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魔族大公の平穏な日常  作者: 古酒
大祭後夜祭編
171/176

158.一位の奉仕も、とりあえずはこうして終わったのでした

「ん……」

 久しぶりに満ち足りた気分で、目が覚めた。

 瞼を叩く眩しさに、瞳をそろそろと開く。

 よく見知った天井が視界に入った瞬間、懐かしさで心がいっぱいになった。

 ああ、ここは母の別荘だ。よく、ここでこうして、子供の頃は両親と一緒に――


 ……あれ?

 ……えっと……。

 ……私、なんで……。

 確か昨日は……お母様の別荘に――

 私のジャーイル閣下の――


 くるり、と、横に寝返りを打つ。

 その瞬間――


「起きたか。おはよう」

「え……」

 視界いっぱいに飛び込んできたのは、金色の長い睫、うっとりするような黄金色の瞳、それから――

「悪い、そろそろ手を離してもらってもいいか?」

 困ったような表情で、その人は目の前に、私がぎゅっと握りしめたその腕を示し――


「ふっ、はっ、へぇっ」

 変な声が出た。

 私が慌てて手を離すと、その人は。

「俺、ちょっと前の湖で泳いでくるから――ジブライールはゆっくり風呂でも入っててくれ」

 そういって、大きな背中だけを私にみせて、隣からいなくなったのだ。


 ……。……。……。……。

 …………。…………。…………。…………。

「い……ぃきゃあああああ!!!」


 ***


 屋敷から、ジブライールの悲鳴が聞こえる。

 ……そりゃ、叫びたくもなるよな。うん、なるだろう。

 俺もちょっとそうしたい。


 それにしても、一応俺たちは絵を描くっていう体で二人でいたわけだが……筆なんてまったく握ってもない。っていうか、どのみちキャンバスもどこにあったんだか、それすらわからないんだけど。

 だいたい、リリアニースタが本当に薬を盛ったのなら――もっともジブライールが自分からそんな薬を飲むわけはないんだから、ほぼ確定だろう。とすると、やはり絵を描かせる云々は、口実に過ぎなかったのだろうと思われる。本当に道具を用意してあるかどうかだって、怪しいもんだ。

 とにかく――今は目の前に湖があってくれてよかった。


 俺はその後、暫く無心で泳ぎ続けた。

 そうして疲れ切って、そろそろいいかとあがろうとすると――

「閣下、あの――」

 水色のおとなしいワンピースに、白いエプロンをつけたジブライールが、畔でタオルを手にけなげな様子で待っていてくれる。

 ちなみに、髪は三つ編みだ。どうやら不器用でも、それくらいはできるようだ。

 おかげでむき出しになった頬から首筋にかけて、ほんのり赤らんだ様子がよく見て取れる。だが、視線はうつむき加減で、俺の姿を捉えようとはしない。

 やばい。なにそのドンピシャな仕草。


 湖に逆戻りした。

「悪い。もうちょっと、泳いでる。ジブライールは気にしないで、中で休んでてくれ。タオルはそこら辺に、置いててくれたらいい」

「あ……」

 やめて。そんな弱々しい声ださないで。

 試されてる気になるじゃないか!

 今度こそ本当に歩く気力しかなくなるほど、俺は湖を堪能したのだった。


 畔を眺めるように設置されたテーブルに、タオルは置かれていた。それで髪を拭きながら、同時に魔術で全身を乾かす。

 それから改めて、玄関から別荘に入った。

 その瞬間、食堂の方から大きな破壊音が轟く。

 おい、まさか……。


「ジブライール?」

 扉を開けて中をみると――

 やっぱりだった!

 中ではジブライールさんが、割れた皿を手に、涙目になっていたのだ。

 もちろん、白いエプロンは汚れている。

 むしろ、エプロンがあってよかったな!


「す、すみません、片づけようと……でも、あの……」

 うん……逆に昨日より、散らかってるね!

 もう片づけは、リリアニースタに任せてはどうだろう。それくらい、彼女がやったっていいはずだ。

 まあ、実際には部下に任せるだろうし。


「……とりあえず、朝飯にするか」

 俺は大皿に、無事なパンやハム、野菜、フルーツなんかをこんもりよそい、食器をいくつか手にする。

「ジブライールは何か飲み物とグラスを頼む」

「は、はい」

 ジブライールは割れた皿を置き、俺の指示通り酒の瓶とグラスを四つほど手に取った。

「あの、どちらに――」

「外で食べよう。いい天気だ」

 うん。本当は、室内に二人きりでは俺の理性がもたない、とか、そんな理由からではない。ないとも。


 そうして俺たちは湖を前にしたテーブルで、食事を始めた。

 二人とも、黙々と――

 ただ、ジブライールはずっと、うつむいたまま顔をあげない。

 だがやがて、ようやく思い切ったようにこちらを見つめてきた。


「あ、あのっ!」

「ん?」

「き……昨日のことは……」

 視線を合わせると、あっという間にまたそらしてしまう。

「覚えてるのか? 全部?」

 なにせマーミルなんて、正気に戻った後はきれいさっぱり、全部忘れてたからな。

「はい……あの、ただ、全部かどうかまでは……その……途中から、意識がとぎれていて……」

 耳までか、手の先まで真っ赤だ。

 どこまで覚えているのかと、詳しく問うようなデリカシーのないことはすまい。今はまだ、な。


「私……ジャーイル様と……その……」

 ジブライールは両手で頬を覆った。今日はどうにも、仕草の一つ一つが扇情的に響く。

 やばい。あんまり見ないようにしよう。

 でなければまた、湖に逆戻りだ。

 意識した途端にこれなんて、俺もつくづく情けない。

「ああ……いや、最後までは――」

 最後どころか、最初の最初しかしてないけどな!

 俺の理性は、朝まで頑張ってくれたのだ!


「正気ではなかったとはいえ、なんと……お詫びをすればいいか……」

 声は消え入りそうだ。

「いや。ジブライールが詫びる必要なんて全くない。いつものジブライールじゃなかった。そうだろ?」

「確かにそう、ですが……でも……けれど」

 そうとも。詫びるなら娘ではなく――

「あら、かわいらしい。まるで新婚さんのよう」

 この暢気な声を出す、母親の方だろう!


「お母様!」

「リリアニースタ……」

 俺はじろり、と、彼女をねめつけた。

 リリアニースタは昨日と同じ、いや、いつもと同じ、飄々とした、それでいて女王のような高慢な様子で、俺たちと別荘の間に立っている。


「どういうことか、説明してもらおうか」

「そういえば、閣下の着替えを預かっていたのを忘れていたので、お届けにあがったのです。ああ、それと、絵を描く道具一式――」

 なんともふてぶてしい答えが返ってくる。やはり、計画的犯行だったというわけか。


「そういうことじゃない。分かっているはずだ」

「二階でお会いできるかと思ったのに、ここでとは予想外だったけど」

「催淫剤を入れたんだな、それもジブライールの酒に」 

 どうしても、詰問口調になる。

「どうやら閣下はそれを解いたのね。そんな方法があるとは聞いていなかったけれど――」

 聞いてない? 誰に!

「何を考えている。ジブライールは君の可愛い一人娘だろうが!」

「可愛い一人娘、だからですよ、閣下」


 俺の怒りなど意に介さない様子で、リリアニースタは悠然とこちらにやってくる。

 そうして悠然と皿から苺を一つとりあげて、口に含んだ。

「あら、甘くておいしい」

「なにを暢気な――」

「お母様、どうして私にあんなことを――」

 ジブライールが立ち上がり、母に詰め寄る。

 だがリリアニースタは、慌てた様子をみせない。


「こうでもしないとあなた、自分からは何もできないでしょう? ジャーイル閣下はすさまじく鈍感だし」

「俺が鈍か――」

 いや、その通りだ。その点については反論できない。

 むしろそのせいだというなら、反省すべきだ。

「何百年も娘が不毛に苦しむ姿を、母が黙って見ていられると思って?」

「だからって、やっていいことと悪いことが――」

 ジブライールの反論は、弱々しい。

 心中複雑なものがあるのだろう。


「もちろん、この件で――」

 リリアニースタはドレスが汚れるのも頓着無く、湿った大地に片膝をついた。

 空気がピンと、張りつめる。

「閣下の御威信を傷つけた、御気分を害した、とおっしゃるなら、罰はいかようにも受けましょう。私だってなんの覚悟もなしに、こんなことはいたしません。たとえ侯爵位を剥奪され、この首を差しだそうとも――後悔はいたしません」

 なんだってこう、どこの母親も気が強いんだ。


「……今回のことは、公にはどうなっている?」

「はい。私と夫、それから娘との三人で、閣下を迎えたことになっております。夫と私も、近くの別邸に二人きりでしたので、怪しむ者はおりません」

 リリアニースタの返答は簡潔だ。

「なら」

 俺はため息をついた。

 ジブライールが俺たちのやりとりを、ハラハラと見守っているのが空気で知れる。


「罰せられるはずがないだろう。そんなことをすれば、なにがあったのかも公になるんだから」

 そうとも。こんなこと、公表できない。普通に一位の奉仕として、一家から一晩中の歓待があった、という事にしておかなければ。

 でなければいくらその娘とはいえ、ジブライールの名誉にも傷がつくというものだ。

 それに……俺にも反省材料は、多い。


「寛大なご処置、感謝いたします」

 彼女は深々と、上半身を折る。

「あくまでもこれは、ジブライールの為を想っての判断だ。今後、君のことは信用しない。それだけのことを、してくれたんだからな――」

 もちろん俺に、ではなくジブライールに、だ。


 リリアニースタは顔を上げ、ふっと寂しそうに笑う。

「確かにその通りです。そして――」

 リリアニースタは残った片膝も地面につけると、足を大地にこすりつけるようにしながら、俺の方ににじりよってくる。そうしてなにをするのかと思いきや、俺の膝頭に軽く口づけたのだ。

 絶対の服従を示す、という意味を表すその場所に。

「お母様!」

「我が命の尽きるまで、永劫の忠誠をお約束いたします、ジャーイル大公閣下」

 膝を折っていてもどこか誇らしげに、リリアニースタはそう宣言したのだった。


 結局、俺の肖像画は、その後リリアニースタが画家を手配し、大公城に派遣してくることで話がついた。

 というか、もともとそのつもりだったようだ。

 聞くまでもなく、その絵は娘に贈られるのだろう。


 その娘とは、母親がどう思ったのかはわからないが、その日はそれ以上、昨日のことについて語らうこともしなかった。

 風呂に入ってリリアニースタの持ってきた服に着替えてすぐに、俺は別荘を後にし、大公城へと帰ったのだから。

 俺もジブライールも――気持ちの整理をつけるためには、いま少しの時間が必要だろう。


 こうして肖像画の制作は残っているものの、俺の一位の奉仕も、その義務の時間を終えたのだった。


 ちなみに余談だが――いや、余談、でもないか。

 今回、もっとも俺が迷惑を被った者の名をあげておこう。諸悪の根源といってもいい。


 ベイルフォウス――!

 リリアニースタが聞いていないと指した相手が、奴だったということ。

 ベイルフォウスに頼んで催淫剤を分けてもらったのだと聞いたときの「またかあいつ!」という、俺の怒りが理解できるだろうか?

 まったく我が親友は、ろくな事をしない。

 俺はその認識を、一層強めたのだった。


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