第3話 警察病院にて(第1部・全16話)
被害者が目を覚ました。
被害者とは?
そう、あの時、電車の車内で黒いモヤモヤに追われていた女性の事である。
あの時、あの電車の中で何があった?
一体何が起こった?
俺は一部記憶がない。
何が起こったのか、記憶がない。
気がつけば自分はエリ先輩の家=謎の神社の一室で目を覚ましたのだった。
「被害者はどこ?」
エリ先輩が淡々とちょっと高圧的に問いただす。
少しでも早くここに来ようと急いでいるのは確かではあるが。
「緊急特別室で入院しています。」
エリ先輩の高圧的な問いかけに警察病院の係りの者が淡々と答える。
「ありがとう。わかったわ。」
きびすを返したエリ先輩は僕に声をかける。
「行くわよ。」
「はあ。」
エリ先輩と僕の動きを見て、警察病院の係の者が念をおす。
「絶対安静ですよ。」
「わかってるわ。」
エリ先輩が振り向かず無愛想に答えたので、僕は慌てて振り向いて係の人に頭を下げた。
だが、窓口の係の人はすでに他の作業に移っていた。
ここは警察病院である。
「いくら警察病院だからと言って、もうちょっと丁寧な挨拶を。」
エリ先輩は慣れた段取りでエレベータホールへと向かう。
「いいのよ。同業者だし。それにここは警察病院よ。良くも悪くも普通の病院とは違うし。」
「そうなんですか?」
エレベーターが開き、中にはいる。
エリ先輩は緊急特別室があるであろう階のボタンを悩む事なく押す。
狭いエレベーターの中にエリ先輩と二人っきりだ。
なんだかムズムズする。
「その服、着ごごちはどう?」
そうなのだ。
自分の服は、あの電車内での出来事で、破裂した黒いモゾモゾの体液が付着しまくっていたので、洗濯してもらっている。
エリ先輩の家で。
神社で。
そしてあのお母さん、エリ先輩の母親が洗濯してくれてるのだろうか?
自分が付けていた下着を、刺青の入った手で、細長いきれいな指先で。
「はあ、まあまあです。結構フィットしています。これ男物ですよね? どなたの?」
エリ先輩は一瞬間があったが淡々と答えた。
「おじさんの、服ね。よかった、身体に合ってて。」
とは言え、ぴったりとフィットしてるわけではない。
押し入れの奥にしまっていたかのように防腐剤の匂いもする。
変な感覚はそれだけではないのだが。
「防腐剤の匂い、するでしょ。ずうと閉まっていたから。探し出すのに手間がかかったわ。」
そうなん!
そうなんですか!
じゃ、このおじさんの服、いつしまったの?
てか、おじさんて誰?
今自分の身体に着用している衣服で、自分の物はない。
靴もだ。
エリ先輩のおじさんの服を着て、そしてエリ先輩の洗濯済みであろう使用中の下着を履いている。
今自分自身の所有している物を剥ぎ取られたら、見事に素っ裸のスッポンポンである。
なんてバカな事を考えていたら、被害者が入院されている緊急特別室のある階に着き、エレベーターのドアが開いた。
なんとも言えない匂い?香り?が鼻に強く差し込んできた。
僕のその表情を見てエリ先輩はふっと笑った。
「きつい?」
慌てて鼻に手をあてた僕を嘲笑と心配が混ざり合った表情でエリ先輩が見上げる。
この位置からもエリ先輩のふくよかな胸の膨らみと谷間が視線に入る。
いや。
すでにバスローブ姿の状態をもう見ているので、恥ずかしいとかトキメキとかもう過去のものだが。
そうクールに思いつつも、ちょっとだけその胸の谷間に顔を埋めたい衝動が数ミリだけ湧き上がっていた。
いや。
今はそんなこと考えている場合ではない。
エリ先輩の右手には、相変わらず例の手袋がつけられている。
それにさっき見た『包帯だらけの右腕』はなんなんだろう。
昔、大火傷でもしたのかな?
いや。
今はそんなこと考えている場合ではない。
エリ先輩の問いかけに答えないと。
「この匂い、なんなんすかね。結構きついっす。」
エリ先輩が勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「さすがね。噂通りだわ。敵種の存在を感じ取る新人警官の噂は本当だったわ。」
何言ってる?
こんな時に。
何言ってるのかわからない。
「へっ?」
気の抜けた疑問符溢れる表情で返す僕を見て、エリ先輩は淡々と口をひらく。
「この匂い、普通の人では感じ取れないそうよ。」
「は? へ?」
「この匂いは決して偶然なものじゃないわ。この匂いは敵種特有の体臭なのよ。」
「敵種の体臭? ほ、本当に?」
「本当、のはずよ。私もあなたと同じようにこの匂いを感じ取れるからわからなかったけど、
うちの課長、あれ普通の人なのよ。だから課長とここに来るとよく『私には匂いはしない。何も感じない。普通の空調の効いた空気よ』って言うのよ。信じられる?」
「って言われても……。と言うかあの課長とよくここに来ることあるんですね。」
「まあね。」
エリ先輩はここらへんで会話を濁した。
「もうすぐよ。この先。被害者が収容されている緊急特別室は。」
緊急特別室。
名前自体がちょっと普通ではないが部屋に入る前の段階、そこにつながる通路を曲がった時、異様な設備であると自分は改めて認識した。
通路のあちこち、壁や床、天井に『お札』や『盛り塩』『封印の神』『藁人形』『依り代』がまるでテーマパークのお化け屋敷のように張り付けられたり、置かれたりしている。
自分が目ん玉を大きく開いて驚いていると、通路の角で一旦止まったエリ先輩が僕にやさしく語りかける。
「結界に入るわよ。入れるわよね?」
は?
何言ってるん?
と言うか、こんな通路を通っていかなきゃいけないのか?
緊急特別室って何?
あの時、敵種と呼ばれる黒いモヤモヤから逃げていた被害者は何者?
知りたいような知りたくないような感情に襲われて自然に足が止まっていた。
「万一結界に入れなかったら、ここで待っててね。ま、君は入れると思うけど。」
エリ先輩がいたずらっぽく語りかける。
「いや、入ればいいんですよね。」
結界の入り口の線を越え、足と身体を踏み込んでみる。
何事もなく無事入り口の線を通過する。
その瞬間、あたりに鈴の音が鳴ったような気がする。
それと同時に耳元でまるで女の子の笑い声が一瞬聞こえてくる。
妖精や精霊とかがいるのか?
自分は今までそのようなモノを見たことも認知したこともない。
自分がいつも認識するのは、なんか、こう、真っ黒な邪悪な怨念系だ。
自分がそれらと同種なのか、あるいは好かれて呼び寄せてしまう体質なのか。
体質?
いや、いらんから、そんな体質。
空気圧が変わったのか、身体全体に重くプレッシャーのように圧力がかかる。
そのせいで足元が重い。
なのにエリ先輩は笑みを浮かべて話しかける。
「あら~、ちゃんと歩けるじゃない。いいでしゅよ~。よしよし。」
今にも頭を撫でてきそうな勢いでエリ先輩が隣に立って一緒に歩を進める。
入り口はわずか数メートル先なのだが。
「バカにしないでください。僕は子供じゃありません。」
「あら、そうだった? でも私から見れば、まだまだ元気な男の子。」
エリ先輩はニコニコしながら自分の真横をスピードを合わせて歩を進めている。
再びエリ先輩の右手の手袋が自分の視線に入る。
この手袋はなんなのか?
あの時、電車の中で何があったのか?
なぜ自分は意識を失ったのか?
先輩の家で見た、右腕にぐるぐる巻きで巻かれた包帯は何の意味があるのか?
それらの思考を考え終わらないうちに入り口のドアに到着した。
そもそもそんなに離れていない。
そもそもそれほど距離はない。
さっきまで子供をあやすような表情をしていたエリ先輩の表情が変わる。
「ドア、開けるわよ。」




