告白 (1)
エリセが階下に向かったのを見届けてから、リティシアは立ち上がる。身体はやはり、あれだけの怪我をしたのが嘘のように軽かった。
改めて自分の姿を確認してみると、あれだけこびりついていた血も綺麗に拭き取られていた。エリセが着せてくれたのだろう柔らかい寝巻きから、赤を基調とした服に着替える。髪を梳かし、深呼吸してからリティシアは鏡を見た。
「――大丈夫」
そこに映った自分に小さく声を掛け、部屋の扉を開け放った。階段を降りる軽快な音が響く。1回、2回、3回とそれが鳴った辺りで、階下が騒がしくなったのが分かった。
「何かしら……」
「リティシアっ」
リティシアが呟きながら階段を降りきった途端、居間から飛び出してきた影がひとつ。目の前の彼は切迫した表情でリティシアの顔を視認し――間を置いて、安堵したように息をついた。
「心配、かけたわね。アーシャ」
「……よかった……」
リティシアがぎこちなく笑いかけると、ほとんど吐息に近い声が返ってくる。無事を確かめるように、大きな白い手がリティシアの頬に触れた。
「よかった」
何度も言葉を吐く彼は、もしかしたら責任を感じていたのかもしれない。
優しい彼のことだ。リティシアをあの場に連れて行ったことを悔やんでいたとしても、不思議ではないだろう。リティシアが怪我をしたこと。結果として彼の血を飲むことになったこと。そのどちらも、彼のせいではないのに。
「……あたしは大丈夫だから」
リティシアはそっと、自分の手をアーシャの手に重ねた。
「大丈夫よ」
自分にも言い聞かせるように、再度呟く。少しの時間を置き、アーシャの手が頬から離れた。彼はそのまま、重なっていたリティシアの手をそっと掴む。
「……行こう。みんな、待ってる」
いつも通りの微笑みがありがたかった。彼女は彼に頷き、手を引かれるままに居間へ入る。
「リティシア!」
「リティシアが起きたっ」
足を踏み入れるとほぼ同時に、双子が纏わりついてくる。
「心配かけてごめんなさい。……って、泣かないのよ!」
リティシアが屈んで視線を合わせると、双子がいっぱいいっぱいに涙を浮かべているのが見えた。リティシアの顔を見て気が緩んだのか、そのまま泣き出してしまう。
リティシアが狼狽えていると、すぐに大きな手が2人の頭に乗せられた。
「もう、大丈夫そうだな」
そのまま双子に抱き着かれたシリルも、ほんの僅かに笑んでくれた。
「ええ……」
皆にこれほど心配されていたのが、申し訳なくも嬉しい。ただ、皆のあまりの反応に、リティシアはふと疑問を口にする。
「……あたし、どれくらい寝ていたのかしら」
ぽつりと呟いた彼女を椅子に導きながら、アーシャが「1日くらいだよ」と教えてくれた。なるほど、外傷が消えてなお丸1日寝ていたのなら、心配にもなるものかもしれない。
「そう――ありがとう、あたしのこと看ていてくれたのよね」
椅子に座ってから、彼女は仲間たちを見渡す。目が合うと、全員が笑みを返してくれた。リティシアの隣に腰かけたアーシャはいつも通りに微笑んでいる。
「仲間だもん」
「当然だよっ」
双子もすぐに泣き止み、温かく笑いかけてくれた。
「……街の様子は、どう?」
リティシアもそれに口角を持ち上げてから、ぽつりと呟く。自分の話をする前に、それだけは知っておきたかった。
「――街は……」
途端、シリルをはじめとした仲間の表情が曇る。芳しくはないようだと、その表情だけでも理解できた。魔界の樹が地を裂いた瞬間が、リティシアの脳裏に蘇る。
「魔樹は、消えたんだけど……」
リティシアに温めた牛乳を出してくれたエリセの表情も、どこか影を帯びていた。
「――一度、外に出てもいいかしら」
卓上に手をつき、彼女は椅子から立ち上がる。
「リティシア、ずっと寝てたんだからそんなに歩かない方が」
慌てたように、エリセがリティシアの肩に手をかけた。その手をそっと取り払い、リティシアは「大丈夫よ」と首を振る。
「この目で見たいの」
小さくも強い声で言い切ると、エリセはそっと手を降ろした。リティシアは言いだしたら聞かないと、エリセは分かっている。それに甘えるのは申し訳ないが、今回だけは許してもらいたい。
リティシアが踵を返そうとしたとき、肩にぱさりと何かが掛けられた。リティシアが顔を後ろに向けると、いつの間に立ち上がっていたのだろうか、アーシャがそこに佇んでいた。
「今は冷やすといけないから、ね」
「……ありがとう」
肩に掛けられた彼の上着は大きく、温かかった。
そのままアーシャに連れられて、家の扉を開ける。後ろから複数の足音がついてきた。
開け放ち――足を踏み出すことは、叶わなかった。
庭の向こう。街の中心の方で、あらゆる家屋の壁や屋根が無残に抉れているのが、ここからでも見て取れる。通りの石畳が隆起し、跡形もなく砕けているのも、魔族の目でならすぐに理解できた。小さな瓦礫の破片は、目の前の庭にまで飛散している。
魔樹の森が残した爪痕は、あまりにも痛々しかった。
「……、」
あまりの光景に、リティシアは何も言えなくなる。
「リティシア、」
動かなくなった彼女を心配したのだろうか、後ろから優しい天使の声が聞こえた。リティシアの後ろで、仲間たちが彼女の様子を窺っている気配がする。
「――、ごめんなさい」
ようやく口から出てきた言葉は、たったそれだけだった。
「どうしてリティシアが謝るの……?」
歩み寄る靴音の少し後、声とともにエリセが彼女の肩に手を掛けた。守れなかったのはみんな同じ、だからリティシア1人が謝ることじゃない、と彼女は続ける。
「いいえ……実際に召喚したのが誰にせよ――」
リティシアはそっと顔を俯ける。自分の暗い茶の髪が、肩から零れ落ちて視界を狭めた。
「魔界のものが――あたしの同胞が、人間の街を傷つけてしまった」
静寂が、耳に痛い。
リティシアが落とした言葉に、仲間の誰もが静まってしまっていた。
「あたしたちが責任を持って見なければならない生き物たちを……人間界に侵入させてしまった」
風がリティシアの髪を撫でていく。先程貸してもらった上着が飛ばされないよう、両手でしっかりと合わせを掴んだ。
「――あたし、隠していたことがあるのよ」
もう知られているかもしれないけれど。
リティシアはゆっくりと後ろを振り返った。仲間たちは静かに彼女の顔を見ている。動悸がひどい。身体は冷えるどころか、じっとりと熱を持っているような気さえする。
それでも、言わなければならない。
魔物が街を傷つけたのに受け入れてもらえるのか。リティシアは確かにそう思っていた。しかし、この状況だからこそ、言わなければならないのではないのだろうか。隠していては――嘘をついていては、本当のことさえも信じてもらえないのではないか。
「あたしは――人間じゃ、ないの。アルベルティという家の生まれでもない。あたしは……リティシア・エーデルフェルト。魔界の統治者、アンゼルム・エーデルフェルトの娘」
沈黙が、いつまでも続くのではないかとさえ思った。
「――知ってた」
それを破ったのは、少女の小さな声。
「瞳の色を見たときから、そうなんじゃないかって、ほんとは思ってた。伝承でしか、魔王の一族のことは知らなかったけど……紅の眼をしているって、聞いたことはあったから――」
控えめで穏やかな声とともに、エリセが静かにリティシアを見つめている。
「……どうして」
リティシアの口から、言葉が零れ落ちた。
「もしそうだとしても――状況が状況だから言えないんじゃないかって。それに」
エリセの柔らかな微笑みが、リティシアの眼差しをしっかりと捕らえていた。
「人間でも魔族でも、リティシアはわたしのことを助けてくれた、優しい子」
喉が詰まるような感覚がして、リティシアは少し視線を俯ける。と、自分を見ている双子と目が合った。
「でも、つまりさ」
「リティシアはリティシアってことなんでしょ?」
クリスが首を傾げ、アリスが瞬きを繰り返す。
「そうだな」
それに返ってきたシリルの声は、穏やかに凪いでいた。
「リティシアが街のために協力してくれていたことは、オレたちがいちばんよく知っている」
それにリティシアはシリルを見上げ――ふと、その後ろに佇む、金色の瞳と視線が交わる。
――ね、言ったでしょ?
口の動きだけで言葉を紡ぎ、アーシャは静かに微笑んだ。リティシアの心の中の蟠りが、ゆっくりと溶けていく。
「隠していて、ごめんなさい……」
最初よりは穏やかな心持ちで、リティシアは再び謝罪を述べる。
「謝るな。誰も気にしてはいないのだから」
「……リティシアは何も、最初から変わってないもの。打ち明けてくれて、嬉しい」
エリセの柔らかい手がリティシアの手を包んだ。
「リティシアがこれからも今までと同じなら、わたしたちはそれでいいの」
喉が詰まる。目頭が熱い。それを堪えながら、リティシアは口を開く。
「――約束するわ」
包まれた手を見つめ、エリセの顔に視線を移し、それから仲間を見渡した。
「あたしの嘘は、誓ってこれだけよ――」
潤んだ両目から雫が零れないように、リティシアは精一杯笑った。




