18-2 霧ノ香地区です
門から玄関までの石畳を、踏みしめる音だけが響く。
視線を上げれば、屋敷の欄干に、まるで死んだように止まる無数のカラス。
一羽も鳴かない。瞬きすらしない。
使用人が多い筈の屋敷に無人。異常事態以外の何物でも無い。
独り言を呟くと、彼女は編み上げブーツを脱がずに中へと上がった。
━━過去の事例から、考えられる可能性は3つ。一つは何かを召喚する生贄として、住人の大多数が消えている。ただしこの場合は、召喚者が究極の間抜けで無い限り居る筈だ。二つ目は何かと契約して事を成したが、契約違反によりペナルティを受けた。……にしては気配が禍々しく無い。ペナルティで生き物を神隠ししたり喰ったりすれば、何かしら歪が顕になるのに、ソレが無い。
なら必然的に、三つ目の可能性が高い。
住人達が意図して隠れている。しかし、それも違和感がある。大所帯で完璧に隠れるならば、侵入者の見張りは必須事項であるにも関わらず、視線を感じないからだ。
麦穂は立ち止まり、隣の壁を数回トントンと叩いた。何が彼女のセンサーに触れたのかは分からない。しかし、その感は大当たりだった。
少々乱暴に壁を蹴ると、ちょうど人1人通れる扉くらいの幅の壁が、クルクル回ったのである。
麦穂は壁の中心辺りに指を突き立てた。完全に物を掴む形だった。そして強引に、その壁を引き剥がしたのである。
「ふむ……」
…………ドゴシャッ!!
監視がいるなら、壁をぶっ壊しただけでも殺気が何処からか来るだろう。麦穂はわざとその壁を、粉砕する勢いで床に投げ捨てたのだ。だが、殺気も怒号も聞こえて来なかった。
「……三つ目の可能性も違いましたか」
悪びれ無く溢すと、彼女は壁の向こうにあった室内へと足を踏み入れた。
埃の匂いもカビの匂いもしない手入れの行き届いている部屋だった。
━━ソファーにテーブル……本棚、小さな冷蔵庫。ちょっとした秘密基地ですね。
そのテーブルの上に、広げられた状態の絵巻物を、麦穂は見つけた。
描かれていたのは、涙を流し水面に立つ白無垢の女。そして頭上に小さな祠と、その祠を抱えるように隠している男。男には、犬の耳と尻尾が付いていた。
━━珊瑚色の髪と耳、白い尾、社家の者の特徴ですね。
女の方は何かを持っているようだが、管理が杜撰だったのだろう。カビがきており、何なのか不明だ。
━━総合すれば何の絵なのかは分かりますけど……やはりこの持ち物部分は気になりますね。
麦穂が眉を寄せていた時だった。
屋敷の奥から、声が聞こえた。
一目散に、音源へと走る。中庭かと思ったが違った。季節外れの白梅の木の横を通り過ぎてさらに奥の建物に入る。まだ灯りの燈らない灯籠がずらりと天井を覆う廊下は歪で、ぐるぐるぐるぐる同じ場所を巡っているような錯覚を彼女に覚えさせた。しかし、
「捕まるかバーカ!! 悪運の強さだけは! 俺は宇宙一なんだよ!!」
その声は、廊下の奥では無く横の壁━━否、灯籠とは繊細さは同じでもデザインの方向が西洋風で違うステントグラスの窓の向こうからだった。
麦穂の行動は早かった。躊躇など微塵も無しに窓を叩き割り、外へと飛び出した。
「全く……世話の焼ける部下だこと」
色とりどりの硝子の雨の中で彼女が見たのは、40度以上の熱に魘されてる時に見る悪夢のような光景だった。
広すぎる庭、というか荒野。
その奥で土煙を巻き上げて全力ダッシュ中なのは、馬鹿でかい牙を持つ、赤と金の毛並みの巨大な獅子型の魔物。
ここまでは、セーフだ。何かおかしいが、目に毒では無い。
問題は、その魔物から白い旋風のように逃げ回っている存在である。
風に舞う純白のドレス。
裾は完璧なAライン、レースの透け感も上質。ヴェールは軽やかにたなびき、アクセサリーは煌めいている。
まるで一幅の幻想画だ。
━━あの愚か者、着こなして(?)やがる。
ドレスのサイズ感は驚くほどぴったりだった。無駄な贅肉ひとつないラインが妙に映えている。
脚捌きも悪くない。ヒールなど慣れていないだろうに、とんでもないスピードで走れている。
そう、全身全霊の超全力だ。奴は━━水沫は今、本気で花嫁をやっていた!




