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紅玉の姫君  作者: 神奈保 時雨
第三章
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休息

どこでも好きな部屋を使えばいい。

シリルにはそう言われたし、実際空き部屋は2、3室あったが、リティシアとエリセは結局同室になることを選んだ。

 双子が同室、シリルとアーシャが同室、ということを考慮したのもある。しかし何より、エリセはともかく――リティシアは知らない土地で少し心細かったのかもしれない。何となく、誰かしらと同じ部屋で

眠りたかったのだ。




「……エリセ、起きてる?」

 もう、月が大分高い。細い三日月の頼りない光は、それでもリティシアには十分に明るかった。卓越した視力は、陽光の元にいるときと同じように物の輪郭を捉える。

 あの後、二人が使うことになった部屋の片付けで、日が出ている時間は終わってしまった。今は、みんなそれぞれの部屋で落ち着いている。リティシアとエリセも、割り当ててもらった部屋で、それぞれ寝台に横になっていた。


「……起きてるよ」

 少し離れた位置から、声が返ってくる。 その声に、リティシアはエリセの方を見遣った。

 真紅の眼が、壁の方を向いて横になっているエリセを捉えた。エリセもその気配で気づいたのか、リティシアの方に向き直る。今夜の月光は人間には少し暗く思われるのか、彼女はじっと目を凝らしていた。リティシアにはその様子さえもはっきり見えるのだが。


「今日は……色々、あったわね」

 ぽつりと呟けば、エリセは相槌とともに小さな笑みを浮かべる。さわさわと、風が木々を揺らす音が聞こえた。ふと起き上がって窓の外を見ると、青い葉がそよ風に踊っているのが見えた。色は日中と比べれば少し褪せるが、その様子はしっかり確認できる。魔物が出た街とは思えぬくらい、穏やかな風景だった。

「ねぇ、リティシア」

 小さな声に、リティシアはエリセに視線を戻す。

「あのとき――アーシャが使った魔法」

 エリセの言葉に、リティシアは「あのとき」のことを思い出す。

「ああ、光の……」

 呟けば、うん、と返事が聞こえた。

「珍しいわよね……」


 魔法の属性。それには、種族毎に特性がある。

「光や闇を扱うことのできる人間はごく僅かだから…」

 エリセの呟きに、今度はリティシアが頷く。

「人間は大抵、水とか氷とか……風、炎、地……そんな感じよね。光は――」


「うん。天使の魔法――勿論、例外だっているけど……」

「光以外の魔法を使う天使、闇以外の魔法を使う魔族、光や闇の魔法を扱う人間…いないわけじゃないものね」


 例外。リティシアはそれにあたる。人間の血が入っているからか、魔族でありながらもリティシアの扱う魔法は炎。闇ではない。

アーシャも、その「例外」にあたるのだろうか。それとも―――


「……それはないわね」

 ぽつり、と小声でひとりごちた。聞こえたのか聞こえなかったのか、エリセは怪訝な顔をしている。

(……天使が人間界に降りてくるなんて、ありえないもの)

 小さく首を振って、その考えを振り払う。そうしてようやく、リティシアはエリセの表情に気づいた。


「何でもないわ」

にこりとすると、エリセも頷く。それから、うん、と言葉が返ってきた。


リティシアは無難に話を切り上げ、また横になる。エリセも毛布にくるまり、目を閉じているようだ。


(心配が現実のものにならなきゃいいのだけど……)

 ぼんやりそう考える。今の会話がきっかけで、少し心に引っ掛かったものがあったのだ。

 リティシアが眠りについたのは、エリセの寝息が聞こえ始めてしばらく経った頃だった。





 それから更に時間は経ち、早朝。今日もよく晴れている―――そう思いながら、リティシアは部屋を出た。エリセは疲れているのか、まだ眠りから覚めていない。リティシアが起きるのが早かった、とも言えるが。

 早くに目が覚めた彼女は、何となく、また眠る気分にはなれなかったのだ。


 エリセを起こさないよう、扉はそっと閉めた。2階に位置する寝室から、階段を下りて居間へと向かう。直接居間に通じている木の階段は、歩くと重厚な音を立てた。

 ふと、1階から物音が聞こえ、リティシアは首を傾げる。早起きが他にもいるらしい。少しだけ足を速め、居間に向かう。

 手摺に手を置いて、彼女はきょろきょろと辺りを見渡した。


 すると、台所にその人物を見つけた。

 今にも日に溶けて消えてしまいそうな薄い色合い―――

「あれ? リティシア。早いね、おはよう」

 アーシャの方もリティシアを見つけ、穏やかに微笑んだ。

「……おはよう。アーシャこそ、早いのね」

 笑みを返し、とりあえず台所へと向かう。


「うん、今日は偶然、ね。紅茶淹れるけど、飲む?」

 昨日と変わらずにこやかな彼に頷き、リティシアは邪魔にならない所に立つ。

 台所には、天窓から燦々と朝日が降り注いでいた。ほんの少しだけ癖がある金髪が、その光をきらきらと反射する。

 リティシアはその煌めきにつられ、改めて彼をまじまじと見つめた。

 多分、リティシアより年上なのだろう、動作には落ち着きがある。服装は相変わらず白を基調にしていて、それは彼によく似合っているように思えた。

 リティシアの視線に気づいたのか、アーシャがふと彼女を振り返った。そうして、少しばかり首を傾げて微笑む。

(――綺麗な顔)

 彼女はふと、そんなことを思った。その色素の薄い瞳も、白いというよりは透明と言ってもいい肌の色味も、魔族は持たないものだ。


「リティシア? どうしたの?」

 あまりに見つめていたせいだろうか。彼はほんの少しだけ怪訝そうな色を、その金色の眼に浮かべていた。

「――いいえ。何でもないの」

 リティシアは少しだけ慌てて首を振り、同時にその考えを振り払う。

「そう? ――誰かが起きたのは物音で何となく分かったけど、リティシアだったんだね。いつも早いの?」

 彼は怪訝そうな色を消し、目を細めて微笑む。

 リティシアはそれにも首を振った。


「あたしも偶然よ。何だか目が冴えちゃって……」

「そっか。そうだ、リティシア。紅茶に何か入れる?」

「え? ああ……そうね。じゃあ、牛乳と……砂糖ひとつ、お願い」


 アーシャは微笑みを絶やさない。だからだろうか、自分もつられて笑顔になっているようにリティシアは感じた。

「うん、分かった」

 微笑んだまま、彼はカップを2つ手に取る。


 紅茶が注がれる、小気味良い音が響いた。それから、ミルクと砂糖が入る音。 リティシアはそれに耳を澄ます。聞き慣れた音のはずなのに、環境が違うからか、新鮮な響きにも思えた。

 少しして、アーシャは紅茶の入ったカップを居間のテーブルへと運んでいった。リティシアもそれについていく。


「どこに座る?」

 彼はやはりにこやかな表情で、リティシアを見た。

「えぇと……昨日と同じところでいいわ」

 アーシャは頷き、左手に持っていたカップをテーブルに置いた。右手に持っていたカップは、その向かいに。ちょうど、昨日の位置関係と同じようになる。

「ありがとう」

 リティシアは微笑み、椅子を引いて座った。

「どういたしまして」

 アーシャがその向かいに腰を降ろす。彼のカップに入った紅茶には、特に何も入ってはいないらしい。

 リティシアはそれを見ながら、口元へカップを運んだ。


「……美味しい」

 ほっと息を吐いて言えば、向かいの彼は笑みを深くした。

「そう? よかった」

 声にも笑みを含んでいる。どこか嬉しそうだ。「美味しい」の一言はそんなに嬉しかったのだろうか。


(……太陽みたいな人ね)

 ぽかぽかした気分になるのは、紅茶を飲んでいるからというだけではないかもしれない。そう思いながら、リティシアは頷く。彼はやはり、にこにこと笑んだままだ。

 少しの間、心地よい沈黙が続いた。お互いがゆっくりと紅茶を飲むだけの時間。


「……アーシャって、何歳くらいなの?」

 会話が途切れてからしばらく経ったころ。ふと聞いてみたくなって、リティシアはぽつりとそう口に出した。

「ん。俺?」

 紅茶を飲んでいたアーシャは、カップを置いてリティシアを見る。それから、しばらく考えるような素振りをした。


「そう、だね。……889、かな……?」

 少々自信が無さげに思えるのは、リティシアの気のせいだろうか。アーシャは割と細かいことに頓着しないのかもしれない。

 まあ、ひとつかふたつくらい誤差があろうと、自分たちにはあまり気にならないことなのだが。とりあえず、200くらいは年上らしい。


「そうなの。……シリルもアーシャと同じくらい、かしら?」

 大分残り少なくなった紅茶を、また口へ運ぶ。アーシャは微笑を浮かべて頷いた。

「うん。少し俺より下なくらいかな。リティシアは、俺よりも年下……だよね?」

「ええ。大分ね」

 リティシアはどうやら年相応に見えるらしい。魔法使いの年齢で「年相応」と言っていいかは疑問に残るけれど。


「ありがとう。美味しかったわ」

 会話を交わすうちに紅茶をすっかり飲み終わり、リティシアはお礼を言った。

「どういたしまして。カップ、貸して」

 アーシャもちょうど飲み終わったらしく、立ち上がりながら左手をリティシアに差し伸べる。リティシアは微笑んで、その手にそっとカップを手渡した。



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