。
「お嬢が行き詰まってて、ここらでなんかテコ入れが必要なんだけど、いい案はない? あ、でもガチなのは勘弁だよ」
「いい案ねえ。いっそ本物の悪魔召喚とかやっちゃったほうが、話は早いかもよ? さすがのユーフェミアお嬢さんでも、本物目にしたら引くんじゃない?」
「本当にそう思うかい?」
「……無理か」
あははと笑って、ジャスパーは茶を淹れた。
差し出されたカップのお茶に、何か変なものは仕込んでないだろうなと確認してから、僕はひと口すする。
「当局のチェックが入っても問題なくて、お嬢も満足しそうな案、出してよ。今度、お嬢のところに魔術語の講義しに行った時でいいからさ」
「わかった。おもしろそうだし、考えておこうか」
なら、そっちは大丈夫だなと考えて、僕は本題に入る。
「で、もうひとつなんだけど」
「なんだい?」
「君もわかってると思うんだけど、お嬢のとこに出入りしてる、やたらマジものの魔導書を持ってくる商人を調べようと思うんだ。協力してよ」
「協力はやぶさかじゃないけど、私に何かメリットはあるのかな?」
「首尾よくどうにかできれば、そこで見つけた魔導書は全部君のものだよ」
「うん、それは魅力的に思えるけど、ちょっと不確定すぎるかな。もうちょっと確実なものが欲しいな」
にこにこといつものように笑いながらジャスパーは押してくる。うまく釣られてくれればよかったのだけれど、やはりこの程度ではだめらしい。
「ん……なら、最近聞いた、“入口”の情報も付けようか?」
「入口?」
首を傾げるジャスパーに、僕は頷く。
“入口”と思わせぶりに言うのは、もちろんそれが“狂魔術師の迷宮”への入口を指しているからだ。この都の地下いっぱいに広がっている迷宮は、まだまだ未探索の部分も見つかっていない入口もたくさん残されている。
もちろん、“狂魔術師”自身の遺産もだ。
「見つけたのは“組合”に所属してる冒険者だ。だけど、“組合”はまだ単に地下下水道の入口だと思ってるようだね」
この都で、単に“組合”と言ったら、ひとつしかない。当局からは犯罪組織として目をつけられている、いちばん大きなならず者たちの組織だ。
もちろん、そんな組織は大なり小なりいくつかあるのだが、僕はいちばん付き合いやすくて節度を弁えていて大きいところを選んでいる。
「で、その発見者の所属冒険者グループが探索しようと算段を立ててるところ。彼らはまだ南地区に滞在中だよ。今のところ確証が持てなくて躊躇してるだけだから、出発は時間の問題かな」
「じゃ、君はもう確証を持ってるってこと?」
「そう。話を聞いてから僕が今まで集めた伝説や風聞を検証してみたんだけど、確かに、そのあたりに入口があってもおかしくないんだ。何より、その入口近辺の地下下水道には、守護者崩れと思われる魔物も徘徊してる」
「へえ? それはちょっと興味が湧いてきたな」
迷宮の入口と魔物と、いったいどっちに惹かれたのかはともかくとして、ジャスパーの興味を引くことには成功したようだ。
「商人の調査、頼めるかな?」
「しかたない、頼まれてあげよう」
「君なら引き受けてくれると思ってた。これ渡しておくよ。入口周辺の情報と、そこに目をつけてる冒険者の情報も付けてあるから」
「さすがわかってるね」
ジャスパーはほくほくと僕の差し出した書類ケースを受け取った。軽く中を改めて、ぽいと机の上に放る。
ジャスパーの塔を出て、さらに2、3の用事を済ませると、僕はまたお屋敷へと戻った。3日もすれば、あの商人について何かしら情報が入ってくるだろう。
ついでに夜間の襲撃にも備えたほうがよさそうだし、エリアスにも話を通しておかなくちゃならない。
遠くから夕刻の鐘が響き、すっかり日が傾いた空を見上げる。
思ったよりも時間がかかってしまったようだ。
この時間なら、エリアスも宿舎のほうにいるはずだ。
どうせエリアスとも会わなきゃいけないのだし、まだ続けているかはわからないけれど鍛錬場も覗いていこうとぐるりと回る。
そのまままっすぐ鍛錬場へ行くと、リオナの声が聞こえてきた。何やらはしゃいでいるようだが、本当に元気がいい。
「あ、アートゥさん!」
ひらひら手を振るリオナに片手を上げて応える。その後ろには、エリアスとシャーリーがいたので少し驚いた。
「アートゥさん、俺、姫騎士目指すことにしたよ!」
「姫騎士? 姫で騎士? そもそも君は王族じゃないよね」
リオナの使う言葉は、時々意味がわからない。たぶん、リオナが生前暮らしていた世界固有の言葉なのだろう。けれど、そこからその世界がどんなものだったのかを想像するのは難しい。
「王族とかは関係なくて、姫騎士ってのはイメージなんだよ。普段は護衛にエリアスさんかシャーリーさんみたいな騎士を連れて、町をお忍びで見回って、いっしょに悪者退治なんかをやってるんだ。けど、うっかり町の外に出てオークなんかに捕まって酷いことされそうになって、“くっ、殺せ!”なんてうるうるしながら言っちゃう、姫で騎士っていうイメージなんだって!」
「んー、どういう妄想なのかよくわからないな」
リオナの説明になってない説明でも、想像できないことはない。けれど、いったいどこからそんな発想が来るのかが不思議だ。
そもそも姫で騎士というのは、身分的にどうなのか。王家や貴族の姫が自ら騎士として鍛錬することはよくある話だが、その場合は騎士を名乗るものだ。“姫騎士”という称号は聞いたことがない。
「けど、ひとつ訂正すると、豚鼻に襲われたらたいていは“くっ、殺せ”なんて言う前にさっくり殺されてるものだから、気をつけてね」
「やだなアートゥさん。いたいけな子供の夢を壊すとか、大人気ないよ」
「うん、僕はそういう大人気は持ってないからいいんだ」
それにしてもいきなりいったい何の話かとエリアスをちらりと見やれば、小さく肩を竦めるだけだった。シャーリーも困ったように笑っている。
ちなみに、シャーリーはさりげなくエリアスに寄り添うように位置取って立っている。エリアスは気付いてないようだが、どちらもさすがだ。
「……君の場合、変に芸を仕込む必要はない気がしてきたよ。お嬢もルーファス様も、そういうよくわからない変な話するだけで喜ぶんじゃないかな」
「え? なんで? 俺、別に変な話なんかしてないよ? しかも芸を仕込むとかって何? 俺って猿回しの猿?」
「猿は回さないけど、まあ、ちょっと言葉は悪かったね」
憤慨するリオナを宥めながら、後であれこれ聞き取りをしようと決めた。もしかしたら、お嬢の暇潰しになる何かを聞き出せるかもしれない。