015
森の中を荷馬車の一団が進んでいた。
ヨルムンガンドなんていう規格外の怪物が生きるこの世界に舗装のような上等なものは存在せず、辛うじて木々が伐採されている獣道のような道を彼らは進んでいた。
中央に一台の荷馬車、その周囲を護衛が馬に乗って並走している。
護衛の数は、九騎。危険地帯というわけでもないのに、馬車一台の護衛としては少し過剰だ。
変わった点はもう一つある。荷台を覆う幌に記号を描くことは、商人であれば宣伝目的によくあることなのだが、たいていは何を扱っているか一目で分かる記号にする。武具屋であれば剣を模した記号、食品であればパンといった具合で。
だが、幌に記されている四角形と大小の円を組み合わせた記号は、何を表しているのかが伝わらない。
意味を知らない者からしたら哲学的な意味でもあるのかと深読みしそうな難解な印だが、意外にもこの印が何を意味するものなのか理解している者は多い。この国は勿論、海を渡った大陸でも知っている者が多くいるぐらいには有名だろう。
それはこの記号が意味するものが有名というよりは、この記号を掲げる組織がいい意味でも悪い意味でも知名度があるという話だ。
その組織の名は「円環の書」と言う。
魔法書を商いの対象として、世界を股にかける大規模な組織だ。世界に散らばる貴重な魔法書を、人海戦術で虱潰しに集めている。その強引な手法は時にトラブルを生むため、皆がいい顔をするわけではない。
その反面、魔法書であれば惜しみなく大金を払うため、一部の層からは重宝されている。
無謀にもそんな世界的組織の一端に、標的にしているものたちがいた。
馬車の手綱を握るどこにでもいそうな丸顔の御者は、どこかぬけていそうな雰囲気とは異なり、木々の間を縫うように横を駆けていく影を目ざとく見つけていた。
馬よりも重心は低いが、馬と並ぶ体長。
無害な動物とは思えない、間違いなく魔獣だろう。
魔獣は人に危害を加える者をまとめて指すが、一団を狙う魔獣は、魔力を扱う正しい意味での魔獣と言えるだろう。
魔獣が人里近くまで下りてくるのは珍しい。
普通の商人であれば、己の不運を呪うはめになっただろう。
御者は慌てるどころか、何かを思いついたのか御者が馬車に備え付けられている小窓から、中を覗き込んだ。
中には衣服、食物、金物、種類豊富な積荷が大量に積まれていた。彼らの仕事は魔法書の買取がメインだが、そもそも魔法書というのは絶対数が少ない。御者の男も、この仕事に就いて十数年経つが未だに魔法書を扱ったことはなかった。数の出回らない希少品だけで、組織の運用費用を賄えるわけがない。必然的に魔法書以外の商品も扱う必要があった。御者の目当ては積み荷ではなく、荷台の奥に腰かけている男女。
「バゼル様。ガルムの群れが我々を標的にしているようですが、いかがなさいますか?」
バゼルと呼ばれた男は、訝し気な視線を返した。
「数が多いのか?」
「いえいえまさか、精々6匹程度の小規模な群れ、かと」
バゼルの隣で聞いていた女性が、形の良い細眉を吊り上げた。
「ヤシウ。あなた、その程度のことでわざわざ声をかけたの?」
年の離れた相手からの随分な物言いだったが、御者は気に留めることなく、気のよさそうな顔をくしゃっと崩した。
「なに、お二人が暇を持て余していないかと思いやしてお声がけをさせていただいたのですが、無用な心配でしたかな」
「生憎、魔獣の相手よりも書類の相手の方が手こずりそうだよ」
「そりゃ、残念。ラルゴたちに張り切ってもらいますか」
御者が正面に目を戻すと同時に、状況は動きだした。
ガルムは魔法を扱う魔獣の一種だが、なにも人間のように多種多様な魔法を扱うわけではない。
魚が生まれたときから泳ぎ方を知っているように、ガルムもまた誰に教えられたわけでもなく本能に刻まれた魔法を扱う。
影に塗れた森の中から、六匹のガルム――赤褐色の巨狼が駆けてくる。
先頭の一匹が馬車を引く馬に標的を定めてガルムが一瞬、身をかがめた。
筋肉に力を溜め、さらに魔力を運動エネルギーへと変換し、己の肉体へと反映させる。その身体能力を底上げする魔法は本能に刻まれたがゆえに、人が扱う魔法よりも淀みなく出力される。
元の優れた筋力に魔法が加わり、次の瞬間には馬の首が嚙み千切られているだろう。
だがその一瞬は、ガルムにとって命取りとなる。
荷車の横を駆ける護衛の伸ばされた二本の指が輝いた。
「私が問うた」
一瞬よりも早く空を走る光条は、背後の茂みごとガルムを上下に分かつ。
重い音を立て地に倒れる亡骸は毛皮が焦げ付き、断面の血肉は蒸発していた。
一瞬の間を逃すことなく、かつ走る馬から正確に狙いをつける、術者の技量の高さが窺える。
また、死骸の横を闊歩する馬に動揺はなく、乗り手だけでなく馬も十分に訓練されているのがわかる。
目に見えない魔力の周波数が、残る五匹のガルムの間を伝達する。
それだけで足並みが乱れることなく、馬車を引く馬から近くにいる護衛が乗る馬へと狙いが移った。
襲撃者が野党の類であれば、積み荷目当てに馬車を狙い続けるだろうが、今彼らを襲っているのは魔獣だ。腹を満たせるのであれば、どの馬でも変わりない。
目の前にいる獲物に飛び掛かるのに、溜めは不要だ。
スピードを落とすことなく一斉に飛び掛かる。
「私が問うたッ!」
自分に向かって来るガルムたちに怯むことなく、むしろ苛立ちをにじませて再度腕が横に振られる。
先程よりも一回り太い光条は、揃って宙を飛びあがるガルムをまとめて一薙ぎにした。
疾駆による慣性は光条の威力に相殺され、重力に引かれるように二等分のガルムたちが地面へ落ちていく。
彼らの全てが絶命したわけではない。焼き切られたがゆえに、出血が少なくまだ生きながらえている個体もいたが、半身を失って生きていける訳が無い。ほどなくして命尽きるのが定めだろう。
「ふんっ」
何一つ得られることが出来なかった襲撃者を憐れむことなく、一団は進み続ける。
荷馬車を囲む護衛にも、ヤシウと呼ばれた御者にも、皆一様に指先から肘にかけて精緻な刺青を身に宿していた。
遠目からは、レースの手袋のようにも見えた。
この刺青が何を意味するかは、獣であるガルムたちに理解できぬことであり、これから死にゆく者たちには関係のないことだった。
次の更新は、13日になります。
暫く、更新は隔週になりそうです。




