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紅玉の姫君  作者: 神奈保 時雨
第四章
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魔族と天使


「聞こえてた……の?」

 アーシャは天使だ。

 耳のよさはリティシアにも負けない。 話をしていたのが分かっていたなら―――内容も聞こえてたかもしれない。

 取り越し苦労であってほしい。

「うん……ごめん、聞こえてた。最後の方を少しだけだけど……」

 しかし、そんなリティシアの願いはあっさりと打ち砕かれた。


「魔族……だったんだね。リティシア」

 何の含みもない台詞。

 しかし、それを聞いて意識が遠くなった気さえした。

 何と謝ればいいのか。嫌われたのではないのか。元は知らなかったこととはいえ、アーシャの立場を悪くする結果になってしまったのではないか。こんなに優しいアーシャが、自分と距離を置くところなど見たくはない。頭の中をそうした考えが支配する。

 しかしその考えをやめさせたのは、やはりアーシャの言葉だった。


「……あ、何か意味があって言ったんじゃないんだよ? 種族なんて、小さな問題だし」


 小さな問題。


「……え?」

 思わず顔を上げたリティシアに、アーシャはいつもの微笑みを浮かべる。

「だって、俺だって天使だって言わなかったのは小さな問題だと思ったからだしさ。さすがに真名は名乗れなかったけど」

 天使は他人に真名を名乗らないと聞く。

 エミルも愛称だというし、そこから言えば確かに、アーシャが天使だとすぐ気づくべきだった。彼が姓を名乗らなかった時点で。しかし、そんな後悔はもう遅い。

「魔族でも、リティシアはリティシアでしょ?正義感が強くて、真っ直ぐなリティシア」

 いつもの微笑みと共に紡がれた言葉。それは日だまりのような暖かさを伴って、リティシアの心に染み入った。

「で……も、アーシャ、これが天界にバレたら問題になるかもしれないのよ? 魔族と関わりがあるなんて」

 アーシャの考えはこうでも、他の天使はそうではない。

「……それに、この状況で――人間界でも魔族が疑われていては、自分が魔族なんて言えないわ……」

 リティシアは、リティシア。

 その言葉は嬉しいが、秘密を話すことはまだできない。


「何だ。そんなの簡単だよ」

 アーシャはリティシアの隣へと寄ってきて、また柔らかく微笑む。


「二人だけの秘密にしちゃえばいい」

「……え?」

 予想外の言葉に、リティシアは戸惑いを隠せなかった。

「リティシアが魔族だっていうのは、俺しか知らない。周りは俺が知ってるなんてことも知らない。それで問題ないはずだよ」

 柔らかな言葉に、リティシアはただただ驚きの眼差しを返す。

「アーシャ、貴方は……」

 しばらくして、言葉が込み上げる。

「どこまでお人好しだというの……」

 アーシャはそれに不思議そうに首を傾げた。自分がお人好しだという自覚などないのだろう。確かに変わり者だ―――と、リティシアは苦笑する。他種族に対して友好的というだけでなく。


「……申し出は、ありがたいわ。是非とも二人だけの秘密にしてほしいわね」

 アーシャに対して笑顔を作ってから、、でも、とリティシアは続ける。

「その前に、あたし貴方には謝らないと……」

「謝る?」

 俯き気味になった彼女に、どうして、とアーシャは不思議そうにする。

「貴方が天使だって分かったあとも、あたしはずっと自分の正体を隠し通そうとしていたわ。ごめんなさい」

 リティシアはそっと頭を下げた。アーシャには小さな問題かもしれないが、こうしなければリティシアの気が済まなかった。気がかりだったことだから、ここでしっかりけじめをつけたかったという気持ちもある。


「そう言われても……俺は何とも思っていないんだから、頭を上げてよ。リティシア」

 困りきった声に、リティシアは素直に従う。戸惑った表情のアーシャと目が合った。

「こうしなければ気が済まなかったのよ。あたしのね」

 それにくすっと笑って告げれば、アーシャは吹き出すように笑った。


「そっか。やっぱり、リティシアは真っ直ぐだ」

「そう……かしら? そう見えたなら嬉しいわ。曲がったこと、好きじゃないのよ……」

 曲がったことは好きではない。その信条も、リティシアの負担になっているひとつではあった。嘘をついているような今の状態が、歯がゆくて仕方がない。自分の行動が自分の気に入らないのだ。

 しかし、アーシャが言うように、真っ直ぐな性格に見えているというなら、まだ救われる。


「真っ直ぐだよ、リティシアは。……それにしてもさ。こうなると、俺たちって似た者同士なのかもしれないね」

「似た者同士?」

 唐突に切り出したアーシャに、リティシアは首を傾げる。

「そう。自分の世界を飛び出して人間界に来た辺りが」

 それにはリティシアも納得した。天使と魔族は真逆と言ってもいいが、確かにその点では似ているのかもしれない。

「アーシャも、人間界に興味があってここに来たの?」

 何気なく問うと、アーシャは頷いた。

「まあ、厳密に言えば天界以外の世界にね。魔界にも興味はあるよ。行く手立てがないだけで」

 やはり、アーシャは相当な変わり者らしい。魔界を嫌わない天使など、数えるほどしか見たことはなかった。何度目か分からない印象を抱きながら、リティシアはその話を聞いていた。


「ねえ、リティシア」

 アーシャの呼び掛けに、リティシアは首を傾げることで答える。

「魔族って、細かい種族もいくつかあるんだよね、確か。人間や天使とは違ってさ」

 そう尋ねるアーシャの声は、確かに興味津々といった感じだった。魔界にも興味があるという彼にとって、リティシアとの出会いは魔族の話を聞ける絶好の機会でもあるのだろう。

「……そうね。色々いるわ」

 リティシアはそれに小さく笑みを溢す。アーシャがこちらを見る眼差しやその調子に、少年のような印象を受けたからだ。

「凄まじい治癒の力を持つ種族とか……、肌に鱗を持つ種だとか」

「へえ……。リティシアは?」

「あたし? ……吸血鬼、の一族ね」

 本当なら答えることを躊躇してしまうような問いだが、アーシャが相手だとすんなり答えられた。

「ってことは、血を飲むの?」

 案の定、アーシャは驚きは見せても恐怖や軽蔑をする様子はない。

「そうね。でも、必需品ってわけではないのよ。言うなればお酒みたいなものかしら……」

 まったく我慢が利かないわけではない。それに、節操なしに人間の血を吸いでもしたらそれこそ事件になる。


「……まあ、でも……お酒以上に万能の薬かしらね。あたしたちにとっては」

 魔力のある生き物の血を飲みその魔力を取り込めばば、吸血鬼の身体能力や治癒の力は格段に上がるのだ。特に天使の血は治癒に、魔族の血は体力の増強に効くという。魔族の場合、どんな亜種のものかによっても細かい効果は違うのだが。

 そのことを説明すると、アーシャは興味深そうに頷く。

「じゃあもしリティシアが怪我をしても、俺が血を飲ませたら大丈夫ってこと?」

「まあ、そうなるけれど。もしそんなことしたら、それこそただじゃ済まないんじゃないの?」

 リティシアが苦笑を返せば、アーシャはにこりと笑ってみせる。

「俺、規則を掻い潜るのは得意だから」

 さらりと飛んでもないことを言ってのけるアーシャに、リティシアは珍しく苦笑を深めた。

「っていうより、縁起でもないこと言わないでちょうだい」

「あ、そっか。ごめん」

 リティシアの文句にアーシャが肩を竦めたとき。


「アーシャ、リティシア。外にいるのか?」

 シリルが二人を呼ぶ声が聞こえた。

「あ、うん。いるよ――」

 それに扉の方を振り向いて返事をしてから、アーシャは改めてリティシアを見た。

「リティシア、じゃあ……二人だけの秘密。少なくとも、みんなに明かしてもいいってリティシアが思うまではね」

「みんなに……」

 そんな日は来るだろうか。シリルたちを疑っているとか、そういうわけではない。むしろ、アーシャに知られた以上は、隠す理由は減ったはずだ。しかし、気は進まなかった。

「うん。……大丈夫、みんなも俺と一緒だと思うよ」

「一緒?」

 微笑みと共に紡がれた言葉に、リティシアは首を傾げた。

「うん。……リティシアがどこの誰だとしても、俺は君を嫌ったりしないから」

 リティシアはそれに目を見開く。

「その気持ちが一緒……ってこと?」

「うん、絶対。……先に戻るね、リティシア」


 微笑みはそのままで、アーシャは立ち上がる。家の中に戻っていく彼を、リティシアはただ見送った。アーシャが、リティシア自身も気づいていない気持ちに気づいたと仮定するなら。

 話すことに気が進まないのは、嫌われるのが怖いからだろうか。リティシアはそこまで考えて頭を振る。

 違う。事件解決に協力する上で、障害になりかねないからだ。魔族が疑われているのに下手なことはできない、というだけのことだ。

 そのはずなのに―――と、リティシアは考え込む。


 何故、自分はあの言葉に安心を覚えたのだろうか。


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