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ずれ落ちたファッション雑誌を拾ったハシブトは、真剣な顔で美野里を見ていた。
怒った美野里は、すぐに顔をしかめてため息をついていた。
だけどハシブトは怒るわけでも、悲しむわけでもなくただ一点に美野里を見ていた。
美野里は、友達が少ない。
いや美野里が友達を連れてきたのも、友達と一緒に歩いているのも見たことがなかった。
僕は淡い期待をしていたのかもしれない、もしかしたらハシブトが友達になってくれるんじゃないかと。
晴れた冬の空は、寒い風を病室に運んでいた。
ピリピリと張りつめた空気が、僕とハシブトと美野里の間に張りつめた。
「どうやら嫌われようだな。わしは、嫌われることに慣れておるぞ」
「なによ、あたしのことを何も知らないくせに!薄っぺらな同情なんかしないでよ!」
「だからだ。だからこそ、わしはぬしの孤独を癒したいのだ」
それでもハシブトの顔は、あくまで穏やかだった。いつものたれ目で、美野里を見ていた。
気品というか、温かみというか、ハシブトはそんな空気を出していた。
逆に自責の念に駆られて美野里は、ハシブトの顔を直視できない。
初対面の人に雑誌を投げつけた罪悪感だろうか、白い布団に顔をうずめてしまう。
「あたしの孤独を癒せるのは、誰もいない!あたしの病気なんて、本当はね、嘘なの」
さらりと言う美野里の言葉に、僕は驚いていた。
「嘘?」
「そうよ、あたしはかまってほしかったの!」
「ええっ、だって不治の病だって……」
「病気じゃない、あたしはずっと仮病を使っていただけ。
退院したって、母さんも兄さんも戻ってこないから。だって、あの家に帰りたくない!」
「父さんとうまくいっていないのか?」
「違うわ、うまくいっていないのはあたしだけ。父さんは何も悪くない。
それでも、あたしはあの家に一人しかいないのが怖いの」
「美野里……」僕も、少しだけ理解できた。
「あたしの家はね、父しかいなくてほとんど仕事。
離婚の頃、運悪く父さんは会社をクビになって、今はトラック運転手で仕事しているの。
不規則な生活だから家に帰れば、寝ているだけ。休みの日だって、ほとんどないの。
あたしと、会話も全くしてくれないんだから」
美野里の告白に、僕は胸が痛くなった。
寂しく、可哀そうで、居場所のない美野里。
そんな美野里は、同情されたり哀れまれたりするのが嫌だった。
「もし、退院してあたしが家に帰っても、一人だから……」
「父さんは、美野里のために入院代を稼いでいるんじゃないか!」
「でも、そんなのイヤなの!あたしには家族しなかったから、もう生きていけない……生きていけないよ。
あたしには、友達なんか絶対できないもん!」
美野里と僕は初めてちゃんと話した気がした。
僕は、初めて美野里の本心を知ったのだから。
あまり話さない、普段は話すことのない美野里の心の奥底に眠る家族への気持ち、想い。
「あたしって、ものすごくみじめでしょ。
学校では友達もできなくて、誰もお見舞いにも来てくれない。
こんなに苦しいのに、入院までしているのに、『孤独』だって言われたら、あたしはどうしたらいいの?」
「美野里、おい……」
目を覆い、泣き出していた美野里。でも一生懸命、涙を隠そうと必死だ。
小さな体を震わせて、美野里は泣いていた。
「あたしって、そんなにみじめ?『孤独』って言われるほど、みじめなの?
かわいそうな子なの、ダメな子なの?」
「そうか、ぬしも孤独なのだな」
相変わらずの笑顔でハシブトが、美野里の前で両手を広げてきた。
涙目の美野里は、ハシブトに訴えるように言っていた。
少し赤みがかった目のハシブトは、美野里に向けて両手を広げた。
「ならば、わしの胸に飛び込んでくるがいい。ぬしの孤独を癒してやろう」
「どうして……あんなひどいことしたのに?」
「わしは『孤独を癒す』のが大好きだ。ぬしのことも大好きなのだ」
その瞬間、美野里はハシブトの胸に飛び込んでいた。
「あたし、ダメな子なの。友達も、家族もいない。一人では何もできない、弱くてダメな子!」
「そんなことはないぞ、ぬしは強いのだ。決して、孤独でもない」
「嘘よ!あんたの言うとおり、どこからどう見たってあたしなんか孤独なんだから!
友達も、家族もあたしの周りには、もう誰もいない……いないの!」
「それは違う、ぬしにはぬしを大事に思ってくれる人がいるではないか」
「ないよ、そんなのいない!」
「そうか?では、なぜ喜久がここにいるのだ?喜久なら、分かるだろう」
ハシブトの言葉に、胸に抱かれた美野里は僕の方を見てきた。
涙をあふれたまま、僕に視線を合わせてくる美野里。
ハシブトに言われた僕は、少し照れくさかった。
そうだ、僕はなぜいつもここに来るのだろうか?気難しい美野里に会いに行くのだろうか。
美野里に会うだけで、嬉しくなる。
美野里に会うだけで、つながっているような気がする。
美野里に会うだけで、僕は僕でいられるそんな場所。
僕はそして、一つのことに気づいた。
「僕は……美野里ともっと話がしたかったんだ」
「兄さん?」
「ああ、僕もちゃんと美野里の心配しているんだぞ。今だって……」
「そう……だったんだ」
顔を上げた美野里は、大きくため息をつく。
僕は、なんとかハシブトのような笑顔を照れながら作った。
やっぱりうまくできない、僕はこういう顔を作るのが苦手らしい。
とても照れくさい、だけど言葉はしっかり伝えたかった。
「ああ、美野里。僕だって家族だから、美野里とは血が繋がっているんだから」
「そうだね、兄さん。ごめんなさい、忘れていた。大事な事」
ハシブトに抱きついたまま美野里は急に笑顔を見せた。それは、今まで見せたことない笑顔で
「ありがとう、あたしに気づかせてくれて」
僕にそう言ってくれた、それだけでうれしかった。




