神崎ツツジからアルテ・ロードへ
アルテ・ロードへ
君は本当に死んでしまったのかな。
今でも信じられない。人から聞く君はまさしく「英雄」で、太陽みたいな存在だ。
君が築き上げた何もかもを、無駄にする私を許さなくていい。
許さなくていいけど、どうか見守ってくれ。
いや、見守らなくてもいい。
君は君で、幸せになっていてくれ。
私も私で、幸せになるから。
それじゃあ、この手紙がいずれ開かれることを願って。
神崎ツツジより
通信
君と私の記憶が連続するとは思わないから、別紙詳細を書いた紙を添える。心して読んでくれ。
こんな妄想をしたことはあるだろうか。
もし、別人に成り代わることが出来たら。
その人物が超人的な力を持っていたら。
退屈で心地の良い昼下がり。夕日に染まる道で帰路についているとき。小説や漫画を読んでいるとき。または夢の中で。
私はスーパーマンになる。なんでも出来て、理想の人物になる。
まるで絵本の中の正義の味方みたいに。誰よりも献身的に、私は人々に奉仕する。
周囲は私の望むどおりに動いて、愛してくれる。
稚拙で、愚かで、でもそれに縋ってないと耐えられないときがある。
スコールでびしょ濡れになって、靴下から這いずり回るような寒気がずっと襲っている今なんかは特にそうだ。
こんなとき、私は魔法使いになる。指の一振りで速攻乾いて、周囲の人々から雨を覆うシールドを出すのだ。
皆私に感謝する。私は気分が良くなる。
…現実は傘を忘れた愚かな女が一人いるだけだ。
大人にもなって、こんな妄想に浸ってもいないと、耐え切れないときがある。
お酒でもたばこでも消せなかった。
心の中の童がまるで声を大にして泣いているようだ。
ごめんね。こんな大人でごめんね。
過去の私に謝る。
過去の私を抱きしめる。
肌に触れる雨が冷たくて痛い。
少ししょんぼりしながら家についた。普通のワンルームのアパートだ。
「ただいまぁ…」
声が虚空に消える。
ノロノロと玄関で全てを脱いで、熱いシャワーを浴びる。
身体があったかくなって、ようやく気力がすこし湧いてきた。
脱いだ服を洗濯機に突っ込み、リュックの中身を片付けた。
神崎ツツジ。フリーター。25歳女。
それが私の今の肩書で、全てだ。
食欲なんてないけど、頑張って出来合いのスープを飲んだ。暖かくて優しい味がした。
歯を磨いて、ベッドに入る。
ダラダラとスマホを眺めた。
スマホのブルーライトとたくさんの情報を浴びれば、あっという間に眠る時間だ。
こんな毎日ばかりだ。
でもなんとか生きている。
スマホのバナー広告に、ASDの文字が浮かんでいる。どうやら本の広告らしい。
大人の発達障害がうんたらかんたら…。
顔をしかめて小さなバツ印を押してバナー広告を消す。
その本に何の罪もないけど、ASD持ちの自分は正確に書かれていてもいなくても、あまり目にしたくない文字列だ。
正式に診断が下りたのは、確か二年前だったか。
集団から疎外されて生きてきた人生だった。
友達が出来たかと思えば、すぐに離れていく。皆私の異常性にすぐ気づく、賢い人ばかりだった。
幸運なことにいじめなどには遭わなかったが、されてもおかしくなかった。
いじめには遭わなかったが、孤独なことには変わりなかった。
友達もいない、バイト先にもなじめない。
どうしたらいいのか分からない。
今日は、ある業務を任されたとき、本当にこれは私がやる業務なのか、私より暇な人がたくさんいるのに、なんて思いから、「これ私がやるんですか?」と聞き返してしまった。
この聞き返し自体いけないことだったらしい。
今でも社員さんの強張る顔が目に浮かぶ。
結局私がその仕事を担当することはなかった。
会話の仕方は学べるという。じゃあこの嚙み合わなさも、いつか消えるだろうか。
夜だからだ。こんなどうしようもないことを考えてしまうのは。
もう寝よう。
暗い部屋の闇に押しつぶれる前に。早く、早く。
そして私の意識は、泥のように少しずつ底に沈んでいった。
明日は少しは、マシな日になりますように。
目が覚めたら、知らない天井だった。
「ハッ」
思わず声に手を当てる。声が風邪を引いたとき以上に低かった。
なんか喉に凹凸がある。
そう感じた瞬間、びっくりするくらい俊敏に上体を起こせた。
牧歌的な鳥の鳴き声がどこか現実離れして聞こえる。
部屋を見渡した。
私が暮らしているワンルームよりも広い。
だけど、私の部屋より何もない。ベッドとサイドテーブル、その上に置かれている照明、他に何もない殺風景な部屋だ。
大きくて清潔そうな白のシーツの上に寝ている。寝ている?
これは本当に私の身体なのだろうか。
手をマジマジと見つめる。
私の手より数段デカくて、血管が浮いていて、筋張っている。
腕から肩にかけての筋肉がしっかりついている。
もう一度、喉を抑える。これはもしかして、喉ぼとけというものではないか。
顔の輪郭を指でなぞる。なんだかシャープになっている。私は自他ともに認める丸顔だったはずだ。
胸は平らというには、張っているが、明らかに胸筋の部類に見える。
そして、そして…。
気にしないようにしていたけど、やっぱり、足の間に何かある!!!!
こう、ふにってして、むにってして、良く分からないけど、確実についている。
怖くて手を伸ばして確認する気にもなれない。
なんなんだ、一体。
というかここはどこなんだ。
窓から日差しが穏やかに差している。
今は日中か、それとも朝か。
誰か私にこの状況を説明してくれ。
部屋のどこにも鏡がなかったから、自分の姿が分からない。
鏡さえあれば一発で現実が分かるのに。
でも、鏡があったら、現実逃避も出来ないかもしれない。
とすると、鏡はないほうがよかったか。
自分の姿で、絶叫はしたくない。
それが例え、別人であっても。
とりあえず、立ってみた。
床はタイル張りで冷たかった。
なんか、高い。
身長が十センチ以上は確実に高くなっている。
いつもと視界が違いすぎて、酔いそうだ。
一歩、踏み出してみる。
いつもと歩き方も違う。
外に向かって歩いている感覚だ。
肩に手を置いた。
肩幅が広くて角ついている。
間違いない。
認めるのは本当に嫌だけど、嫌だけど、どうやら私は男になってしまったらしい。
ゴトッ。
音の方に目を向けると、灰色っぽい服を着た若い男性が、本を落としてこちらを見ていた。
目玉が落ちるかと思うくらい見開いて。
「あの」
思わず、声を掛けた。続く言葉は、「ここはどこですか」になる予定だった。
「い」
「い?」
「生き返ってるーーーーーー!!!!!!!!!!!」
灰色っぽい服を着た若い男性は、そのまま意識を失ってしまった。
あとに残されたのは、何にも分かってない男になった私だけ。
「え」




