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紅玉の姫君  作者: 神奈保 時雨
第六章
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復興の最中


「おっ、もいー……」

「アリス、手伝うよー」

 リティシアは頬杖をついてその場に屈みながら、双子が大きな瓦礫を運んでいくのを見ていた。

 リティシアが目を覚まして2日。まだ力仕事はしない方がいいだろうと言われた彼女は、街に散らばった枯れ枝を魔法の炎で燃やしていた。幹自体は消えてなくなったものの、残骸と化した枝はいくらか残っている。その掃除には、苦労せずに火を起こせるリティシアは適任だろう。

 街の中心部、いつもなら露店や通行人で賑わっている広い通りでは、人々が復興のためにあくせくと働いていた。


「――国軍は動かなかったそうね。シリルに聞いたわ……」

 そんな中微かに聞こえた、細かい瓦礫を踏む音に、リティシアはぽつりと呟いた。

「……うん」

 柔らかい声とともに、リティシアの横へ新しい枝が積み上げられる。

「聞き入れてもくれなかったんだって。聞いた話だと、そろそろ島国の方にも足を伸ばしたくて戦の準備をしてるとかで……忙しい、んじゃないかな」

 白い服を纏った腕が、リティシアの起こした炎に枝を投げ入れていく。

「……城下がこんな状態で、まだ領土を増やそうというわけ。考えていることが全然分からないわよ」

 アーシャが手を引っ込めたのを見計らって、火を強める。枯れ枝を包んで爆ぜる炎を眺めながら、リティシアはため息まじりに呟いた。


「リティシアが為政者になった方が、少なくとも城下は平和かもしれないね」

「あは、そーいう……他のどこかを治めるならさすがに魔界に帰るわ……」

 苦笑を交えて返事をすると、目の前の天使は一瞬意外そうな顔をし――納得したように頷いた。

「そっか、リティシアはいつか帰るよね」

 対象をリティシアに限定するような響きに、彼女はシリルの言葉を思い出す。アーシャは故郷に帰るつもりはない、と。

「帰っても、また来るかもしれないけれど、ね……。アーシャはやっぱり――」

 帰るつもりはないのかしら、と呟きながら、リティシアは街の通りを眺めた。木の板で穴を塞いだ屋根。新しく板を打ったりレンガを積み重ねたりして、再建されつつある壁。

 大きな被害を受けても、活気を失わない人間の街。元来の寿命が他の種族より短くとも、必死に生きる人間たち。

 リティシアとて、そんな街が好きだ。父が好いているのも頷けると、そう考えている。しかし、リティシアは魔界も愛している。両親がいて、長い間育ってきた世界を。


 自分の生まれ育った故郷を好きになれないこと。周りと考えを異にすること。

 それは一体どんな気持ちなのだろう。

「――そう、だね。俺はきっと帰らないんだと思うよ」

 リティシアと同じように炎を眺めながら、アーシャは小さく言葉を吐いた。

「だから……きっとこの先長い間過ごす人間界には、平和であってほしいんだけど……」

 早く事件を解決しなければならない。そんな静かな決意のこもった眼を、アーシャはリティシアに向けた。

「――そうね」

 いや、きっと彼は大丈夫だ――という気持ちが、何となくリティシアの胸の内に湧き上がってくる。故郷ではないけれど、アーシャには愛する場所があるのだ。笑える場所があって仲間がいる。

「あたしも、皆の平穏な日常がどんなものなのか知りたいもの。早いとこ取り戻しちゃいましょう」

「うん。リティシアがそう言ってくれると頼もしいよ」

 彼の嬉しそうな笑みに、リティシアも口角を上げた。敢えて明るい声でアーシャを急かす。

「じゃあ手始めに町中の枝を燃やし尽くしちゃうから、さっさと次を持ってきなさいな。空から見ればどこが片付いていないか一目瞭然でしょう」

「人使い荒いなー。冗談冗談、任せといて」

 彼は困ったように眉を下げてから、いつも通り笑って立ち上がる。あまり無理しないでね、とリティシアの肩を優しく叩き、彼は通りに沿って歩き出す。


「あ、待って待って、アーシャっ」

 それと時を同じくして、路地裏から双子が出てきた。先程のアーシャと同じように、腕に枝を抱えている。どうやら瓦礫運びはお役御免になったらしい。

 彼らの魔法でできた植物は、力はあるのだが、如何せん精細な動きはできない。とはいえ双子自身の腕力もそれほどあるわけでもないために、枯れ枝運びに充てられたのだろう。

「あのね、アーシャを探してる人がいたよ」

 双子の声に足を止めたアーシャに、クリスが路地の向こうを指してみせた。

「ん? 何か頼みごとかな」

「わかんない。でも何か不機嫌そうな顔してたー。怒られるんじゃないのー?」

 枝を置いたアリスがからかうように言うと、俺怒られるようなことしてないよ、とアーシャが笑った。

「そうね、それはアリスとクリスの方が切実な問題なんじゃないかしら」

「ボクたちだってこんなときにいたずらしたりしないよっ」

「状況くらいわかるもん!」

 双子が一斉に反論するのに笑いつつも、リティシアはアーシャに目を向けた。

「アーシャ、行ってみたらどう?」

「そうだね、魔法使いの誰かって言うんじゃなくて、俺を探してるんだったら」

 彼は頷き、双子が出てきた路地の方へと足を進め、途中でリティシアを振り返った。


「そうだ、もしシリルかエリセが俺に仕事を頼みに来たら、」

「ええ、伝えておくわ。あたしができることなら代わりにやっておくから」

 ありがとう、とアーシャは笑い――再び前を向いたところで、足を止めた。

「……アーシャ?」

 不思議に思い、リティシアが声をかける。しかし、アーシャの顔は死角になっていて、彼女からは見ることができない。路地裏がどうなっているのかも。

 動かないアーシャに、リティシアが腰を浮かせかけたとき。


「――……ジーク、」


 掠れた声で、アーシャが誰かの名前を呼んだ。驚いたような強張った声に、リティシアは思わず立ち上がり、彼へ駆け寄る。

「アーシャ、お知り合い――」

 そこで声が止まる。アーシャと対峙した誰かの顔が、彼の背中越しに見えた。

 どこかアーシャと似た顔立ち。しかし、白にも近い銀の髪と、紫がかった瞳。そして表情が抜け落ちてしまったようなその佇まいは彼と違っていた。

 時が止まったように立ち竦んでいるアーシャに向かって、薄い唇が開く。


「アーシャ」

 ひどく静かで小さい声だった。

「お前を、連れ戻しに来た」




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