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紅玉の姫君  作者: 神奈保 時雨
第六章
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リティシアの答え


「……木が」

 リティシアを横たえ、アーシャが外に出ようとした瞬間。魔界の木に異変が起こり始めた。

「立ち枯れ……?」

 先程まで枝を振り回し続けていた木々が、みるみるうちに力を失って枯れていく。

「これって――」


「アーシャ!」

 聞き覚えのある声に、アーシャははっとして辺りを見渡す。

「アーシャ、無事か!」

「シリル……」

 自分と対照的な黒髪の青年を見つけ、アーシャは安堵の声を上げる。

「エリセ、クリスにアリス……よかった――」

 その後ろにさらに仲間の姿を見つけ、思わず力が抜けた。


「アーシャ、血まみれ!」

「怪我したの!?」

 駆け付けた双子の言葉に、アーシャは力なく首を振る。

「大きな怪我はないな。しかし、その手はどうした。それに、その血――お前のではないなら、まさか」

 アーシャを支えようとしたシリルの言葉に、誰よりも早くエリセが反応した。

「アーシャ、リティシアは!? あの子はどこっ」


「……そこの幹の中にいる。無事だよ」

 それだけを伝えると、エリセはふらふらと座り込んでしまう。

「よかった……魔界の木まで現れて、陣を消しても枯れるばかりで消えないし……離れてる仲間に何かあったらって思って不安で――」

 顔を両手で覆ったエリセを見て、アーシャはシリルを促す。

「俺は大丈夫だから」

 シリルは何か言いたげにしたが、それでもエリセに寄り添う方を選んだようだった。

「……とりあえず、リティシアを家で休ませてやろう。酷い目にあったのだろう」

 屈んでエリセの肩を抱いてやりつつ、シリルはアーシャを見上げた。


「……うん。家は、無事?」

「あっちまでは、被害はないようだ……。しかし、街の中心部の被害がひどい。逃げ遅れた住民がいなかったからいいようなものの――」

 シリルの声に、悔いが混じる。

 シリルが街を思う気持ちは本物だ。アーシャでさえも生半可な慰めはできなかった。それは皆同じと見えて、エリセや双子も沈黙を保っている。

「……帰ろう」

 しばらくしてアーシャはそれだけを絞りだし、幹の中からリティシアを引き寄せて抱え上げた。

「治癒の魔法を――」

 リティシアの痛々しい姿に、エリセがふらふらと立ち上がる。

「大丈夫。もう治ってるよ」

「え……」

 仲間の視線が、リティシアの腹部に集まる。残っているのはこびりついた血液と、衣服の破れだけ。傷跡はさすがに残るものの、枝が刺さっていた時の凄惨さはもうどこにもない。


「なんで――」

「説明は、あとでするよ。街のことを話し合うときにでも……でも、今は休ませてあげたい」

 アーシャは自分の上着を、腕の中で眠るリティシアにかけた。血に塗れた上着でも、ないよりはましだろう。アーシャはそれきり何も言わず、家の方向に足を向けた。

 仲間たちも、何も聞かずにただ着いていった――






 日差しの匂いがする。柔らかい布が、身体を優しく包む感触。風が頬を撫で――意識が浮上した。


「……っ!」

 急激に、意識の靄が晴れ――リティシアは目を開けた。

 目の前は天井。よく見慣れた、間借りしている寝室のものだ。

「あたし……」

 アーシャといたのではなかったのか。まだはっきりしない意識の中、リティシアは記憶を辿った。魔界の木が現れて、腹部に枝が刺さって――


「そうだわ。血を――」

 横になったまま、自分の腹部をまさぐる。傷はすっかり治っていた。

「そう……よね。あのとき……」

 傷跡を指でなぞりながら、小さく呟く。蘇ってきた罪悪感に、リティシアは寝台の中で丸くなった。そのまま毛布をかぶる。


「アーシャ……」

 気の強いリティシアには珍しいほど、弱々しい声。自分はこんなに泣き虫だっただろうか、と考えながら目元を拭う。

 その時、ドアが微かに音を立てた。

「――リティシア? 気がついたの?」

 聞き慣れた柔らかい声。

「……エリセ?」

 掠れた弱々しい声でも、彼女は聞き取ったらしい。盆を置いたような音と、水が跳ねる音が聞こえ、足音が近づいてくる。


「もう痛くはない?」

 声は近いが、毛布をめくることはしてこない。気遣われているのだろうか、と考えたところで、少し不安を覚える。

 エリセたちは、もうリティシアの正体を知っているのではないだろうか。傷が治るところそのものは見られていなくとも、隠しきれているわけもないだろう。何より、彼がすべてを見ている。仲間たちも事情を聞こうとするだろう。


「――アーシャは?」

 そんな言葉が口から漏れ出た。エリセは黙ってしまったのか、静かな風の音だけが外から聞こえている。

「……何も。リティシアが起きるまで、何があったのかの説明は待っていてほしいって」

 その言葉に、ふたたび視界が滲んだ。こんなときまでも、アーシャは優しい。

「リティシアが話したいかどうか、自分には分からないからって……」

 エリセは迷いがちにそう告げる。

「――そう」

 その言葉で、覚悟が決まった。もう、隠しきれないことは分かっている。アーシャに起こったことを秘匿させて、仲間たちに疑問を抱かせたまま、リティシアだけが逃げることはもうできない。

「……エリセ。みんなは下にいる?」

 毛布をはらい、ゆっくりと身体を起こすと、エリセが慌てて支えてくれる。だが、支えがいらないくらいには身体は軽かった。

「――うん。いるよ」

 彼女が小さく頷いたのを見て、リティシアはほんの少し口角を上げた。こんなに心配してくれるエリセや、他の仲間たちに隠していていいことなど、もう何もない。


 ――俺が保証する。


 いつか聞いた言葉を、頭の中で復唱する。


 ――絶対嫌わない。仲間の中の誰も。


「……みんなの顔、見たいわね。支度して降りるから、伝えてくれる?」

 リティシアは顔の横にこぼれた髪を、背中に流す。正直に言えば、怖い。自分の正体をこの状況で――魔界の樹に人間の街が破壊された状況で、自分は受け入れてもらえるだろうか。

 しかし、リティシアの正体を隠す理由がいくつあっても――この恐怖が自分の逃げから来るものだということも、彼女はもう何となく理解していた。

 隠す限り、リティシアは罪悪感に苛まれる。誰のせいにもできない、リティシア自身の問題として。

「リティシア、大丈夫……?」

 エリセが尋ねたのはリティシアの身体のことだろう。

「――大丈夫よ」

 しかし、リティシアは静かな覚悟を言葉にして返した。




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