10話 闇の希望
『俺に考えがある』と言われ強引に連れ出され、こうして走り続けて何時間たっただろうか。今セルザスとフェルは、地獄に行くため天界の果てに向かい疾走していた。目立たないように2人ともローブを着ている。フェルはセルザスに追いつくので必死だ。こんなに全力で走ったのは子どもの時以来であろうか。
フェルたちが居た審判の塔はもう向こうの方に小さく見えるまでになっている。審判の塔は、神議会中だったのか天使の姿はあまりなく、なんとか抜けだすことができた。おそらくはもう少しで闇の日なのだろう。辺りはすでに暗くなり始めており、闇の日が確実に近づいていることを知らせる。時折地を這うような重い響きの音が聞こえ、魔物がすぐそばにいるかのような緊迫した雰囲気が漂う。
通常、天使が魔界に行くことはかなわず、堕天することでのみ行くことができる。通常は、だ。
『実は堕天することなく魔界に行く方法があるのだ。
だがその道は闇の日になると閉じられてしまう。
こんな情報、俺とラフィンと神議会の奴しか知らないぜ』
塔を出てセルザスからそう告げられた。
そんな話初めて聞いた。
道というので門とか扉とかがあるのかと聞くと、空間に黒い穴があいているだけだという。何の手も施されていないらしい。神の間では闇の道、オドゥゲートなどと呼ばれている。1度閉じられてしまえば、闇の日の間は開かれることはない。
だからこの闇の日の直前を狙い脱出したのだ。
「はぁっ…はぁっ…」
人間より遥かに体力も足の速さもあるのだが、流石に息も切れ、苦しくなってきた。早くしないと闇の日までにオドゥゲートに辿りるけるかどうかわからない。辿りつけなければ、総出で探しに来る天界兵に捕まってしまうだろう。お母さんに逢えなくなるのは嫌だ。その思いだけがフェルの足を前へ、前へと動かしていた。
「ほら速く走らんと間に合わんぞ」
後ろを向きセルザスが再びフェルをせかす。
「わかってるよぉ…ていうか…飛んだら…速いのに…!」
「それでは見つかってしまうぞ、走るのが一番だ!
ほら健康にだっていいんだぞー」
こんな時に何が健康だよ、と思いながらフェルは辺りを見回す。景色は鬱蒼と木々の生い茂る樹海へと変わっていった。木々の隙間から見える空がどんどん暗くなっていく。鳴り響く唸るような音。気がつけば風も激しく吹きつけている。もう時間がない。
「ここまで、来れば、空飛んでも、大丈夫じゃない?」
「いーや!念には念をという言葉があるであろう。
だいたい、ここで飛んだら確実に木の枝で羽打って痛いぞー
俺の綺麗な羽根が汚れてしまう」
「…。」
フェルは遠い目をした。
あ、ああ…そうなんだセルザスってナルシストなんだ。
今初めて気付いた…。
前に進むたびに周りが段々荒れ地へと変貌していくのが目に見えて分る。ごつごつした岩と、枯れ木が何本か申し訳なさそうに生えているだけ。此処が本当に同じ天界なのかと思わず目を疑うフェルである。冷たく激しい風が吹きつけ、ローブが大きく翻る。フェルはフードを深くかぶり直した。こんな異境の地など普通は絶対に足を踏み入れないだろうし、故に存在することさえ誰も知らないだろう。
ふと、フェルは母が死んだ後似たような景色の所で、一人膝を抱えて毎日を過ごしていたことを思い出した。
その時。
『すまない…お前独りか―…』
「あ…」
地中から掘り起こされたかのように、突然昔の記憶が蘇ってきた。
何者かと自分が話している光景だ。昔の記憶なので極めて不鮮明で、その人物の顔はぼやけてそれが誰なのか分らない。
誰だろう。
何だか気になって思い出そうと必死になる。
――そうだ、その人胸のあたりに…怪我をしていて…
思い出しかけたが、すぐに記憶に靄がかかるように分らなくなった。
その時何かに思い切りぶつかった。
「わっ!」
よそ見をして走っていたフェルは、前を走っていたセルザスに思い切りぶつかって跳ね返り、尻もちをついた。
ああ、よそ見は危ないからちゃんと前を見よう……
と思いながら顔をあげると、セルザスはどうやら立ち止まっているようだった。強か打った首と腰をさすりながらむっくり立ち上がり、セルザスを見上げる。
「此処だ…場所が移動してやがる。」
「え…」
「まだ間に合う!飛び込むぞ!」
セルザスの背中から覗き見れば、目の前の空間に黒い穴が開いている。少しずつ、しかし確実に穴が小さくなり消えかかっている。
これが魔界への道…
緊張でごくりと唾を飲み込む。風と唸るような音が鳴り響く。セルザスを一瞥すると目が合った。そして2人は頷き闇の中へ飛び込んで行った。
2人の姿はもうどこにもない。暫くして黒い穴はふつりと完全になくなった。
白くて小さなドラゴンのような生き物が、空からその光景を見ている。
2人が消えると同時に、その姿もふっと掻き消えた。
+ + +
銀髪の男の肩に白いドラゴンのような生き物が現れる。
男の耳元でドラゴンが小さく鳴いた。
「リウス、ありがとう」
名を呼び、ドラゴンを撫でる。
リウスと呼ばれたドラゴンは目を瞑り気持ちよさそうにしている。
「そうか…やはり奴は動いたか…」
+ + +
「何?!逃げられただと?!」
「す…すみません…」
「何故今まで気付かなかったのだ!!」
鎧を知らない間に盗られた兵が、更に神の激しい叱責をあびて、相当うなだれていた。神々は憤怒していた。普通の罪人の天使が逃げたならこんなに怒らないであろうが、相手がフェルだから憤怒するのだ。理由は1つ。気に食わないから。天界にいる時点で半分堕ちているなど忌まわしいにもほどがある。初めはそういう理由でフェルを忌み嫌い、避けていたのだが、いつの間にか気に食わないだとか生意気だとか、半堕天使を理由に個人のストレスをぶつけていたのだ。
人間にもいるだろう。
会社でのストレスを、妻子どもにぶつけている夫が。もしくは妻が。
白いひげをたっぷりと蓄えた神ゼウスが悔しげに舌打ちして言う。
「おのれ…どこに行きよった!あの小僧は!
しかもセルザスまで…!奴は何をしておるのだ!」
「堕天することになっていよいよ反逆するに違いない!」
「探せ!フェル・ルア・ルシファンスを!」
神々が憤怒で目を輝かせて口々に叫ぶ。
その時、足尾と共に声が聞こえてきた。
「私が探しましょう。」
ついで部屋の奥から銀色の髪を後ろで一つに括った男の天使が出てきた。セルザスと同じような服を着ている。肩にはドラゴンのような小さく白い生き物が乗っている。
「この件、私に任せてもらえないか?」
ラフィンが、いつもの氷のように冷たく険のある表情で、周りの神たちをちらりと見据える。神議会の神々が一瞬不満そうな顔つきになるが、すぐに諦めるかのように息をつき一言言った。
「好きにしろ。」
無言で厳かに一礼し、指揮をとる。
「兵を動かす。私に心当たりがある。」
もうどうにもならないかもしれないがな。
闇の日の暗闇がずしりと包みこんだ。




