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第十三話 侯爵家の帳簿が凍る

 ノエリアがいなくなって十日が過ぎた頃、レーヴェルト侯爵家では別の問題が表面化していた。


 金である。


 ギルベルトは貧しい貴族ではない。領地もあり、王都の屋敷も大きく、侯爵家としての体面を保つだけの収入はあった。


 だが、屋敷の実務は長くノエリアが整えていた。


 薪の契約更新。


 薬草の仕入れ。


 使用人の冬季手当。


 保温石の点検費。


 リュシーの医療費と、そこに紛れ込んでいた無駄な支出の整理。


 ギルベルトはそれらを「細かいこと」と呼んでいた。だが、細かいことは積み上がる。雪も、最初は一片ずつ降る。


「旦那様、薬草商から支払い確認の書状が届いております」


「払えばいい」


「奥様の持参金特別口座から支払われていた分でして、現在は口座の使用が停止されています」


 家令ボルクが額に汗を浮かべて言った。


「なら通常口座から払え」


「今月はリリア様の医師代と、南翼の追加燃料費がかさんでおります」


「燃料費など大した額ではないだろう」


「通常月の三倍です」


 ギルベルトは書類を奪い取った。


 数字は嘘をつかない。


 南翼療養室を無理に暖めようとした結果、薪と魔石の消費が跳ね上がっていた。さらに、リリアの体調不良を理由に王都から名のある医師を呼んだため、診察費も高い。


「ノエリアがいた時は、こんな額ではなかった」


 思わず口にしてから、ギルベルトは書類を握りしめた。


 ボルクは目を伏せた。


「奥様は、暖炉の火を必要以上に焚かずとも部屋の温度を保っておいででしたから」


「分かっている」


 分かっている、と言いながら、彼は本当には分かっていなかった。


 ノエリアの魔法が便利だったことは認める。だが、それならなぜ彼女はもっと早く、自分の価値を主張しなかったのか。なぜ黙ってやり続けたのか。


 そう考えて、すぐに答えが浮かんだ。


 自分が聞かなかったからだ。


 彼女が温度記録を見せてきた時、「また神経質なことを」と言った。


 薬草商の契約を相談してきた時、「君に任せる」と言った。


 南翼療養室の改修費について相談してきた時、「好きにすればいい」と言った。


 任せたのではない。


 見なかった、聞かなかった。


 その結果が、今、机の上に積まれている。


 扉が開き、リリアが入ってきた。厚い肩掛けにくるまり、顔色は悪い。


「ギル、少しお話してもいい?」


「体調は」


「今日は少し楽なの。でも、南翼のお部屋が寒くて……」


 ギルベルトは返事をする前に、机の上の請求書を見た。


 寒い。


 その言葉を聞くたびに、金が減っていく。


 いや、違う。


 ノエリアとリュシーも、寒いと言っていた。


 自分はその時、金のことすら考えなかった。ただ大げさだと思った。


「リリア」


「なあに」


「君の診断書を見せてくれ」


 リリアの表情が一瞬止まった。


「診断書?」


「王都の医師から、暖かい部屋で療養するよう言われているのだろう。法院に提出する必要がある」


「あ……ええ、もちろん。でも、父が保管しているかもしれないわ」


「取り寄せてくれ」


 ギルベルトはそう言った。


 リリアは微笑もうとしたが、うまくできなかった。


 その夜、ギルベルトは南翼療養室の前で立ち止まった。


 扉の向こうから、リリアの咳が聞こえる。


 それは確かに苦しそうだった。


 だが、彼の耳には別の声も残っていた。


 リュシーの「さむいの、いや」という声。


 その声の方が、小さく、長く、消えなかった。

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