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紅玉の姫君  作者: 神奈保 時雨
第十章
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守り、守られる

 エミルから連絡が入ったのは、日が傾きかけたころだった。


『姫様、』

仲間たちと居間でひたすら待っていたリティシアの耳に、確かにその呼びかけが聞こえた。

「エミル。いた?」

 首にかけている紐を引っ張り、服の中から水晶を取り出す。仲間たちの視線を一身に受けながら、水晶は西日にきらめいた。

『正体は確認していませんが、魔力の反応がいくつかありました』

「……いくつか?」

 エミルの言葉に、リティシアは眉を顰める。複数犯だったのだろうか、と疑いかけたとき。

『もしかしたら、天使が事実確認に訪れたのかもしれません。今回のことが――本当に天使の手によるものなら、重大な規律違反ですから。知らぬ存ぜぬではいられないでしょう』

 なるほど、と納得した。それならば、敵というわけではない。少なくとも人間の仲間たちにとっては。ただ、アーシャやエミルが顔を合わせるかもしれないとなると、懸念すべきことはあるのだろう。

 エミルの声にばつが悪そうにしたエリセの手をとりつつ、リティシアは「続けて」と口にした。

『今からアーシャと二手に分かれて確認するつもりです。私としては、確定するまで姫様には動いてほしくないのですが――』

 エミルはエミルで、魔族たるリティシアが天使と顔を合わせたときのことを心配しているのだろう。水晶の向こうからアーシャの声は聞こえないが、何も言わないということは、反対ではないということだ。

「……わたしもその方がいいと思う……」

 ジークが来た時のことを思い出したのだろうか、エリセが小さく呟いた。双子も心配そうにリティシアを見上げている。

「その気遣いはありがたいけれど……」

 仲間たちの気持ちは分かる。いきなり実力行使に出られるのはリティシアも嫌だし、魔族だからと憎悪の目で見られるのだって真っ平御免だ。どうするべきかと迷いかけたとき、ふと水晶に鎖が引っかかっているのが目に入った。

 アーシャに渡された首飾り。一緒に首にかけていたから、鎖が絡まったのだろう。

「――大丈夫よ。お守りがあるもの」

 それを見た瞬間に、口から言葉が零れていた。

『お守り?』

「そう、お守りよ。それにあたしは何にも悪いことなんかしてないもの、隠れる必要なんてないのよ。ちょっと人より……瞳が赤いだけじゃないの。それに、エミルやアーシャだって天使と会うのに気が進まないのは一緒でしょ」

 水晶を掲げながら、仲間たちを見つめながら、宣言するように言葉を紡ぐ。

「ここまで来て、あたしだけ仲間はずれなんて嫌よ。皆と一緒に行くわ」

 その言葉に、一瞬場が静まった。


『……エミル、多分もうリティシアは聞かないよ』

 それを破ったのは、笑みを含んだアーシャの声だった。

「なによ、その言い方」

『だって言い出したら聞かないのは本当でしょ?』

 リティシアが水晶を睨んでみせると、間髪入れずに返事が聞こえた。声しか届かないはずなのだが――アーシャの声からは、からかいの調子が聞き取れた。まるでリティシアの今の表情さえわかっているように。

「まあ、一理ある」

「ちょっとシリル。アーシャも……ふざけてる場合じゃないんだから」

 止めるエリセの声にも力がない。

「あたしが普段わがままかどうかはこの際どうでもいいの!」

 切羽詰まった今の状況も忘れ、リティシアはつい前のめりになって声を張り上げた。顔が熱くなるのを感じる。

「普段のことは今度改めるとして、今だけは譲らないわ! 留守番なんて嫌だもの」

 笑いを漏らした仲間をきっと睨めつけると、真っ先にエリセがお手上げとばかりに肩をすくめた。

「そう言うと思ってた。リティシアは強いから……天使たちやジークのことも、怖がらないだろうって」

 そう笑ってみせるエリセに、リティシアは言葉を探す。怖くないというわけではないのだ。やはり、自分にどうにもできないことで嫌悪されるというのは恐ろしい。しかし、それよりも恐ろしいのは、自分の知らないところで仲間たちが傷つくことだ。今、皆がリティシアを心配してくれているように、リティシアも仲間を心配している。それだけだ。

「……みんながいるからよ」

 それを言葉にするのはどうにも気恥ずかしくて、結局そんな言葉だけが形になった。リティシアはふと、数刻前のアーシャの言葉を思い出す。


 仲間がいれば大丈夫なのだと、彼も言っていた。


「あたしが強いわけではなくて。お互いさまなのよ……エリセがあたしを気遣ってくれるようにね」

 自然と笑みがこぼれ、改めて言葉を紡ぐ。首を突っ込んだ経緯はどうあれ、今はアーシャたちがいるからこそ、事件の真相からも、ジークのような天使からも、逃げたくはないと感じていた。

 シリルや双子が昔から暮らす街を守るために。ジークが犯したかもしれない罪に、アーシャが傷つかないように。


(――ああ、)

 そこでようやく、リティシアは理解した。

(アーシャはちゃんと、自分のために動いていたんだわ)

 大切な人のために動かずにいられないのは、彼らが傷つけば自分も傷つくから。アーシャが意識的にそこまで考えているかはわからないが、ちゃんと理由があったのだ。


 そこまで分かれば、もう遠慮する必要などなかった。

「あたしだけが守られている道理なんてないのよ。みんなの問題でしょ」

 わがままなどではなく、純粋に、皆の仲間として。

 リティシアにも動くべき理由がある。皆が行くというのならなおのこと、守られるだけでなく、守りあうために、リティシアも同行せねばならない。

「……リティシアの言うとおりだ。危惧するべきことは確かにあるが、本人がこう言うのなら閉じ込める理由はない。今まで、共闘する仲間として扱ってきた。それが変わるわけじゃない」

 しばしの沈黙ののち、シリルが呟くように言葉を吐き出した。

「それに、そんなことを言い出せばきりがないからな。アリスにクリス、お前たちにもここにいてほしいくらいだ」

「えっ!?」

 付け足された台詞に、双子が驚きの声をあげる。

「なんで!?」

「今まで大丈夫だったんだからやれるよ!」

そのまま騒ぎ始めた双子たちを、シリルは手を軽く挙げることで制した。

「いろ、とは言っていない。……危険を避けると言い出せばきりがないということだ」

 それに大人しくなった双子を横目で見てから、リティシアは再び水晶に視線を戻す。

「そういうことなの。悪いわねエミル。ここでのあたしはお姫様じゃないのよ」

 肩を竦めてそう告げると、エミルの小さなため息が聞こえた。眉間を手で押さえているエミルが見えるかのようだ。

『……姫様に何かあったら、陛下になんとお伝えすればいいんですか』

 リティシアはその言葉に苦笑する。板挟みの状態にしてしまうのは本意ではない。何かあれば、そのときはエミルのせいではないと自分から父に伝えるべきだろう。そう思い口を開いたそのとき、静かな声が割り込んだ。

『何か、なんてないよ。大丈夫』

 アーシャの静かな決意。心の奥から、穏やかな喜びが湧き上がってくるのを感じた。

「そうね。大丈夫……ひとりで行くわけじゃないんだもの。あたしも皆も大丈夫よ」

大丈夫。その言葉を何度も、呪文のように繰り返す。シリルとエリセが、同調するように頷いているのが見えた。

「だから、行くわ。今どのあたりにいるのか、教えてちょうだい」

『……、承知いたしました』

 ため息まじりながらも結局は折れてくれたエミルに、リティシアは心の中で謝る。それでも、決意は揺らがなかった。エミルとの連絡が切れてすぐ、仲間たちと玄関の扉を開ける。

アーシャの決意。リティシアを受け入れてくれた仲間たち。それに応えられるものを、リティシアも返したい。その一心だった。

 


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