最終話
「どうして……ここ、に?」
待ち望んだ人、リアの姿が確かにそこにあった。その頬は上気し、汗が伝い、急いできたことが分かる。だけど、どうして今ここにリアがいるのか、分からなかった。
「……兄さまがこっそり城から抜け出したって情報が届いてね。間違いなくアリスの元へ向かったんだろうと思って駆け付けたんだ。そうしたらアリスの部屋のガラスが割れてたから……間に合わなくてごめん」
「大丈夫……間に合ったわよ。…見なくて済んだし」
「そっか……」
ちらりと横を見る。そこには、そこにあったはずの燭台とか机とか、そういった諸々を巻き込んで吹っ飛ばされ、埋もれたシュバルツ王子の姿。…なんだけど、その位置が数mは先。大の大人をあの距離まで吹っ飛ばすって、どうやって?蹴ったの?殴ったの?リアって実はとんでもなく強かった…?細身だけど筋肉が付いてたのは知ってたけど……
なんだか別の意味で怖くなったから視線をリアに戻す。そうしたら、いつの間にかリアの顔は真っ赤で、顔は明後日の方向を向いていた。
「リア?」
「いや、その……ごめん」
唐突なリアの謝罪に私は首を傾げた。どこにリアが謝罪する要素が?謝罪すべきはあっちでのびてるシュバルツ王子だと思うけど。
「アリス……その、ボタンまでとめてもらっていいかな?」
ボタン?はてと思い、リアを見る。別にリアの服でボタンが外れてるところはないわね。じゃあどこのボタンを?…とそこまできて、私は自分の方を見下ろした。
大きく破かれた夜着。上からリアの上着を掛けられているけど、掛けられただけだから正面はそのままなわけで……
そこでようやくリアの顔が真っ赤な理由判明。あ、見たんですね。見られちゃったんですね。あらやだ恥ずかしい……とそこまでは思ったんだけど、なんというか、思ってるほど恥ずかしいと感じてなかったりする。
これはあれですか?私よりも恥ずかしがってるリアの姿を見て、逆に感じづらいというか。普段自分からべたべた触りまくってくるくせして、こういう風のには弱いとか面白いとか。
ちょっと前まで貞操の危機だったはずなんだけど、もうそんなことは過去の出来事とばかりに今のリアの状況を楽しんでる私がおりまして。これはあれね、逆襲の時ね。
「リア」
「どうかしたアリス?」
「リアが……とめて?」
ちょっとだけ艶っぽさ出してみました。なんかすごいわざとらしかったように聞こえなくもないけどリアにはバッチリだったみたい。真っ赤なお顔がますます赤くなって、一切の余裕が無さそう。
うし、逆襲成功!……と思ったのもつかの間。
あれ、おかしいな?段々リアの目が据わってきてるような…
「アリス」
「あ、やっぱいいわ。自分でやるから」
即反転。リアに背中を向けて自分でボタン留めます。しかし男性用の上着ということで、服は硬いしボタンもでかくて留めづらい。しかも背中側から放たれる謎のプレッシャーが余計に留める手を動きづらくさせてくる。
「アリス」
ボタンを留めるのにてこずる私の手に、そっとリアの手が覆いかぶさる。ただそもそも私の手自体が結構際どい位置にありまして、それにリアの手が覆いかぶさるということが、リアの手も際どい位置にあるということで。
「ほら、こうやって…ね?」
いやこうやってじゃなくてですね? リアの手が私の手を包み込み、私の指を操ってボタンを留めていく。いやいやこれなんかスゴイ恥ずかしいんですけど? ただボタン留めてもらうより、指にこれでもかと密着されて、ボタンを留めさせられるってどんな状況ですか? ついでに言えばそこまで密着してるので背中越しにリアの身体からの…圧(?)も伝わって今度は私がピンチです。
「ほら…留め終わったね」
あと耳に吹きかけるように囁くのもやめてもらえますか?分かっててやってるでしょ?もうバレてるもんね、私の耳が弱いってことは。
おかしい、逆襲したはずの私が逆襲返しされている!?
「ぐ…う…く…そ」
そこですっかり記憶のかなたに吹き飛んでいた存在からのうめき声が漏れてきた。ああそういやいましたわね。わずか数分にも満たない時間で、忘却の彼方に行ってました。でも今こそチャンス!
「リア、ありがとう。とにかくドアを開けましょう」
「あ、ああ」
上着のボタンがしっかりと留まり、見えそうな部分は無いことを確認して私はカギのかかったドアを開けた。
ドアを開けた先には緊張の表情で固まったままの両親や使用人その他。さっきまでドアを破ろうとしていたけれど、突然聞こえてきた轟音(リアがシュバルツ王子を吹き飛ばした音)に驚き、皆動けなくなってしまっていたそう。
その後は眠れない夜となった。リアに吹き飛ばされてまともに動けないシュバルツ王子とその護衛を城から来た応援部隊が連行。ガラスは割られ、家具の一部も破壊された私の部屋は修復までの間立ち入り禁止。
シュバルツ王子が乗せられた馬車を見送り、その少し後ろから付いていく形で王宮の馬車に私とリア、そして両親が乗っていく。さすがに事態が事態らしく、陛下直々に謝罪したいとか。…まぁ息子の不始末ですし? だからといって陛下側が来るわけにもいかないので、こちらから出向くことに。ああ、朝陽が馬車の窓から差し込んでまぶしい…
それからの半年は怒涛の日々が続いた。……主に王宮に。
第一王子の侯爵令嬢…つまり私への夜這い未遂行為は隠しきれるものではなく、むしろもう陛下は隠そうとしなかった。
はっきりとシュバルツ王子の罪は白日の下にさらされ、そして王位継承権も剥奪され、王族としての地位も失った。
その結果、シュバルツ王子が孕ませた令嬢たちについても、その子供への王位継承権も無しとされ、その家も大混乱。生まれる子供が元王族の罪人の子供であるために、彼らとしてはこの上ない厄介な存在となってしまった。
そこで陛下は、シュバルツ王子を僻地への追放と同時に、自分の子供5人も連れて行かせることとした。当然、その動向には監視役が付き、万が一王位への執着を見せた場合には孤島の牢獄へ親子バラバラに収監させるつもりらしい。最初からそうしないのは、陛下の親としての最後の愛情だと思う。
子供はそうするとして、母親である令嬢たちについては、シュバルツ王子に付いていく意思があればその意思を尊重するとも。……現時点では誰も同行する意思は見せてないらしい。
そして今。もうすぐシュバルツ王子・・・いや、シュバルツ元王子が追放される前日。私はシュバルツ元王子が収監されている牢屋の前にいた。
私がここにいるのは、最後にどうしても聞きたいことがあったから。この世界で、唯一の同じ前世の記憶を持つ者同士。
牢屋の前に立つと、人の気配を感じ取ったシュバルツ元王子は顔を上げた。半年間の収容で、整った見目は今は見る影もない。前のような覇気も無く、何もかも失った罪人となってしまった。シュバルツ元王子は牢屋の前に立っているのが私だと分かると、一瞬目を瞠り、そして立ち上がるとよろよろと牢屋の出口へと近づいて手を掛けた。
「おま…えの……おまえらのせいで!」
シュバルツ元王子の目が私と、そして私の後ろにいる人に向けられる。後ろにいるのはもちろんリア。これから話す内容が内容だけに、他の人には聞かれたくない。リアは既に私と…そしてシュバルツ元王子が前世の記憶があることを知っている。なんでもシュバルツ元王子の動向がおかしくなったあたりからその動きを警戒していたらしい。その際に前世の記憶のことを口走っているのを聞いたとか。どうりで前世の記憶の話を聞いたとき、それほど驚かなかった…それどころか何か考えていたのはそういうことだったらしい。
今は人払いも済ませ、これから話す内容を耳にするのは私とリア、そしてシュバルツ元王子のみ。
「兄さま、兄さまが今の状況になったのは兄さまの自業自得です。勘違いしないでください」
「うるさい!お前が俺の邪魔をしたせいでこうなったんだ。お前が邪魔さえしなければ、アリスは俺の物だったんだ!」
あ~…まだ言うんですかこの人。もしリアが邪魔しなかったとしてもあなたの物になんか絶対になりませんけどね?というか、別に私はそういうことが聞きたいわけじゃないから、ここは少し黙ってもらおう。リアも言いたいことはあるんだろうけど、それは別の機会にしてほしい。いつになるのかは分からないけど。
「リア、少し静かにしてくれる?」
「わかったよアリス」
そう言ってリアは後ろの壁に背を預けた。シュバルツ元王子とは牢屋越しだから、万が一でも襲われる心配はない。
「シュバルツ…王子。お聞きしたいことがあります」
「俺には無い。早くここから出せ」
「私にそれを決めることはできません」
牢屋への収容、そして追放は陛下が決めたこと。私なんかにそれを覆す権限はない。あえて言えば、その発端である事件の被害者が私だから、私が何か言えば減刑くらいはできるかもしれない。やらないけど。
「単刀直入に聞きます。あなたが記憶を取り戻したのはいつからですか?」
聞きたかったのはこれ。シュバルツ元王子がいつから記憶を取り戻したのか。
今の姿からは想像もできないけれど、シュバルツ元王子が王位継承権第一位だったのは誰もが知っている事実。それは決してただ王族の長子として生まれたからだけではなく、本人にもその才があったから。品行方正、頭脳明晰、文武両道。それらを体現した存在だったのは多くの人たちが証言している。リアもそのうちの一人。
それほどの存在だったからこそ、多くの令嬢がシュバルツ元王子の伴侶となることを望んだ。王子に自らの身体を差し出し、婚前交渉までした。そして、私と婚約したことも、貴族間の軋轢や陛下の意向を踏まえて異議を申し立てることなく受け入れた。
かつての私は…まぁシュバルツ元王子に惹かれてとかじゃなく、単純に王妃の座が欲しかっただけなんだけど。
だからこそ、いまだにシュバルツ元王子の変貌ぶりを信じられないものもいる。婚約者がいるにも関わらず他の令嬢に手を出し、孕ませた。品行方正とは真逆の行いに倒れた者もいるとか。
しかしそれも、前世の記憶が蘇ったからこそだと思えば納得もできる。私自身もそうだし。
前世の記憶。それだけ言えばそれだけかもしれない。けど、それによって私自身はそれまでの私が消えうせてしまったかの如く変貌した。価値観が大きく変わり、執着していた王妃の座はおろか、貴族であることすら放棄しても構わないと思えるほど。前世の記憶に乗っ取られた…そう言ってもおかしくない。
だとすれば、同じく前世の記憶が戻ったシュバルツ元王子にも同じことが起こったとしてもおかしくない。彼の前世がどのようなものであったのかは分からないけれど、こうも女性に手を出すようだと思うと……まぁそういう人だったんでしょうね。同情はしないけど。
「…そんなことを聞いてどうする?」
案の定、シュバルツ元王子は疑心暗鬼だ。
「私が知りたいだけです」
「なら、ここから出せば教えてやる」
「じゃあいいです」
そう言って私は踵を返した。あっさり流した私にリアが驚いた表情をしていたけど、それを気にせず出口へと歩みを進めた。
「ま、待て!知りたいんだろう!?」
すると焦ったシュバルツ元王子の声が背に届く。確かに知りたくて、わざわざ許可を頂いてまで牢屋に来たんだけど…
「答えないなら別にいいです。おおよそ予測はできてますし」
そう、シュバルツ元王子の前世の記憶が戻った時期。その時期は、リアから聞いた話でおおよそ見当は付いてる。どちらかというとその答え合わせがしたくて聞きに来ただけ。わざわざ面倒そうな駆け引きをしてまで聞きたいとは思ってないし。
「1年前!そう、1年前の俺の誕生日の前日!その日に記憶が蘇ったんだ!」
あっさり話したシュバルツ元王子。
そう、記憶が戻ったとされる時期。それは、私と同じ1年前の誕生日前日。リアからは、その翌日の誕生パーティーの動向から妙な言動が出てくるようになったと聞いている。
シュバルツ元王子と私は、同じタイミングで記憶が戻ったのだ。
振り返り、牢屋を見やるとこちらを見るシュバルツ元王子の顔が見える。その顔は焦りが見え、このまま帰るつもりか?と顔に書いてある。
「奇遇ですね。私も同じ日なんです」
そう言い放ち、私は牢屋を出た。
ただの偶然とは思えない、前世の記憶の蘇り。それによって、ゲームのシナリオは完全に崩壊した。本来なら婚約者の地位を追放され、貴族ですらも無くなるはずだった私。一方、国王となり、美しい令嬢を王妃として迎えるはずだったシュバルツ元王子。立場の完全な逆転の要因はきっと、ゲームの流れに抗った私と、流れのままに流れたシュバルツ元王子。その差。
元々ゲームの世界だったとしても、そこに生きるのが現実なら、それに従ってやる義理はないのだから。
それから5年が流れた。
シュバルツ元王子は、生まれた5人の子供と共に僻地に追放された。追従した令嬢は居ないと聞いた。監視からの報告では5人の子供の世話は一切見ず、ろくに仕事もせず、荒れているとか。おかげで反乱の危険も、担ぎ上げそうな貴族の接触もないらしい。5人の子供は近くの孤児院行きが決まったようだ。子供に罪はないけれど、仮にも王族の血を引く子供。王位継承権は剥奪されているとはいえ、監視の目は緩まないようだ。
一方、あらたな王位継承者となったのが第三王子のシュベール王子。2年前に18歳の若さながら、国内の有力貴族の令嬢との結婚となった。そして先月、待望の第一子が生まれた。次代の国王としても優秀なのだけれど、どうも抜け出し癖がひどいらしくて臣下は困ってるとか。とはいえ、子供が生まれてからはその頻度は落ち着いたらしい。
そして私とリアは、来月結婚式を迎える。
王位継承権は放棄したリアだけれど、それでも王族。ほぼ国王に決定しているシュベール王子がいるとはいえ、そのシュベール王子よりも先に子供ができるとまたややこしいことになるとか。そのため、結婚式はシュベール王子に子供が生まれてからということに決定した。…陛下が。
それにはリアが猛抗議したようだけど、生憎私の方が陛下の決定を支持。だって面倒になるってわかっててそんなことしたくないし。「結婚しないと一緒に住めない」とか「城にいると政務を手伝わされる」とか本人としては結婚を急ぎたかったみたいだけど、却下です。ちなみに一応リアは政務もこなせるらしい。シュバルツ元王子の抜けた穴を埋める要員として、シュベール王子が政務をこなせるレベルになるまで、しっかり働かされたとか。そのおかげでリアと会う頻度は減ったけど、時折差し入れの名目で会いにいったりもしたし。
私はと言えば、侯爵夫人としての勉強…はしていません。これはリアの思惑と私の希望が一致した形とも言える。もしも私が並の侯爵夫人として頑張ってしまうと、当然リアもそれに追従する形になる。そうなると、元王族という立場のリアとしてはあまり目立ちたくないし、妙な勢力争いに巻き込まれたくない…つまり面倒なことになりたくないから、むしろ領地に篭るくらいが丁度よく、社交界にもあまり顔を出したくない。それには私も同意で、むしろ願ったりかなったりというやつ。有能であるよりも平凡な方が良くも悪くも狙われず、そしてなにより私自身努力を強いられることがないというのが嬉しい。
えっ、それでいいのかって?いいに決まってるじゃない。余計な面倒お断り。ビバ平凡!ビバ一般!さようなら面倒な貴族のしきたり!
…まぁ最低限の貴族の義務はこなすわよ?なんだかんだとはいえ、領地もちの貴族。本当に何もしないってわけにもいかないし。あくまでも面倒な社交界に首を突っ込むことはしないってだけで。
そんな、最低限貴族なスタイルを思い描きつつ、私とリアは再び僻地の別荘を訪れていた。あれから5年が経っているのだけれど、ロベルトを始めとした使用人たちは暖かく出迎えてくれた。少し顔のしわが増えた気がするけれど、それでもみんなまだまだ元気そうで安心した。
そして、私とリアは、二人が初めて出会ったあの木の下に座っていた。
「はい、アリスの分」
「ありがと」
リアから手渡されたのはサンドイッチ。もちろんリアお手製。この屋敷で使用人として、料理人として腕を振るっていたリア。久しぶり…でもない彼の手料理は、相変わらず美味しい。
王族として、シュベール王子の補佐をしていた頃は政務に忙殺され、全く料理ができずにいた。そのストレスをぶつけるかのように、私が差し入れに行くとすぐさま厨房に飛び込み、出来立てのお菓子や軽食を作って出てきた。その短い逢瀬の後に帰ろうとすると、逆に今度はリアからお土産という名の手作りのお菓子も渡される。
しかし、それでも本格的な料理をなかなかする機会が無かったリアにとって、今晩は久々に腕を振るう機会。ここに来るまでの間に立ち寄った町でかなり真剣に素材を吟味していた。楽しみね。
「君と出会ってから…もう7年になるね」
「そんなになるのね」
思えば、確かに色々あったのは5年前になるけど、初めてリアと出会ったのはそれからさらに2年前。彼ともう7年もの付き合いになるのかと思う。
「初めて見たときは豚が寝てるのかとあいたたたた!」
「あの時強奪されたハーブ水の恨み」
余計なことを口にしたリアの太ももをおもいっきり抓る。ついでに積年の恨みも込めてたっぷりと。
「ふ、ふふ…あんなにひ弱だったのに、今ではこんな強く抓ることができるようになってごめんなさいもう言いません」
「よろしい」
たまにこうしてデブス令嬢時代の頃をほじくり返すリア。しっかりと痛みでもって口を塞がせる私。そんなやりとりをする私たちに、海から優しい風が吹いた。
風にそよぐ私の髪。その髪にリアが指を通し、からめる。
「綺麗だよ、アリス」
「……ありがと」
さっきまであんなことを言っていた口で…と思わなくもないのに、それでも照れてしまうのはそれを口にしたのが愛しい人だから。
少し顔に火照りを覚えると、それに目ざとく気づいたリアがさらに調子に乗ったことを言い始める。
「もう今年で24になるのにいつになっても少女のように初ぶぅ!?」
平然と禁句を口にするリアに容赦のない肘鉄を叩きこむ。
ええ、今年でもう24ですよ。未婚です。ついでに言えば……未経験です。何か間違いがあってはいけないからと厳命されて、そういった行為は一切してこなかった。それは仕方がない事だと理解はしている。ただ、そうはいっても24でまだ未経験というのは、そう…ちょっと…流石に思うところがあるわよ?
「一言多いのよ」
「……ふ、ふふ、そうだね。でも、今夜君を大人の女性にしてあげるよ?」
「…………」
「…………」
「………………」
「…………あれ?」
私の絶対零度の視線に気付いたリアが首を傾げた。なんというか、リアって雰囲気づくりに関しては壊滅的なのよね。今の会話の流れで言うかしらそれ?普段はベッタベタなスキンシップするくせに、こういうところはへたくそもいいところ。
「今のは無いわ…」
「えっ、そう?」
それも分からない、というか女心が分からないリアに呆れて私はそっぽを向いた。そっぽを向いたのはリアの顔を見ていられなかったから。だって、あんな流れから言われたって、言われた内容がどういうことかわからないほど初心じゃないわよ。
もうシュベール王子は結婚してる。子供も生まれた。もう跡継ぎ問題に巻き込まれることはない。だから、そういうことをしちゃってもいいわけで…
「アリス、耳が赤いよ?」
「うるさい!」
だから一々そういうことを口にしないでよ!本当にわかってないわね!
憤りを紛らわせるように私はサンドイッチにかぶりつく。今日のサンドイッチの具材は豚肉に野菜に…それにこの香り。
「リア……」
「なんだいアリス?」
齧ったサンドイッチの断面から見える具材の数々。その具材がやたらと滋養強壮を高めるものが多いような気が…
サンドイッチを見つめる私に気が付いたリアが、いつの間にか耳元に顔を寄せていた。
「頑張ろうね?」
「っ!!」
明らかにそれを意識させるリアの言葉。はい、私限界。だって今まで未経験なのよ?そりゃあ…キスくらいはしたけど、それ以上は絶対ダメだった。だから、そう、もう、色々拗らせてるところもあるわけで…
「が、頑張らない!私はさっさと寝るの!」
「へぇ、寝てるところで襲ってほしいのかな?」
「あんたという人はぁ!」
こうなってしまったらもう後はリアの手のひらの上。こうやって揶揄い、遊ばれるのもいつもと変わらない。でも…
「大丈夫だから」
そう耳元に口を寄せて囁かれる。その声がちゃんと真剣みを帯びている。それだけで、私の心を見抜かれてしまっていることに気付いた。
そう、この年まで未経験でいれば若さだけでゴリ押せた時期は終わってる。その一方で耳年魔で余計な情報ばかり入ってきて、増えるのは不安ばかり。
こんなんでリアと初めてを迎えられるのか…不安と恐怖が増すばかりだった。
「大丈夫」
再度囁かれるリアの言葉。普段は軽薄なくせして、こんなときだけ真剣になるのずるい。でも、今はその真剣さに甘えさせてほしい。
「大丈夫…なのよね?」
「大丈夫だよ」
「…痛くない?」
「痛くないように頑張るよ」
「私で…いいの?」
「アリスじゃなきゃイヤだな」
リアの言葉に、少しずつだけど不安がほぐれていく。ずっと寄り添ってきてくれた、寄り添ってきたリア。彼の言葉だから、ちゃんと私の心に届いてくれる。
「だから、今はちゃんと食べて体力つけようね」
「最低」
ぶち壊しである、この野郎!
「いやいやいや無理無理無理!ちょっ、それありえなくない!?」
「いやいや、これが普通だよ?」
「無理!絶対無理!」
「準備するから大丈夫だよ。さっ?」
「さっじゃない!きょ、今日はこの辺で…」
「だーめ♪」
「ひぅ!やっ……そ、そん……ん!」
「…まだかたいね。大丈夫、じっくりほぐしていくから」
……そうして、私の初体験は終了しました。なお、リアはすっごくねちっこかったです。
そして翌朝。
体中がきしむような痛みを覚えるなか目を覚ますと、リアのドアップな顔が目の前にあった。
「おはよう」
「…はよう」
爽やか満載な笑顔のリアと打って変って、ぐったりとした私。身体もそうだけど、声も限界まで……喘がされてもう無理。でも、心はようやく迎えることができたことに、満足感がある。
来月には結婚式があり、その結婚を機にリアがお父様の爵位、侯爵位を継ぎ侯爵となる。そして私は侯爵夫人となる。侯爵夫人。女性の地位として見れば上から数えた方が圧倒的に高い地位。
どこでおかしくなったのか。悪役令嬢としてざまぁされて、庶民になるはずだった私。その私が、侯爵夫人となる。そのきっかけが、ざまぁから逃げることだったのだから、人生どうなるか分からない。案外、イヤなことからは素直に逃げた方が良い事に繋がるのかも?
「ねぇ、リア」
「なんだい、アリス?」
目の前のリアは、そんな私の行動を全て知る唯一の人。だから、彼にだけ聞けることを聞く。
「なんで私、『ざまぁ』されなかったのかしら?」
私の問いにリアは目を見開き、そしてしばし考え込んだ。リアは一体どんな答えをくれるのか、私は待った。しばらく待ったあと、リアは口を開いた
「アリスが、『アリス』だからだよ」
「えっ?」
「君は『アリス』だけど、アリスじゃない。だから、アリスの運命と君の運命は違った。そういうことじゃないかな?」
「…私は……アリスじゃない」
「そう。私が愛したのも、『アリス』だけどアリスじゃない。だから、君はざまぁされなかった。そういうことだと思うよ」
そっか……。そういうことだったんだ。今の今まで、私はずっと勘違いしていた。今ここにいる私は、もうゲームのアリスじゃない。もう一人の、別の運命を歩む『アリス』。答えを聴けば簡単なようで、でも私は気付かなかったこと。それを教えてくれたリア。
「ありがとう、リア。……愛してるわ」
「……君ってホント唐突に言うよね」
珍しく顔真っ赤なリア。平然と私に言うくせに、言われることにはめっぽう弱い愛しい人。
そんな愛しい人の胸に顔を埋めて、けだるげな体と、満ち足りた心のまま私は再び眠りについた。
~Fin~




