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第三十話 ロシュ補佐の沈黙

 カミーユ・ロシュ補佐への内部聴取は、公開査問から五日後に行われた。


 場所は王宮の記録室。


 出席者は、マリア第一王女、医務局監査官、ミレーヌ、そして証拠提出者として私。アルノルトは廊下で待機した。ギルベルトは過去の書類に関わる証人として別室にいる。


 カミーユ補佐は、いつものように整った姿で座っていた。


 だが、眼鏡の奥の目には疲れが見える。


 監査官が契約書を読み上げた。


「標準保温毛布の納入商会は、あなたの義弟が代表を務める商会です。あなたは選定過程に関与しましたか」


「審査委員の一人として」


「利益関係の申告は」


「形式上、商会経営には関与しておりません」


 監査官は次の書類を出した。


「北境標準防寒靴も同系列商会からの納入です」


「それは別部門です」


「冬鈴館を王立移管した場合、保温布工房の製作記録を提出させ、標準毛布へ切り替える予定でしたか」


「王立施設では標準品を使います」


 彼の答えは、すべて紙の上では逃げ道がある。


 マリア第一王女が静かに言った。


「では、南翼療養室の件はどうですか」


 カミーユ補佐の表情が初めて変わった。


 机の上に、二年前の書類が置かれた。


 リリアの療養意見書。


 リュシーの診断書。


 同じ箱に入っていた二つの紙。


「あなたは、リュシー・レーヴェルトの診断書を見ましたか」


 沈黙。


「ロシュ補佐」


「……見ました」


 短い答えだった。


 私の胸の奥で、古い怒りが息をした。


 やはり、見ていた。


「その上で、南翼療養室をリリア・オルセーヌの療養に適すると判断した」


「侯爵家当主の意向がありました」


 ギルベルトのことだ。


 別室にいる彼にも、後で伝わるだろう。


 マリア第一王女の声は冷たい。


「当主の意向が、幼児の診断書に優先したのですか」


「当時は、家庭内の部屋割りに医務局が深く介入する権限はありませんでした」


「ならば、なぜ意見書を出した」


 カミーユ補佐は答えなかった。


 長い沈黙の後、彼はようやく言った。


「私は、効率を見ていました」


「効率?」


「既に改修済みの高保温室がある。重病の成人女性をそこへ移せば、追加費用は少ない。幼児は母親がついている。北翼でも管理できると判断した」


 その言葉は、二年前の食堂へ私を戻した。


 子どもは慣れる。


 母親がついていればいい。


 あの冷たい論理は、夫だけのものではなかった。


「その判断で、娘は死んでいたかもしれません」


 私は静かに言った。


 カミーユ補佐は私を見なかった。


「結果として、死んでいません」


 部屋の空気が凍った。


 私は立ち上がりそうになったが、机の下で手を握った。


 マリア第一王女が低く言った。


「それは、母親が逃げたからです」


 カミーユ補佐の喉が動いた。


「私は、多くの子どもを救う制度を作ろうと」


「一人の子どもが死ななかったことを、自分の判断の正しさに使うな」


 王女の声は、今まで聞いた中で最も厳しかった。


 聴取の終わり、カミーユ補佐は一時職務停止となった。利益関係と過去判断の調査が続く。


 廊下へ出ると、ギルベルトが立っていた。


 彼は私を見るなり、深く頭を下げた。


「すまない」


「あなたは何度も謝っています」


「それでも、今の言葉を聞いて、また謝らずにいられなかった」


 私は少しだけ息を吐いた。


「謝罪は受け取ります。でも、私たちは前へ進みます」


「分かっている」


 冬鈴館へ戻る馬車の中で、私はしばらく話せなかった。


 リュシーは生きている。


 その事実は、誰かの判断が正しかった証拠ではない。


 私が逃げた証拠だ。


 娘が生きた証拠だ。


 そして今、同じ冷えを制度にしないための証拠だ。


 帰ると、リュシーが玄関で待っていた。


「おかえり」


「ただいま」


「へや、みる?」


「見るわ」


 娘の部屋は、ちょうどいい温度だった。


 私はその記録を書きながら、ようやく息を整えた。


 死ななかったから大丈夫ではない。


 生きているから、変えなければならない。




 その夜、私は一度だけ泣いた。


 リュシーの部屋ではない。記録室でもない。温室の奥、冬鈴草の鉢の前だった。


 診断書を見ていた。


 その事実が、胸の中で何度も繰り返される。


 知らなかったのではない。


 見た上で、娘の部屋は動かせると判断された。


 涙は長く続かなかった。怒りの方が強かったからだ。


 アルノルトは少し離れたところで待っていた。近づきすぎず、放っておきすぎず。


「今は、慰めが必要ですか。記録が必要ですか」


 彼が尋ねた。


 私は涙を拭いた。


「少しだけ、慰めを」


 彼は黙って肩に保温布を掛けた。


 それだけでよかった。


 怒りを消す必要はない。


 冷えないように包めば、明日また使える。



 翌日、私はロシュ補佐の発言をそのまま証拠台帳に写した。


『結果として、死んでいません』


 書くのはつらかった。


 けれど、書かなければ、あの言葉の冷たさも薄れてしまう。


 ミレーヌは写しを見て、静かに言った。


「この発言は、制度が最も避けるべき考え方として使えます」


「子どもが死ななければよい、ではない」


「はい。苦しまず、怖がらず、名前を消されずに生きることも含めるべきです」


 私は頷いた。


 生存だけを最低線にしてはいけない。


 子どもは、生きて眠るために部屋を持つ。

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