リティシアの答え
「……木が」
リティシアを横たえ、アーシャが外に出ようとした瞬間。魔界の木に異変が起こり始めた。
「立ち枯れ……?」
先程まで枝を振り回し続けていた木々が、みるみるうちに力を失って枯れていく。
「これって――」
「アーシャ!」
聞き覚えのある声に、アーシャははっとして辺りを見渡す。
「アーシャ、無事か!」
「シリル……」
自分と対照的な黒髪の青年を見つけ、アーシャは安堵の声を上げる。
「エリセ、クリスにアリス……よかった――」
その後ろにさらに仲間の姿を見つけ、思わず力が抜けた。
「アーシャ、血まみれ!」
「怪我したの!?」
駆け付けた双子の言葉に、アーシャは力なく首を振る。
「大きな怪我はないな。しかし、その手はどうした。それに、その血――お前のではないなら、まさか」
アーシャを支えようとしたシリルの言葉に、誰よりも早くエリセが反応した。
「アーシャ、リティシアは!? あの子はどこっ」
「……そこの幹の中にいる。無事だよ」
それだけを伝えると、エリセはふらふらと座り込んでしまう。
「よかった……魔界の木まで現れて、陣を消しても枯れるばかりで消えないし……離れてる仲間に何かあったらって思って不安で――」
顔を両手で覆ったエリセを見て、アーシャはシリルを促す。
「俺は大丈夫だから」
シリルは何か言いたげにしたが、それでもエリセに寄り添う方を選んだようだった。
「……とりあえず、リティシアを家で休ませてやろう。酷い目にあったのだろう」
屈んでエリセの肩を抱いてやりつつ、シリルはアーシャを見上げた。
「……うん。家は、無事?」
「あっちまでは、被害はないようだ……。しかし、街の中心部の被害がひどい。逃げ遅れた住民がいなかったからいいようなものの――」
シリルの声に、悔いが混じる。
シリルが街を思う気持ちは本物だ。アーシャでさえも生半可な慰めはできなかった。それは皆同じと見えて、エリセや双子も沈黙を保っている。
「……帰ろう」
しばらくしてアーシャはそれだけを絞りだし、幹の中からリティシアを引き寄せて抱え上げた。
「治癒の魔法を――」
リティシアの痛々しい姿に、エリセがふらふらと立ち上がる。
「大丈夫。もう治ってるよ」
「え……」
仲間の視線が、リティシアの腹部に集まる。残っているのはこびりついた血液と、衣服の破れだけ。傷跡はさすがに残るものの、枝が刺さっていた時の凄惨さはもうどこにもない。
「なんで――」
「説明は、あとでするよ。街のことを話し合うときにでも……でも、今は休ませてあげたい」
アーシャは自分の上着を、腕の中で眠るリティシアにかけた。血に塗れた上着でも、ないよりはましだろう。アーシャはそれきり何も言わず、家の方向に足を向けた。
仲間たちも、何も聞かずにただ着いていった――
日差しの匂いがする。柔らかい布が、身体を優しく包む感触。風が頬を撫で――意識が浮上した。
「……っ!」
急激に、意識の靄が晴れ――リティシアは目を開けた。
目の前は天井。よく見慣れた、間借りしている寝室のものだ。
「あたし……」
アーシャといたのではなかったのか。まだはっきりしない意識の中、リティシアは記憶を辿った。魔界の木が現れて、腹部に枝が刺さって――
「そうだわ。血を――」
横になったまま、自分の腹部をまさぐる。傷はすっかり治っていた。
「そう……よね。あのとき……」
傷跡を指でなぞりながら、小さく呟く。蘇ってきた罪悪感に、リティシアは寝台の中で丸くなった。そのまま毛布をかぶる。
「アーシャ……」
気の強いリティシアには珍しいほど、弱々しい声。自分はこんなに泣き虫だっただろうか、と考えながら目元を拭う。
その時、ドアが微かに音を立てた。
「――リティシア? 気がついたの?」
聞き慣れた柔らかい声。
「……エリセ?」
掠れた弱々しい声でも、彼女は聞き取ったらしい。盆を置いたような音と、水が跳ねる音が聞こえ、足音が近づいてくる。
「もう痛くはない?」
声は近いが、毛布をめくることはしてこない。気遣われているのだろうか、と考えたところで、少し不安を覚える。
エリセたちは、もうリティシアの正体を知っているのではないだろうか。傷が治るところそのものは見られていなくとも、隠しきれているわけもないだろう。何より、彼がすべてを見ている。仲間たちも事情を聞こうとするだろう。
「――アーシャは?」
そんな言葉が口から漏れ出た。エリセは黙ってしまったのか、静かな風の音だけが外から聞こえている。
「……何も。リティシアが起きるまで、何があったのかの説明は待っていてほしいって」
その言葉に、ふたたび視界が滲んだ。こんなときまでも、アーシャは優しい。
「リティシアが話したいかどうか、自分には分からないからって……」
エリセは迷いがちにそう告げる。
「――そう」
その言葉で、覚悟が決まった。もう、隠しきれないことは分かっている。アーシャに起こったことを秘匿させて、仲間たちに疑問を抱かせたまま、リティシアだけが逃げることはもうできない。
「……エリセ。みんなは下にいる?」
毛布をはらい、ゆっくりと身体を起こすと、エリセが慌てて支えてくれる。だが、支えがいらないくらいには身体は軽かった。
「――うん。いるよ」
彼女が小さく頷いたのを見て、リティシアはほんの少し口角を上げた。こんなに心配してくれるエリセや、他の仲間たちに隠していていいことなど、もう何もない。
――俺が保証する。
いつか聞いた言葉を、頭の中で復唱する。
――絶対嫌わない。仲間の中の誰も。
「……みんなの顔、見たいわね。支度して降りるから、伝えてくれる?」
リティシアは顔の横にこぼれた髪を、背中に流す。正直に言えば、怖い。自分の正体をこの状況で――魔界の樹に人間の街が破壊された状況で、自分は受け入れてもらえるだろうか。
しかし、リティシアの正体を隠す理由がいくつあっても――この恐怖が自分の逃げから来るものだということも、彼女はもう何となく理解していた。
隠す限り、リティシアは罪悪感に苛まれる。誰のせいにもできない、リティシア自身の問題として。
「リティシア、大丈夫……?」
エリセが尋ねたのはリティシアの身体のことだろう。
「――大丈夫よ」
しかし、リティシアは静かな覚悟を言葉にして返した。




