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やがて僕らはY川に掛かる橋を渡り、その先の土手を越えた所にある中学校の正門前に着いた。鉄扉は閉まっている。校庭に人影はなかったが、その奥に建つ校舎の一角には明かりが灯っていた。職員室なのだろう。
「ここは……ユカの?」
「うん、母校だよ。しばらく来てなかったんだけどね」
「そっか」
「陸上……やってたんだよね、これでも」
「ああ」
そう言えば、高校でそんな話をしていた。
「短距離で良いとこまでいってたって、確か」
「まあね」
「それが高校でマネージャーなんて勿体ないって思わなかったのか?」
「ちょっとは思ったんじゃないかな。あんまり覚えてないけど。
でも」
ユカはそこで一旦口を閉じた。そして自分に確認するかのようにゆっくりと言った。
「後悔っていうのじゃ、なかったと思う」
そしてまた笑顔に戻った。
「もっと良いこともあったし」
「良いこと、か……」
僕は鉄扉へと近付いていき、その上に両腕を預けた。昼間の熱をまだ宿していて僅かに温い。
薄暗い校庭を見渡せば見覚えのあるものばかりだった。グラウンドの右側にサッカーゴール、鉄棒、バスケットボード。それから校舎の玄関前を横切って左奥には野球フェンス、つまりバックネットが立っている。高さ五、六メートルのあれなんか僕の記憶にあるのと瓜二つだ。その下側のコンクリート部分、右端の上隅。そこは丁度後ろの校舎の窓に灯る光に照らされて、濃いグリーンに塗装してあるのがはっきりと見えた。
あの上隅に何百回とタッチしたっけ……。
そこはダッシュからランニングへと切り替えるポイントで。タッチした後は野球部の練習次第でバックネットの前か後ろを通過して、次のメニューへ向かう。……サーキットとか名付けられたそれは筋トレとランニングダッシュがごちゃ混ぜになったウォームアップだった。
もう十数年という時間が流れたのに、他所の使ったこともないそれである筈なのに、当時のことがまざまざと思い出されてきた。熱で焼け付く喉、そこに絡み付いてくる砂埃。きつめのスパイクで蹴る地面の感触。滴る汗を振り切るように全速で駆けた後の身体の鈍い痛み。そういうのが溢れ返るように蘇ってきて、僕は息苦しくなり――
「カイ君?」
遠慮がちな声でユカに呼ばれ、我に返った。
振り向けば彼女が心配そうにこちらを見ている。
僅かの間の後、彼女が『そろそろ戻ろうか』と言ったので僕は自分に言い聞かせるように二、三遍頷いてみせた。
けれどその時にはもう、僕の思考はまたループを始めていて。
元来た道を歩き出した彼女の後を追い、その背中に声を掛けてしまった。
「ユカ」
呼んでから僕は立ち止まった。ユカが振り返る。
「ん?」
「俺さ」
しばらく振りに再会した友達にする話じゃない気がした。
「俺さ……」
このまま駅まで戻って別れてしまえば、それきりユカの中の僕は笑顔のままでいられるのに。
「どうしたの?」
心配そうに覗き込んできたユカにもう平気な振りを続けられなくなって、
「俺……うまくやれなかったよ」
零してしまった。