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紅玉の姫君  作者: 神奈保 時雨
第五章
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エリセ・アーベライン

 平和だ。

「うん、平和だね」

 隣にいるエリセがにこにこと微笑む。

「あら。口に出てたのかしら」

 その言葉に、リティシアは首を傾げて口を押さえた。

「ううん、そんな顔してたから」

「どんな顔よ。逆に気になるわね」


 リティシアの言葉に、エリセがくすくすと笑う。リティシアとエリセは、町に買い出しに出ている最中だった。

「あとは何が必要だったかしら」

「えっと、ね」

 エリセがシリルに託されたメモ書きを見る。

「小麦、豆、砂糖、紅茶に、インクに――」

「……半分も終わってないじゃないの」

 リティシアは重い息を吐く。忙しさ故に、シリルたちは中々買い物には出られない。今日も念のため見回りをするというので、リティシアとエリセが買い出しを引き受けたのだが。

「こんなに足りないものがあるなんてね……」

 エリセも思わずといった体で苦笑を溢す。

 ぎりぎりまで買い出しを後回しにしていたところに、リティシアとエリセの二人が仲間に加わったのだ。さすがのシリルも、消費の速度を予測しきれなかったらしい。


「運べないことはないけれどね……」

 リティシアは既に両手に紙袋を持っていた。ここに穀物も買うとなると、一度家に戻る必要があるかもしれない。彼女が苦笑いを返すと、エリセは今度は楽しげに笑った。

「シリルもこういう失敗、するんだね。ついつい完璧な人みたいに思っちゃうけど」

 言いながら、彼女は次の店に行くために歩を進める。

「そうね」

 相槌を打ちながら、リティシアはそんなエリセを目で追った。


 ここしばらくで、エリセは少し変わった気がする。迷いがちだった言動や、自信を持てないでいる表情は減ってきた。この前の魔鳥以来騒ぎはないものの、何かに怯えるような仕草もほとんど見られない。

 果敢に魔物と戦っていることで、彼女の中で何かが変わったのかもしれなかった。


「次は何を買うの?」

 リティシアもエリセの隣を歩く。

「んー、食料品、揃えちゃおう」

 エリセは大して迷わずに答えを出した。リティシアはそれに小さく笑みを溢す。少し前の彼女だったら、リティシアにも伺いを立てていたような気がしたからだ。

「リティシア?」

「いえ。そうね、そうしましょう」

 首を振り、さらに歩を進める。エリセは怪訝そうながら頷き――ふと、足を止めた。

「……エリセ?」

 リティシアが呼び掛ける声に、誰かの声が重なった。リティシアはそれに声のした方を見る。

 そこには一人の女性が立っていた。

 ひとつに結い上げた真っ直ぐな赤毛。空色の瞳は、どこかて見たことがある――。


「……お姉、ちゃん」

 驚いたようなエリセの声。リティシアはそれに目を見張った。

「お姉ちゃん……?」

 エリセは目の前の女性とよく似た空色の瞳に戸惑いの色を浮かべながらも、リティシアの言葉に頷く。

「うん……。姉の、モニカ」

「そうなの……」

 彼女はリティシアに向かって、姉と呼んだ女性を指し示す。

 エリセに姉がいるとは、初耳だった。兄弟姉妹の話になったことはなかったのだ。


「久しぶりね……エリセ、その子はお友達?」

 エリセの姉――モニカが首を傾げる。

 見比べてみると、エリセとモニカは確かに顔立ちもよく似ている。ただ、モニカの方が少し勝ち気な表情をしているようだ。

「あ……うん、そう。友達だよ。リティシアっていって……」

「初めまして」

 エリセの紹介に合わせ、リティシアは挨拶をする。

「ええ、初めまして」

 それに微笑んで挨拶を返してから、モニカは再び首を傾げた。


「エリセ……あなた、そういえば国軍に入るんじゃなかったの?」

 エリセが隣で固まったのに気づき、リティシアは少しばかりエリセを見上げた。

「……それは……」

 エリセは少し前のような、消え入りそうな声を出した。

(……どうしたのかしら)

 リティシアが声を掛けようとしたのと、モニカがエリセの頭を撫でたのは同時だった。

「別に責めないわ。他にやりたいことが見つかったんなら、それをやったらいいと思うから。母さんには内緒にしとく」

 モニカの微笑みに、エリセは若干安堵の表情を浮かべる。

「ありがとう……お姉ちゃん」

 呟くように吐き出された言葉に、モニカは再び微笑んだ。

「いいのよ。自分が言えると思ったら言いなさい」

 リティシアも最近聞いたばかりの台詞だった。金色の髪をした天使の姿が脳裏に浮かぶ。

「……じゃあ、お姉ちゃんは戻らなきゃいけないから。またね、エリセ」

 手を振る姉に、エリセが頷く。


「エリセ……」

 モニカが曲がり角に消えた後、リティシアはそっと呼び掛けた。エリセはそれに、弱々しいながらも微笑んでみせる。

「買い物、続けようか」

「……ええ」

 自分も隠し事をしているというのに、エリセに事情を聞くなどできずに、リティシアはただ頷く。買い物を終えて帰るまで、エリセの表情はどことなく曇ったままだった。




「リティシア」

 シリルがリティシアに話しかけてきたのは、家に戻ってしばらくした後だった。見回りに向かっていた4人も何事もなく家に戻り、いつも通りに過ごしている。しかし、皆がエリセの様子に気づき、心配そうに見守っているようだった。全員が居間に揃ってはいるものの、どこかぎくしゃくした空気が漂っている。

「シリル……どうしたの」

「いや。……エリセは、どうしたんだ」

 少し躊躇ってから、シリルはいつもの無愛想な態度で言う。しかし、小さくひそめた声には確かに気遣いが含まれていた。

 それでもリティシアはただ首を振るしかできない。

「それが……分からないのよ。買い出し中にお姉さんと会ってから、ずっとあの調子で……」

「……お姉さん? エリセの?」

 近くで話を聞いていたらしいアーシャが、やはり驚いたように言う。彼も知らなかったようだ。リティシアが頷いてみせると、アーシャは何故だかそれきり黙り込んでしまった。

「……姉がいるとは、聞いたことはあるが」

 リティシアはむしろ、シリルのその台詞に驚いた。エリセはシリルには打ち明けていたらしい。


「……しかし、何故?」

 姉と不仲だとは聞いていない――と、シリルは言う。

「それも分からないわ。確かにお姉さんとは仲が良さそうだったもの。……でも、その場で詮索するわけにもいかないでしょう」

 特にあたしは――という言葉は呑み込んだ。

「……それも、そうだな」

 シリルは無表情に言い、エリセを見る。エリセはただぼんやりと椅子に座っているようだった。


「……エリセ」

 シリルの呼び掛けに、彼女はふと顔を上げた。

「えっと……どうしたの?」

 それから笑顔を作ってみせる。

「いや。こっちもそれを聞きたかったんだ」

 シリルはエリセへ近寄り、テーブルを挟んでその向かい側に腰を下ろす。

「何があった。エリセ」

 真正面から切り出すところが、彼らしい。真っ直ぐに見つめる黒い瞳に、エリセは顔を俯けたようだった。

 シリルはそれ以上は何も言わない。ただ、エリセが切り出すことをじっと待っていた。リティシアもそれを見守る。


「……わたし……」

 しばらくの沈黙のあと、エリセは口を開いた。


「……家族は全員魔法使いなの。姉は厳密に言えば、魔法の学者だけど。でも」

 唐突とも言える話に、しかし誰も口を挟まなかった。

「……わたしだけ、生まれたときに魔力を持ってなかった。落ちこぼれだったの」

 リティシアはそれに目を見開く。アーシャや双子、シリルまでもが驚いたようにエリセを見ていた。

「両親は、そんなわたしを見限って。姉だけがわたしに優しくしてくれた……」

 そんなことが有り得るのだろうか、とリティシアは思う。魔法使いから生まれた人間が魔力を持たず、しかも後天的に魔力を身につけたなどと。


「だからわたしは、姉に習って後天的に魔力を身につけて。魔法学院に入ったの」

(ううん、でも―――可能なのね)

 実際エリセがそう言っているし、それに人間は元々魔力を持っていなかったのだと聞く。まだ種族どうしの交流があった頃、天使や魔族が人間に魔法を伝えたらしい。

 魔力を身につける方法はあるのだ。最近行われているかどうかということは別として。


「確かに、後天的に魔力を身につける方法はあるとは聞くが……」

 シリルが重々しく口を開く。

「その方法はとても厳しいという。それを乗り越えてまで……魔力を手に入れたのか」

「……うん。両親に認めてほしかったから。学院を出て国軍に入れば、きっと認めてもらえるって……」

 語るエリセを、双子が複雑そうに見つめている。

「でも、わたしが結局国軍に入らなかったのは、シリルたちの知ってる通り」

 学院を出た人間のほとんどが入るという国軍。それに入らなかったエリセにも、何か思うところがあったのだろうか。

 エリセは弱々しく微笑んで、さらに言葉を紡いだ。

「そして……まだ、それを両親に言えていないの」


 母さんには、内緒にしとく――

 その言葉の意味を、リティシアは改めて理解する。


「言わなきゃ、言わなきゃって思ってるのに……また愛想を尽かされるのが怖くて、言ってないの。それを、姉と会ったことで改めて思い出して」

 そこまで言って、エリセは両手を握り合わせる。

「わたしは……弱いままだな、って。ちょっと落ち込んじゃった」

 誰も、何も言うことができなかった。エリセが自分に自信を持てずにいた理由。それが、この短い話に凝縮されていたような気がしたのだ。

 リティシアも何も言えず、ただ黙るしかなかった。親に見向きされない気持ちなど、自分に分かってあげられるはずもないと思ったのだ。王女として、アンゼルムたちの庇護下に長いこといたのだから。


「……弱くなんかない」

 その沈黙を破ったのは、シリルだった。エリセはそれに顔を上げる。リティシアたちも、シリルに静かに注目した。

「言わなければならないと思っているんだろう。国軍に入らずとも、自分で考えて自分の道を決めたのだろう」

 それにエリセが小さく頷く。

「自分がやらなければならないことを自分で決められたなら、それは強くなったということだから」

 だから、弱くなどない――と、シリルは続けた。

 エリセはただただシリルを見つめている。

「あとは突き進むだけだ。きっとできる。エリセなら」

 とつとつと紡がれる励ましの言葉に、不意にエリセの顔が泣きそうに歪んだ。


「エリセ――」

 シリルは珍しく慌てたような表情を見せる。リティシアも思わず手を差しのべそうになった、そのとき。アーシャがリティシアの前腕を掴んだ。

 二人にしてあげよう。

 振り向いたリティシアに、アーシャが口だけをそう動かした。

 アーシャはリティシアと双子を連れ、そっと家の外へと出ていく。背後からはエリセが泣いている声と、シリルがうろたえながらも慰める声が聞こえた。


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