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視察ですってよ!?(side アガサ)-01-

 青い空の下、青々とした木々と美しい花に囲まれた白いガゼボに、身なりの良い黒髪の少年が座っていた。小さな手に大きな本を持ち、幼い風貌に似合わぬしかつめらしい表情で唇を引き結び、一心不乱に本を読んでいる。隣の椅子に座って給仕係が淹れた果実水を堪能していた少女が、退屈そうな表情で少年の肩越しに本を覗き込む。子供ながらに気の強そうな赤紫の瞳が驚きで見開かれた。ふっくらとしたピンクの唇が開き、高い子供の声が発せられる。


『まぁエリオット!文字ばかりでむずかしそうなご本ね!何を読んでいるの?』

『経済に関する本。お父様の書斎にあったのを借りたんだ。邪魔しないで』


 本から顔を上げることすらせずに素っ気なく言い捨てたエリオットと呼ばれた少年に、少女は頬を膨らませた。折角自分が遊びに来ているのに、彼が本に集中し放っておかれている現状が大層気に食わないと、ありありと表情が語っている。


『ご本を読むなんていつでもできるじゃない。今日は、アガサと遊ぶ約束の日よ!もうずっとここでエリオットの読書が終わるのを待っているのに、いつになったらアガサと遊んでくれるのよ!』

『―――…はぁ…』


 エリオットの腕を揺さぶると、読書を強制的に中断されたエリオットは鬱陶しそうにため息をついて仕方なくテーブルに本を置いた。本心では婚約者だという少女のおままごとなどに付き合いたくないし、なんなら今日会うのだって勉強の時間が削られるので嫌だった。眉間に皺を寄せる子供らしからぬ表情でアガサを見やり、一つ文句でも言ってやろうと口を開きかけたとき。


『それに、お勉強はひとりではなくてふたりでやるのよ!エリオットはひとりだけどアガサがとなりにいればふたりだから助けてあげられるって、さみしくないってお母さまおっしゃっていたわ!』

『――――――!』


 エリオットが無言で息をのんだ。少年の橙色の双眸が大きく見開かれる。その日初めてまともに瞳に映した婚約者の笑顔は、満開の花の様で、まるで二人のいるガゼボを囲む色とりどりの花に似ていると、そんな風に思った。


「ほぁあああああぁああああ~~~~~ぁ…………………なんだ夢か」


 皆様ごきげんよう。ご機嫌が悪くてもごきげんよう。起き抜けに悪夢…もとい過去の恥ずかしい記憶に情けない悲鳴を上げたアガサです。今となっては超恥ずかしい、思い出したくない過去の一つだっていうのに、どうして夢なんかに出てきちゃったのかな~。


「…案外、『あの事』気にしていたりするのかしらね」


 思い出すのはあの日のこと。衆目の中、アガサの努力も私の前世の記憶も無駄だと言わんばかりに突き付けられた、元婚約者(エリオット)から婚約破棄された時の記憶。共に過ごした時間も交わした言葉も、積み上げていたと思っていた信頼も砂の城の様に脆く崩れ去って、虚無と脱力感しか残らなかったあの日。アガサも私も無意味で無価値になった日。あの時私達は、初めて心が折れる音を聞いた。


「――やめましょう私。今更どうにもならないもの」


 目を閉じて首を振り上体を起こす。夢のせいか重たく感じる体に気付かないふりをして、朝の支度の為にベッドサイドのベルに手を伸ばした。




 キース様に嫁いで早…何か月だっけ?三、いえ四か月?まぁ細かいことは置いておいて、大体それくらいの時間が経ちました。徐々に朝晩が冷える様になってきても、私とキース様とベティ(キース様の愛犬です)の二人と一頭による朝のお庭のお散歩は継続しています。最初は無言が続き言葉を交わしてもすぐに途切れることが多かったけれど、それでも少しずつ話す話題が増えキース様に関する情報が増えていった。例えば、朝は軽い食事しか入らないこと、猫は好きだけど触るとくしゃみが出て体が痒くなること、本がお好きで遅くまで読み耽り執事長のノエルに怒られたことなど。


『領民達の中には文字を読むことさえできない者もいる。俺は彼等全員が文字を学べる環境を整えて、読んだ本の話に花を咲かせる姿を見たい。領民達に戦う以外の生きる道が欲しい…まぁ、現状のうちの状況じゃ夢のまた夢ですけどね…。』


 そんな風に話してくれたキース様は、申し訳なさそうに眉を下げ俯いていた。きっとその時のキース様は赤い死神(ウィリアム)さんの事を考えていたのだと思います。この館のお隣の家で生まれたというウィリアムさんは、15歳でありながら既に凄腕のスナイパーとして世界中に名を馳せています。けれど、もしレッドフィールド領がもっと豊かだったなら。魔物の脅威に晒されていなければ。領地に領民達が勉強する環境が整っていたなら。きっとこの少年には別の未来があったでしょう。でも、現実は違った。領地の資金繰りは厳しく、領民達に読み書き計算を学ぶ余裕は無い。また、その様な環境もできていない。


 そう考えた時、私は胸の奥底で歓喜した。我が家であれば…ハミルトン公爵家であればキース様の夢を叶えるお手伝いが出来る。――『私達』に、価値が生まれる。


 私とキース様はまだまだぎこちない関係ですが、ここ最近、なんだか使用人の皆さんに受け入れてもらえているのではと思うことが増えている。なんというか、空気?が違う気がするのよねぇ。双子の従者さん達は分からないけど…。あの人達ってお父様に似ているの。容姿じゃなくて、感情や思考が表情や目に現れないところがすごく似ている。だから、笑って私とキース様を揶揄う双子が、本心で私をどう思っているかを推し測ることが出来ないのよね。


 だから、双子が提案した今回のデー…じゃ無かった、視察もなにか裏があるのではないかと勘繰ってしまって、素直に頷けなかった。大体、私もアガサもデートなんて…あ、アガサはあるか。政略で結ばれた婚約者との外出が果たして『デート』と呼べるのかは、甚だ疑問だけれど。『異性と目的を持って出かけた』のなら、デートなのかしら?なんてつらつらと考えている私を容赦なく姿見の前に連れて行ったヴィルマは、得意げな表情で親指を立てた。


 まっっっっって!?ちょっと待って!?やってくれやがりましたわヴィルマこの有能メイド!!ワインレッドのドレスって明らかにキース様の髪色を意識しているじゃない!?刺繍とレースが繊細で思わず見惚れちゃったけど…『この程度序の口ですわ』って?嘘おっしゃい!!デートじゃなくて視察だって言ったでしょう!!


「お似合いですから問題ないですわ。きっとあの朴念じ…こほん、枯れた旦那様もイチコロに出来ましょう」

「いや、でも、一応お仕事ですし…もっと簡単な装いでいいんじゃないかしら?その方がよくないかしら?」

「何をおっしゃいますか。いくら領内といえど、領主夫人が地味な恰好で現れれば、『嫁にお洒落もさせてやれないド貧乏貴族』と笑われるのは旦那様でございます」

「うっ…そ、それは、確かに…よくないけど…」

「はい、よろしくありません。なのでこれで良いのですわ」

「うーーーーん…そうかなぁ…そうなのかなぁ…?」


 なんだか物凄く言いくるめられた感がするけど…身支度を手伝ってくれた他のメイド達もにこにこして頷いているし、問題ない…のかしら?いまいち釈然としない気持ちを抱えながら、私はキース様が待つ玄関ホールへと足を向けたのだった。

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