送別 ~シェイキングピース~
いつもより2000文字多め!
モモがメアリの家に立ち入るようになってから数日が過ぎた。街はかわらず活動し、人々は労働を対価に生きていく。
モモはプリントTシャツと黒のショートパンツの上に赤いパーカーを羽織って玄関に立った。これからまもなく出勤だ。
学校から帰ってきたばかりのメアリと入れ違う形での出発になるが、寝たきりの老人の世話をしつつ、生活を両立するにはこうするほかない。
片腕を通したあたりでモモは結局あまりメアリの傍にいれていない事に気づく。人を助けることのどんなに困難なことか。
思わずため息が出る。
「モモお姉ちゃん?」
床板を踏みしめる音がした。振り返るとメアリと視線が合う。
「あぁ、いってくるよ」
「うん。いってらっしゃい」
メアリは小さくてを振る。その動作の後に何か続く予感がしたモモは、ドアを緩慢に開けた。
「あのね。ありがとう」
ちょっと胸の真ん中あたりが熱を持った。目頭から思わず涙が出そうになって、モモは吐息のような笑いで防ぐ。
雑貨屋を出るとモモは人の流れに乗って広場まで歩いていく。心なしか今日はあまり人がいないような気がした。
どうしても違和感を覚えたモモは歩く人の種類に注意した。するとすぐに違和感の正体に気づく。
男性が少ないのだ。それも若い男性が。
昼過ぎの時間帯なら学生たちも放課後で解放されている。バイトをしている人によっては午後三時過ぎは暇な者もいるはずだ。
まぁ、ささいなことだ。気にするまでもあるまい。モモはパーカーの襟を直しつつ、『Ìle Sole』に向かう。
広場につくとアレス像の前で人だかりができていた。白い布を持った青年と中年の女性を老若問わず女性が囲んでいる。何が行われているのだろうか。モモは遠目から眺めつつ店に入ろうとする。
が、その直前に取り巻きの一人がモモに気づき、「ちょうどいいところに!」と言ってこちらに走ってきた。
「な、なんですか?」
まさか相手から来るとは思わず、モモは面食らった。やってきた白髪の元気な老婆は「ま、とにかく来なさい」と強引にモモを引っ張ってきた。
「あら、きれいな娘じゃない」「細いわねぇ」「まつげが長いわぁ」「赤がよく似合うわねぇ」
口々に言葉を投げかけられ、モモは戸惑って照れ笑いを浮かべることしかできない。
「あ、あの…なんの御用でしょうか?」
やっとのことで一言口にする。
「ああ、ちょっといいですか?」
女たちに阻まれて肩身が狭そうにしていた青年が片手をあげて注目をあつめた。
どうやら混血らしく、彫りが浅く、肌が黄色人種系で丸刈りの黒髪に青い瞳が印象的だった。
彼は緑色のどこかの制服らしい格式ばった代物を着ていた。
「僕フリードリッヒ・スズキと申します。この度徴兵の令が国より下りましたので従軍するんです。そこで戦地までの道中の安全と、戦闘でけがをしないようにと故郷の極東の風習の一つ、”千本針”っていうのをやって回ってるんです」
「女性じゃないと効果ないらしいので…」
おそらく青年の母であろう女性がすみません、と頭を下げる。
そういうことなら、とモモは協力することにした。
「それで、私は何をすればいいんですか?」
「こちらの腹巻を一本縫ってください。ちょうど最後のところです」
青年が差し出した白い腹巻の上の針をとり、モモは手際よく最後の一本を整え、するすると玉止めを行い、横から渡された糸切り鋏で余った分を切って完成させた。
「お嬢さん、何か一言一言」
取り巻きの老女の一人がそんな風にあおってくる。
青年のほうを見ると彼は照れ笑いを浮かべた。なんだかこちらも恥ずかしくなってきて俯いてしまう。
「……その」
モモは少し、考えて言うことを決めた。
「絶対に生きて帰ってきてくださいね。名誉なんかよりも命のほうが大切ですから」
しっかりした言葉に青年は少し驚いた。
モモはにっこりと笑って、腹巻を青年の手に乗せ「お元気で」、と一言添える。
ありがとうございます、お手数おかけいたしました、と青年の母がお礼を述べ、青年もそのあとに続く。
モモは一礼してから彼らを後にした。
何歩か進んだとき、「モモさん!」と呼び止められて振り向く。
「帰ってきたら、絶対にモモさんのところにコーヒー飲みに行きますから!」
まさか自分のことを知っていたなんて。
モモは驚き半分、うれしさ半分ではにかみながら大きく手を振った。
「はい!ぜひともいらしてください!」
一行が見えなくなるまで手を振って、それから一息。
徴兵。
そういえばあの緑色の服装は軍服だった。道行く人の中に、あの格好は多かった気がする。
またどこかで戦いが起きようとしているのだろうか。
モモは雲にまとわりつかれる太陽を仰ぐ。
■■■■■
木の机にオレンジ色の光が差し込み、影と鮮やかなグラデーションを描く。
その向かい側のより明るい机に、一人の女性が紙の束に羽ペンで何かを書き付けている。
進みは遅いが優美な文字の連続は、内容もさることながら格式高い。それに、何かに一心不乱に打ち込む姿は何よりも美しい。色の薄い金髪は夕日の赤に染まり、どこかこの世ならざる気配すら感じさせる。
コト…と小さな音がする。
一人の長身の男が本棚に書物を戻した音だ。
ここはフランス首都ペリ市聖ガブリエル書籍堂。いわゆる国家図書館だ。数十階にも及ぶ巨大な建造物で、有史以来のありとあらゆる文献がここに集められているとも噂されている。
時はすでに午後の六時を過ぎようとしていた、一般はもう閉館時間だが彼らは例外だ。
この書籍堂はクロス教の管轄下、そして二人はその関係者だからである。
男は窓辺に、物書きに夢中になっている女性をみとめて静かに隣の席に座った。彼は一言も発さず、ただ柔らかな表情で女性と羽ペンの動きを眺めている。
やがて空が紫とトパーズのツートンになる頃にようやく女性は筆を止め、大きく伸びをして、やっと隣の男に気づいた。
「あれ、いつの間に来たのセルギウス」
「ずっと前からだ。シスがいたから眺めていた」
「熾天使は暇だな」
「苦労して作った暇だ。存分に楽しまねばなるまい」
「悪趣味なやつ♪」
シスと呼ばれた金髪の女性はペンとインク壺を片付け、体を男―――セルギウス―――に向けた。
「で、しがない智天使になんの用」
「食事にでも行かないか?」
シスはガタン!と椅子を吹っ飛ばしながら立ち上がった。
「ほんと!?じゃあ、あたしフィッシュアンドチップスが食べた――じゃなくて!」
うっかりセルギウスの言葉に乗っかかりかけたシスだがすぐに軌道修正する。
「真面目な話、なんの用事なの?」
「政府の連中が”賢者の記憶”を開いてほしいとのことだ」
シスが眉をひそめた。
「……用途は」
「明日のライン川の天気予報だ」
「そんなら開くまでもない。力天使と能天使を派遣したし、大天使と天使も百人以上付けた。晴れない理由がない」
「確かにそうだが…」
「必然の結果は予測する必要はない。ま、本音は”賢者の記憶”を政治家どもに使わせたくないだけなんだが」
そうか、とセルギウス。
「なら私も腹を割ろう」
彼は表情を改め、一転してきりっとした顔になった。
「正直なところ戦局に問題がないのは私も同意見だ。ヨハンや、オードリーら期待の星が現場にいるからな。だが、私が気にかけるのは単純な損害ではない。そのあとだ」
「逃げ出した魔物の行方か」
シスは目を細め、片手を額に押し当てた。
「ライン川の近くには港町、アルザスがある。戦闘の音は住民には感知されないだろうが、敵の残党が街に潜伏するかもしれない。その可能性、いや、未来を明らかにしたい」
シスはセルギウスの話を聞き終えるとふっ、と満足げな笑みを浮かべた。
「君はとことん人間の味方だな」
「祝福と一割の血を抜けば私も人の子だ。君とは違う」
「よく言うよ、盾の化け物め」
シスはよっこらしょ、と腰を上げ、椅子を丁寧に戻してセルギウスについてくるように言った。
人の背の二倍もある本棚の間を進んでいくと最上階まで見通せる広場についた。
六角形の大理石の床から回廊状の作りが積み重なっていて、文献がきっちり分けられている。
シスは自分がいる1階の六角形の床の中心に立ち、どこからともなく革張りの本を取り出した。
表紙を開け、ばらばらとページをめくっていくが一文字も書かれていない。
その中身のない本を両手で持ち、あたかも本棚に戻すように、シスは虚空にそっと置いた。
本は落下しなかった。
空中で静止した本がブルっと震える。
直後、六角形の床が光を放ち、その輝きをとある図形に収束させていく。魔法陣だ。
光の回路は建物の壁という壁、本棚の一つ一つにいたるまですべて連結、通過して天井までたどり着き、そこにまばゆい光の玉を作り出す。
「此処は量子の海、彷徨うは無限。我は問う、記録に意思はあるか?」
光の玉が瞬き、一瞬収縮してからはじけ飛ぶ。無数の光の粒子は建物のそこかしこに散らばり、触れた書物が命を得たかのように飛び出す。
砲兵が順に迫撃するがごとく、本棚から書物が射出され、多種多様、縦横無尽に虚空を駆け巡る。
本たちが飛び去った後には文字の刻まれた紙が残され、ゆっくりと漂う。
セルギウスはふわふわ浮かぶ紙をつまもうとしたが、それは生き物に似た動きで指からすり抜けた。
「ならば汝は過去ではなく、未来をゆく者」
シスは両目を閉じた。彼女の周囲を本が取り囲み、そして散っていく。
体の周りを飛ぶ本が一つもなくなると彼女はゆっくりと宙に浮かんだ。
閉じた目は何も映さない、しかし、シスは何かしらの存在を直視するように首を動かすと最後の詠唱を唱える。
「賢者よ、過去を紡ぎ未来を示せ」
無秩序に飛んでいた本と紙が渦を描くように飛び回りめいめい統率のない速度で進んでいたが、やがて整列し、一定の速度で空間をただよい始めた。
「セル、明日のライン川の事でいいね?」
「ああ、頼む」
セルギウスが答えると、紙と本の列に変化が起きた。
あるものは中身を開いてシスの周りを飛び回り、紙たちは風を可視化したように複雑な軌道を描く。
魚群のようにそれらが空間を疾走し、奇妙で、しかし幻想的な風景がそこにあらわれる。
やがて紙は次々にくっついていき、一つのスクリーンが完成した。
黒い線がうねうねとうごめき、まずアルザスの俯瞰図が浮かび上がった。特徴的な馬車道で結ばれた円形の街。
次にスクリーンが離散し、紙が立体的に結合して古代の戦車を駆る屈強な戦士の像を形作る。
最後にまたスクリーンに組みあがり、今度は精緻な人物像が描かれた。
「……女性」
「幼さは残るけどきれいだね」
ふふっ、と小さくシスが笑う。
その絵は白黒だったがほとんど写真と変わらないぐらい正確に描かれており、これでまばたきでもすれば本当に目の前に立っているかのようだった。
年は…十代半ばぐらいだろうか。
髪型はふんわりとしたボブカットで、整った美しい顔をしており、吊り目でまつげがとても長い。中でも印象に残ったのは左右の眼の色が違うということだ。
白黒なので単純な黒の濃さだが、左眼がほぼ黒く塗りつぶされているのに対し、右目はうっすらと線が描きこまれている程度である。
「いわゆる…オッドアイというものか」
「そうだな。なにかと人間の相の子かもしれない。オッドアイということはだいぶ血を色濃く引いているね」
「二世代か、三世代程度だろう」
服装は袖がふわっとしたベルスリーブのブラウスに短めのキュロットスカート。履いているのはブーツのように見える。
「何が言いたい、賢者。もっと詳しく……ッ!」
シスがさらに求めようと両手を差し出した瞬間、彼女の体を稲光が貫いた!
声にならない悲鳴とともにシスが落下する。セルギウスはとっさに床を蹴り、素早く彼女を抱きとめた。
「なんだ!何が起きている!」
大量の本が稲妻に追われるようにあわただしく本棚に帰っていく。そのままでは損傷してしまうほど激しく、激突する。これではまるで嵐の夜だ。
突然荒れ狂う書籍堂。セルギウスはいつもの静謐さを取り戻すまでシスを自身の体でじっと守ることにした。
表紙だけの本が逃げ惑う紙を次々に捕獲し、厚みを取り戻す。本と本同士が衝突し、お互いの体を食いちぎるように中の紙を奪う。
何分経っただろうか。いまや灯りすらなくなった書籍堂には二人の吐息しか聞こえなくなっていた。
「……そろそろ離してくれないか」
シスがぺちぺちとセルギウスの腕を叩く。
「君の安否が確認できるまで離せない。怪我はないか?」
「ケガしてないから返事してるんだよ!」
シスが怒ったように言うのでセルギウスはしぶしぶ腕を解いてやった。
暗闇で見えてないのをいいことに彼女は胸に手を当て、動悸を鎮めるために何度か深呼吸を繰り返す。
彼女とて女性である。美形の屈強な男に抱きしめられて平静でいられるほうがおかしい。
ようやく落ち着いたころに、シスは書籍堂の電気をつけた。
セルギウスは一段落ついたとみて話しかける。
「何が起きた。あのような激しい荒れ方を見るのは初めてだぞ」
「いつもだけど賢者の機嫌が悪くってね。なんとかもっとヒントをもらえないか食い下がったら怒られてしまった」
「……申し訳ない」
「君が謝ることじゃない。もともとあたしが賢者に嫌われてるのがわるいんだから」
ただ……。
今日はなんというか、焦っていたようにも思える。シスは稲光に貫かれた瞬間、いつもとは違う、嫌悪以外のつよい感情を叩きつけられた気がした。
確証などない。直感だ。シスはこのことを口にはしなかった。確かな根拠もないことをシスは口にしたりしない。
「…さて、”賢者の記憶”が示した未来だが…わけがわからないな」
「アルザスの俯瞰図に、戦車に乗る勇士の像に、オッドアイの少女。アルザスの図があるということは魔物が潜むことになるのは確実だろう」
「そうだね」
「だが、残りの二つの関連性が不明だ。この戦車に乗る勇士の像はどこかで見たことがあった気がするが…」
「タロットカードかな」
シスが本を取り出すように手を頭上に伸ばすとシュッ、と本が手のひらにやってきた。
手ごろな机に置くとぱらぱらとページが勝手にめくれて”戦車”の項目のあるページが開かれる。そこには”賢者の記憶”が示した像を真横からみたのとそっくりな絵が描かれてあった。
「大アルカナ、戦車。何か大きな転機が訪れる。一般には危機と隣り合わせのチャンスというふうに解釈される…か」
「それでいくと、アルザスとこの少女に危険と転機が訪れるということになる」
「解釈でしか判断できないのが苦しいね、セルギウス。”賢者の記憶”の示す未来は必中だが、今回のはアバウトすぎる」
シスがさらに手を掲げるとタロットカードに関連した本がドサドサと机に落下してくる。セルギウスは戦車に関する記述を次々と読破していった。
何十冊もの記述を読むうちに、彼はある共通点に気づく。
「どの本も、戦車の項目には”急な展開”を意味する説明が載せられている」
「そりゃそうだ、大アルカナ戦車のコアイメージだし」
「ならば、アルザスにこの絵の少女がいて、彼女の身に何か起きるという解釈が一番自然に思えるが」
「この子がアルザスでなにかしでかすって解釈もできるよ?」
「わかった。こうしよう」
セルギウスは疲れたように手を叩いた。
「アルザスで何か絶対に起きる」
「雑だな」
「雑すぎるヒントしかくれない”賢者の記憶”が悪い」
どこからともなく猛スピードで飛んできた本がセルギウスの頭に激突した。
「……言っとくけどあたしじゃないからね?」
セルギウスは後頭部を痛そうにさすりながら、うなづいた。
「ともかく、アルザスに力天使を派遣しよう。主天使局に連絡を入れてくる」
「ヨハン・オクトーバーとマグノリア・オードリーを勧めるよ」
「その二人は今前線だ」
「抜けた分はセルギウスがいけばいい」
「私が出るのか?”教会”の一最高戦力が出るとなると大事になるぞ?」
「”賢者の記憶”が言ってるんだ。…君が行けってね」
シスが示したのは二つ。
一つはセルギウスに激突した『聖者巡業』。
もう一つはいつの間にかセルギウスの横にあったヨハンとマグノリアの戸籍だった。
「聖者巡業……”教会”創始者である一人の熾天使の旅の手記か」
「二度目だけど、僕は一切手を動かしてない。これらはアレが示したんだ」
セルギウスは静かに息を吸った。
長々と吐き出す。
「いいだろう。感謝をする、賢者よ。未来は私達自身の手で掴み取ろう。そして、システィーナ・ベル。君にも感謝を」
彼は深々とお辞儀をした後、颯爽と踵をかえし、夜の首都に消えた。
「汝が道に幸あれ」
見えない背中に一つ、言葉を投げかける。
さぁ、ここから怒涛の展開です…!次回をお楽しみに!