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第十一話 北境から凍った靴

 北境からの荷馬車が到着したのは、夜明け前だった。


 御者が門を叩く音で、ハンナが飛び起きた。私は外套を羽織り、アルノルトと一緒に玄関へ向かった。冷たい風が廊下に入り込み、暖炉の火が揺れる。


 荷馬車には、子どもが五人乗っていた。


 年齢は三歳から九歳。全員、保温布に包まれているが、顔色が悪い。一番年上の少年は、自分より小さい子を膝に抱えていた。


 アルノルトの副官からの手紙には、簡潔な報告があった。


『第三暖房庫崩落により、村の避難所が不足。標準支給の防寒靴が凍結。咳症状のある児童五名を王都へ搬送。王立療養院への受け入れ申請は手続き未完のため保留。冬鈴館へ緊急搬送する』


 手続き未完。


 その四文字の間に、子どもの足は凍る。


 私は一番小さい女の子を抱き上げた。軽い。頬は冷たく、まぶたが重そうだ。


「名前は?」


 少年が答えた。


「ミーシャです。三歳。ぼくはユーリ」


「ユーリ、よく連れてきてくれたわ。中へ入りましょう」


 冬鈴館の職員たちがすぐに動いた。マーサは湯を沸かし、ハンナは乾いた肌着を用意し、ミレーヌは受け入れ記録を開く。看護師が足先を確認した。


 ユーリの靴は、底が白く凍っていた。


 私はそれを見た瞬間、息が詰まった。


 標準防寒靴。


 王立医務局が北境へ配った新しい靴だ。見た目は立派で、表面には耐寒印が押されている。だが、底の継ぎ目に水が入り、凍って固まっていた。歩くたびに足先を冷やす靴になっていたのだ。


「いつから濡れていたの?」


 ユーリは答えなかった。


 代わりに、小さなミーシャが呟いた。


「にいに、だいじょうぶ、いった」


 ユーリは唇を噛んだ。


「大丈夫でした」


「嘘をつかなくていい」


「……痛いです」


 その一言で、看護師が動いた。


 足を急に温めすぎてはいけない。ぬるい布で少しずつ戻す。私は暖炉の熱を手のひらに集め、直接ではなく布へ移した。


 ユーリは痛みに耐えながら、妹の方を見ていた。


「ミーシャは」


「今、マーサが温かいスープを用意しているわ」


「ぼく、あとでいい」


「あなたも今です」


 彼は驚いた顔をした。


 小さい子を先にする。その気持ちは分かる。けれど、彼も子どもだ。


「ユーリ。冬鈴館では、兄だから後回しにはしません」


 彼の目が揺れた。


「でも、ぼく、九歳です」


「九歳は、子どもです」


 その言葉を聞いて、彼は初めて少し泣いた。


 泣く声はほとんど出なかった。ただ、凍った靴を脱いだ足の上に涙が落ちた。


 朝になると、冬鈴館は満床になった。


 保護者からの問い合わせは増え続けている。王立医務局は移管を急ぎ、こちらには北境の子どもが運ばれてくる。部屋は足りない。職員も足りない。薪も薬も減っていく。


 セドリック兄様が駆けつけた。


「資金なら出す」


「ありがとう。でも部屋が足りない」


「近隣の空き家を借りるか」


「暖房設備がない家に子どもは置けない」


 兄は珍しく黙った。


 私は凍った靴を机に置いた。


「この靴の納入業者を調べてください。王立療養院の標準毛布と同じ系列かもしれません」


「分かった」


 アルノルトは副官への返信を書いていた。手には力が入りすぎて、ペン先が少し割れている。


「北境の報告を、王都で聞くのは苦しいですか」


「苦しい」


 彼は隠さなかった。


「ですが、ここで制度を変えなければ、北境の子どもたちも同じ番号にされる。今行くべき場所は、王宮の査問室です」


 その言葉に、私は頷いた。


 昼過ぎ、リュシーがユーリの部屋の前に立っていた。


「入っても?」


「ユーリがいいと言ったらね」


 中から小さな声がした。


「いいです」


 リュシーは布兎ではなく、ギルベルトの木の鳥を持って入った。


「これ、とり。ちょっとへた。でも、だいじ」


 ユーリは鳥を見た。


「へたなのに?」


「れんしゅう、した」


「だれが」


「おとうさま」


 リュシーは少し考えてから続けた。


「まえ、へや、なくそうとした。でも、いま、とり、れんしゅうしてる」


 私は廊下で聞いていて、息を止めた。


 娘なりの説明だった。


 過去を消さず、今の努力も見ている。


 ユーリは鳥を撫でた。


「ぼくの靴も、練習したら直るかな」


「くつは、おとなが、なおす」


 リュシーはきっぱり言った。


 その通りだ。


 子どもの靴は、大人が直す。


 私は凍った靴の横に、新しい証拠札を置いた。


『北境標準防寒靴。水侵入、凍結、児童の足先冷却』


 王立医務局が標準と呼ぶものが、また一つ子どもを冷やした。


 この靴を、査問室へ持っていく。


 紙の上の議論ではなく、凍った重さそのものとして。




 夜になっても、凍った靴のことが頭から離れなかった。


 靴の内側には、ユーリの母親が縫いつけたらしい小さな布印があった。雪の結晶のような不器用な刺繍。標準品の中に、母親が何とか子どもの名前を残そうとした跡だった。


 私はその印を見て、胸が詰まった。


 標準品は便利だ。けれど、標準品が届いた瞬間、家族の工夫や土地の知恵が「余計なもの」として扱われることがある。北境の母親は、それでも小さな印を縫った。自分の子の靴だと分かるように。取り違えられないように。


 その印ごと、靴は凍った。


 私は証拠札に一行加えた。


『内側に母親の印あり。標準品の不具合は、家族の工夫では補いきれなかった』


 制度の失敗を、母親の縫い方のせいにさせないために。

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