出立
「……みんなしてそんなに見なくたってさ」
中庭から、アーシャは玄関を振り返る。
そこには、待機するはずの仲間たちが全員集まってきていた。アーシャとエミルの見送りと言うには厳しい面持ちで。きっと、アーシャを心配して来てくれたのだろう。
翼の怪我はほとんど塞がっているが、長時間の飛行に耐えうるのかはアーシャ本人にとっても分からない。最悪、屋根の上を歩いて見張ることになるかもしれないが――それでさえ、飛び上がることができたら、の話だ。
「大丈夫だよ、治ったんだから」
怖くないと言えば嘘になる。それでも、弱音を吐くわけにはいかなかったし、吐きたくもなかった。言葉に出せば、地面を蹴る勇気さえなくなってしまう気がしていた。すぐ隣から旧友の視線が刺さるが、この際黙殺することとする。
「本当に?」
そんなアーシャに疑問を投げかけてきたのは、案の定リティシアだ。彼女の赤い瞳も、射抜くようにアーシャを見上げている。
――思っていることを言ってほしいのよ。
先ほど彼女がアーシャにくれた言葉。あれがアーシャの息苦しさを取り除いてくれたのは確かだ。今も確かに、それを嬉しく思っている。しかし、彼女に対して兄が怖くなったときのことは言えても、飛ぶのが怖いと言うことは何故か憚られた。どうやら、自分にも矜持というものがあるらしい。恐怖心が確かにある以上、矜持というよりも見栄としか言えない。しかし仲間の前では――とりわけ彼女の前では、アーシャは揺らがない自分でいたかった。
「アーシャ、ひとりで抱えちゃ駄目だよ」
「もし痛むのなら無理はするな」
「飛ぶのがつらかったらワタシとクリスが木の上から見張ったっていいんだから!」
「そうだよ、ボクらだって手伝えるんだからね!」
そうして答えに迷っているうちに、他の仲間たちからも声がかかる。全員が真剣な眼差しでアーシャを見つめていた。心配してくれているとすぐに分かる言葉をくれた。
それが、アーシャにとってはひどく嬉しい。自分を自分として見てくれることが。ジークの血胤ということを抜きにして、ただひとりの自分という存在を見てくれることが。
いつか、「リティシアはリティシアだ」と言ったことがあったような気がする。そうやって他の誰かには自信を持って言えることなのに、自分自身に言い聞かせるには、「自分」という存在はあまりに儚くて、不確かで、どうしようもなく頼りない。天使という柵に、ジークの弟としての自分という定義に、目を塞がれてしまうようで。
「――ありがとう」
だから、自分の心の奥を見てくれる誰かの存在は貴重なのだろう。そう思えば、ちっぽけな矜持なんてものは溶けてなくなった。自分を見てくれる人になら、自分の感情を正直に告げられる。押し隠してなかったことにするのでは、アーシャが嫌った「天使の在り方」と何も変わらないのだ。
「正直に言えば……大丈夫かは、ちょっとよく分からない。でも、」
途端に仲間たちが一斉に口を開こうとしたのを見て、慌てて言葉をねじ込む。
「もし飛べなくても引っ張り上げてくれる友達がいるし、もし落ちても受け止めてくれる仲間がいるって、知ってるから。だから俺は大丈夫」
今度は一斉に口を閉ざす仲間たち。どうしたのだろうかとアーシャが疑問に思ったとき、小さなため息が耳に届く。
「……まったく、狡い言い方をするんだから」
「昔からこうなのです」
頭を抱えるリティシアに、肩を竦めるエミル。それにアーシャは主従を見比べるが、二人はそれきり何も言わなかった。何が狡いのかという答えはもらえそうにない。
「……まあ、受け止めろと言われずとも勿論受け止める」
言葉とともに、シリルが歩み寄ってくる。アーシャが彼に向き直ったと同時、軽く肩を叩くように掴まれる。
「だから、お前も迷わず頼れ、アーシャ。これがお前だけの問題だなんて思うな。オレたちは巻き込まれたわけじゃない。自分たちから進んで立ち向かおうとしている当事者なんだ」
口調こそ無愛想だが、彼の言葉ひとつひとつに熱が込められているとアーシャには分かる。叱っているように聞こえようと、その言葉がどれも自分を気遣ってくれているものだということも。
「行ってこい。時がくれば、必ず助けに行く」
ジークが現れる、その時がくれば。
「……うん」
アーシャは今でも、一筋の希望を信じている。疑う理由しか既に残っていないような状況に置かれてもなお、ジークの無実を信じたい自分がいた。
しかし自分の冷静な部分が訴えている。ジークは、近いうちに必ず来ると。だからこそ、「力を貸してほしい」と仲間たちに言ったのだ。今度こそ、彼を食い止めるために。
その相反するふたつの想いがあるからこそ――背中を押してもらえるのが、本当にありがたい。
「行ってくる」
仲間に笑いかけ、背中に魔力を込める。血の通っていく感覚で、翼が開いていくのが分かる。
「アーシャ。まず、アーシャが先に」
しばらく沈黙を保っていたエミルの声に、アーシャは彼に目線を向けた。彼は心配と緊張がないまぜになったような眼差しでアーシャを見ている。その表情で分かる。彼はアーシャが飛べなければ、すぐに下方から受け止めてくれるつもりなのだ。
「……そんなに心配しないでよ、ね」
それが分かったから、今度こそアーシャはいつも通りに笑うことができた。これほど頼もしい仲間たちがいて、怖いことなんてあるものか、と。
「絶対、飛んでみせるから」
仲間たちの視線を受け止めながら、アーシャは庭を出て道へと歩を進める。いつも通りに助走をつけて飛べばいいのだ。自分に言い聞かせながら、仲間たちへと大きく手を振る。同時に足を踏み出した。
1歩、2歩。3歩目で大きく地面を蹴り、風に乗った。身体が浮き上がる。空気に身体を押さえつけられそうないつもの感覚。
翼の痛みはない。あっという間に、仲間たちの声と姿が遠ざかる。
「アーシャ、調子は」
追いついてきたエミルに、アーシャは笑いかけてみせる。
「大丈夫。……計画通りにできるよ」
気を引き締め、高度を上げる。王都を遥か下に眺めながら、アーシャは慎重に旋回する。
この王都に、兄の姿を二度と見ないことを祈って。




