9-10 「夢の終わりで、君を想った」
光が収まると、そこは美しい本来の姿を取り戻した最果ての島の草原でした。
女神エデルの庭という名に相応しい光景です。
空は朝焼けで染まり、雲ひとつありません。
地面には青々とした草花が生い茂り、新鮮で甘い空気が漂います。
ナナミが置いてくれた手のひらの上にある卵を撫でると、
「ピィ!」
と元気な声がして、真っ赤な羽の小鳥が生まれました。
「ピィ!良かった!」
「ピギャッ!!?ゲゲゲゲッ!ピゲーーーッ!」
勇者は喜んで、失ったはずの小鳥の名前を呼びます。
小鳥もとっても嬉しそうに鳴いています。少し変な声だけど、元気な証拠です。
魔王がいなくなり、ナナミの顔を染める怖い黒い模様は消えました。
呪いが全て無くなった魔女は、とても嬉しそうにニコニコと笑っています。
呪いが解けた魔女は、とびきりかわいいただの少女になりました。
「ありがとう、ロイ。全部終わったのね」
可愛い笑顔に勇者はメロメロです。
小鳥は偉そうに魔女の肩へと止まります。
私のおかげだな、とでも言いたげです。
「ピィも、命を救ってくれてありがと」
チュッ、とほっぺたにキスをされて、小鳥は赤い羽がさらに赤く染まります。
煩悩まみれの勇者はギョッと目を丸くし、顔を真っ青に染めました。
「あ゛ーーーっっっ!!!?俺だってまだされたことないのに!?」
「ロイったら……」
見つめ合うと、嬉しくて自然と笑いが込み上げます。
花々が咲き乱れる草原の上、疲れ果てた二人は寝転がり、朝焼けの空が青く晴れていくさまを眺めながら、今までの話をしました。
「初めて会った時、なんで宝箱の中にいたんだ?」
「私だって知らないわ。目が覚めたら宝箱の中だったんだもの」
「あー、めちゃくちゃ疲れたし温泉に入りたいなー」
「ロイってば温泉が大好きだものね。温泉と言えばやっぱりツクヨの国かしら」
「あ、そう言えば剣が欠けたんだった。ドワーフ達に直してもらわないと」
「彼らのことだから、喜んで直してくれると思うわ。ノルディア雪原国にも行きましょう」
「命の樹は無事かな。ピィに出逢わせてくれた影にもお礼を言いたいんだ」
「お次はナンバル=ムウをご所望?泣いていたくせに、試練の洞窟にまた入りたいだなんて、本当物好きな人」
「でももちろんルミーナ王国にも帰って……その、だな。やりたいことがある!」
「あら、他の人とデートしたところならば許さないわ。ちゃんとあなたがプランを考えてね」
「あーっ!あーそうそう!イル=シャル国にも行って立ち直ってる姿も見なきゃな」
「ほとんど寝ていたから記憶があまりないの。ゆっくり街を探索したいわね」
「レオンが最高位神官になった姿も見に行きたいなぁ」
「セレスティア聖教国へ行くのは気が進まないけれど、あなたがいるならついて行ってもいいわ」
これからやりたいことがいっぱいです。
二人一緒ならなんだってできます。
「で、ハナレア島で……もっかい、ちゃんと……あれだ!アレを……伝えるから……ナナミの答えが聞きたい」
「……」
顔を真っ赤にした勇者。魔女はライラックの瞳でじっと見つめた後、同じように顔を赤く染めます。
とびきり幸せそうな、乙女の顔でした。
「ふ、ふふふ…!あはは!」
「笑うことないだろ」
「好きよ、ロイ」
「え」
今度は勇者の方が灰の瞳をまん丸に丸める番でした。
「病めるときも健やかなる時も、晴れの日も雨の日もあなたが年と共に私を忘れたとしても、ずっと、ずーっと愛しているわ」
二人の幸せを祝福するように、暖かい風が駆け抜け色とりどりの花びらが舞います。
今この時だけは、完全に、世界には二人だけしかいないのではないかと錯覚するほどでした。
「おーい!」
「ロイーッ!ナナミーッ!」
やがて勇者の仲間たちも駆け寄ってきました。
「あ、あ、あああ!お前ら!無事で良かった!」
「こっちのセリフよ!」
「本当に、魔王を倒したんだな」
「すげぇよ!よくやった!さすが俺たちの勇者だぜ!」
「いやいや、みんなのおかげだよ。俺もうボロボロで……」
辺りはワイワイとっても賑やか、お祭り騒ぎ。
正直邪魔をされた気分になります。
ウルトラスーパーハイパー超大事な話をしていたからです。
続きを話したいのに、目当ての魔女は人差し指を口元に持っていき、しっ、というだけです。
「よぉーし!英雄の凱旋だー!」
クラリスが竪琴を鳴らし、美しい声で歌います。
ナックとジークとクロエとシルリアがわーっしょいと言う掛け声と共に胴上げもします。
傍らでは魔女と小鳥が優しく笑っています。
勇者ロイにとっての「最高に理想のハッピーエンド」でした。
何もかもが完璧で、幸せで、暖かくて。
「……俺は、この未来のために……」
「ふ、ふふ…あはっ!あはははっ!あーーっははははははははははははははははははははは!」
「……ク、クク……」
***
どこからか響く、鼓膜を逆撫でする哄笑。
それは運命が人の愚かさを嘲る音色。
ピキ、ピキピキピキッ!!
幸福に満ちた青空に亀裂が走り、砂糖菓子でできた世界がガラス細工のように砕け散る。
暖かい風も、花の香りも、愛しい笑顔も、全てが剥がれ落ちていく。
無理やり網膜をこじ開けられ、冷酷な現実に引きずり戻される感覚。
パリンッ!
「ハッ……!」
ロイが弾かれたように目を見開く。
そこは、陽光溢れる草原でも、最果ての島でもない。
厚い石壁に閉ざされ、どこまでも蒼く、冷たい海光が揺らめく場所。
ルミーナ王国、海底神殿。
魔王ゼロを討ち果たし、季節が巡ろうとしている「今」。
礼拝堂の長椅子に深く沈み込んだロイの体は、枯れ木のように痩せ細り、かつての精悍さは見る影もない。
生気を失った頬、伸び放題の髪。
虚ろに開かれた灰色の瞳は、深海の闇よりも深く澱んでいる。
夢から醒め、震える両の手が握りしめているのは、遺品だけ。
一つは、ナナミが肌身離さず持っていた、何も書いていない古びた本。
もう一つは、この深海で手に入れた素材で職人に頼み込んで作らせた「マーメイドパージュ」の髪飾り。
渡すはずだった、未来の約束。
蒼白く揺らめく神殿の静寂の中、アリアの燃えるような赤髪だけが、鮮血のように網膜に焼き付く。
彼女は言葉を発することなく、数歩離れた場所で、ただ静かに背中を丸める英雄を見守っていた。
世界を救った勇者。
平和をもたらした希望の象徴。
だが今の彼は、魂が抜けてしまったように空っぽの人間になってしまった。
「……そういう夢を、見たんだ」
乾いた唇から漏れた声は、擦れた紙のように頼りない。
ロイは空っぽになった瞳の奥で、脳裏にこびりついて離れない「真実の記憶」を反芻する。
魔王が消滅した、あの日。
奇跡の光が世界を満たし、花々が咲き乱れたあの楽園で。
彼女は、優しく微笑んでいた。
その後で残されたのは、世界中に溢れる生命の息吹と、圧倒的な喪失だけ。
ロイの手の中で、冷たい髪飾りが微かに輝く。
主を失った貴重な宝石は、二度と戻らぬ温もりを無慈悲に映し出している。
ーーあの日。
この世界から、最後の魔女はいなくなってしまったのだ。
第九章 完




