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魔族大公の平穏な日常  作者: 古酒
大公位争奪戦編
148/176

137.気分を入れ替えて、さて今日からも頑張りましょう

 結局俺は城に帰って後、医療棟には寄らなかった。帰城したのも夜中で、抜き身のレイブレイズをもって訪れるわけにもいかなかったからだ。

 魔王城の医療員は治療はまだ終わっていないとは言っていたが、明らかに調子が悪いと自覚するような部位はなかったし、それに何より疲れていた。

 レイブレイズを寝室の剣置きに残っていた空鞘に仕舞うと、すぐに眠りについてしまったのだった。


 もっとも、八日目の相手はサーリスヴォルフだ。ベイルフォウスとの対戦は十日目だから、不戦の九日目に念のため医療棟を訪ねようとは思っている。

 別にサーリスヴォルフを舐めていたわけではない。ただ、かすり傷くらい治さなかったとしても、勝敗には何の影響もないことは確信できたからだ。俺とサーリスヴォルフには、それだけの魔力の差がある。


「昨日の一六戦の勝者はプートとする」

 ベイルフォウスが開始前に、昨晩話し合った結論を発表した。理由が続くのかと思いきや、説明は一切なしだ。ただし、友は一言、こう付け加えた。

「詳細が知りたきゃ、公文書館の会議録でも見ろ」

 ああ、昨日のあれ、一応会議だったんだ。そういや、何か書き込んでるのがいたなぁ。

 聴衆がそれで納得したかどうか、知らない。とにかく結果についての感想がガヤガヤと聞かれる中、俺とサーリスヴォルフの戦いは始まったのだった。


「昨日みたいなのは御免だからね。最後まで正気でいておくれよ?」

 いつものように軽い口調のサーリスヴォルフが、先制攻撃をしかけてくる。

 そんなの俺だって御免だ。内心で思いながら、烈風を避けた。

 その俺の動きを見越したように、間髪入れず鎌鼬が襲ってくる。それも派手に何十本もまっすぐ飛ばしてきたのは囮で、地面すれすれに湾曲し、背後を襲ってきたのが本命だ。危うく、一発もらうところだった。


 空を切り裂く風、一帯を巻き込む竜巻、あらがう者を許さない暴風雨。どうやらサーリスヴォルフは、風の魔術が得意なようだ。

 それにしても単調すぎる。大げさな魔術で意識を引いておいて、影に罠を張る、という手ばかりなのだから。

 それともそういう作戦か? 単調さで俺の油断を誘う、というような。

 だがいくら魔力の差が圧倒的とはいえ、ベイルフォウスが警戒する相手を前に、その特殊能力もわからないうちから油断などするはずがない。


 サーリスヴォルフは最初の一言以降は無駄口を利かなかったし、表情はいつものように飄々として捕らえ所がない。全力なのか、それとも手を抜いているのかさえ、測りがたかった。

 俺の目は魔力の強さは知れても、相手の術式に対する造詣の深さや、戦略について察する能力はないのだから。


 もっとも、こちらの動きを見越したような発動のタイミングは見事だ。もしも俺の反応が、その魔術の速さを上回っていなければ、痛手は少ないにしても何度か攻撃をくらっていただろう。

 一方でこちらからの攻撃を、サーリスヴォルフも紙一重で交わしてみせる。日常のフェオレスのようなそつも無駄もない動きに、感心さえ覚えた。


 俺は一気に勝負をつけるべく、百式二陣を描く。

 様子をみるのもここまでだ。もうちまちま仕掛けたりはしない。


 サーリスヴォルフが放った空気弾と、俺の放った衝撃波が中央でぶつかり合う。ついでその下をくぐって間近に迫った烈風を防御魔術ではじき返し、攻撃のだめ押しに加えた。

 衝撃波は押し勝ち、敗れた空気弾が空中で派手に弾ける。さらには彼の防御魔術を切り崩し、その全身に襲いかかった。


 結果、サーリスヴォルフは俺に敗北した。

 別に威力の減った一撃をくらったからといって、それで彼が戦えない状態となったわけではない。

 だが背から地に打ち付けられた後、サーリスヴォルフは手をあげて自ら敗北を宣言したのだ。まるで失ったのは、戦意だ、とでもいうように。それはすんなりと、判定人にも観戦者たちにも受け入れられた。


 だが、そんなことはどうでもいい。


「おい……どうした、ジャーイル」

 勝利宣言を受けても立ち尽くしたままの俺を、ベイルフォウスが不審に思ったのだろう。近づいてきて、背中をどんと叩く。

 その瞬間。

「うっ……」

 俺は――吐いた。


 うん、ごめん。こんなこと、聞きたくないよね。

 俺だって言いたくない。格好悪いもん!

 だけど事実だし、その上、目撃者が数多いるのだから隠しようもない。


 残念ながら、比喩で言ったのでもない。

 それまでなんとか吐き気を我慢していたのだが、ベイルフォウスから与えられた衝撃に耐えることはできなかった。

 俺はその場に両手をつき、地面に向かって胃の中のものを吐瀉してしまったのだ。


「げ、お前……」

 ベイルフォウスが無慈悲にも飛び退いたのを、気配で察した。

「お兄さま!?」

「やめとけ、マーミル。対戦場には入るな」

「はなして、ベイルフォウス様!」

 妹を止めてくれたのには感謝しよう。なぜなら俺の周囲には……。


「勝利のお祝いになったかな?」

 顔をあげると、たった一発、攻撃を受けただけで軽傷のサーリスヴォルフが、俺の前に立ちはだかっていた。

「うーん。こうしてみると、まるで私が勝って、君が負けたようだね」

「サーリスヴォルフ……なんてもの、仕込みやがる……こんなの……うぷ……」

 俺の恨み言を受けるその顔には、意地悪い笑みが浮かんでいる。

 あっさりと負けたのは、わざととしか思えない!


「あれー? 私は君の大好物だと聞いて、むしろ喜んでもらえると思って仕込んだんだけど。これは好意だよ、好意」

 そうして彼は高らかに笑いながら、自身がそう言ったように、まるで勝者のような態度で立ち去っていったのだった。

 何が仕込まれていたか?


 俺が過去にただ一度、トチ狂った、あの、酒!

 サーリスヴォルフの放った空気弾――その中に、アリネーゼの所領でかつて俺が酩酊したあの酒が、たっぷり仕込まれていたに違いなかった。炸裂するや液体が辺りに飛び散り、対戦場にそのニオイが充満したのだから。

 液体は、そうとは知らず、防御魔術で防いだ。だがニオイはどうしようもないじゃないか。

 一口飲んだだけで自意識を失った強烈な酒だ。今日はニオイを嗅いだだけで、気分が悪くなった。

 こんなことなら畜生! 一滴でも口に含むんだった!

 いっそ酩酊してサーリスヴォルフにちょっかい出した方が……いやいやいや、俺。混乱したにしても、なんてことを考える!


 とりあえず、それから二度ほど吐いて多少は気分のスッキリした俺は、対戦場一帯を火の海で消毒した。

 空気を察した観衆たちが、いつもより早くに昼の休憩のために静かに立ち去ってから、ようやく俺もその場を後にしたのだった。


 ちなみに、いつもの食卓についた後のことも、少しだけ付け加えておきたい。

 子供たちは、昼食もとらずに帰路についた。その護衛として、当然ながらフェオレスも……。

 別れ際の、あの腫れ物にでも触れるようなマーミルの態度が、脳裏に焼き付いて消えない。


「大丈夫、どんなお兄さまも私は大好きですわ! でも、気分が優れないので、今日は私たち、これで失礼しますわ!」

 近寄ってもこないで言われたその言葉が、逆に俺の羞恥心をえぐった。


 そうして極めつけに、サーリスヴォルフから差し入れの酒が、届けられたのだ。三本も――そう、あの酒瓶が三本も――。すぐさま割ってしまいたい衝動に駆られたのを、なんとかぐっと堪え、俺は一人寂しい食事を終えてしまったのだった。


 ***


 午前は午前、午後は午後。

 気分を切り替えようではないか。

 幸いにも、ベイルフォウスが戦うので俺は緩衝地帯で判定人を務めねばならない。もちろん、先に消毒をしたので、酒臭さも…………えーおっほん、とにかく何臭さも残っていない。

 いっておくが、俺だってちゃんと食事前に何度もうがいしたからな!

 食事後には、念入りに歯も磨いたからな!


 だというのに、なんだ、ベイルフォウス。そのしかめっつらはヤメロ。

 親友を汚物のような目で見るのはヤメロ。

 俺が傷つくではないか。


 とにかく、二戦目はベイルフォウスとアリネーゼの戦いだった。

 彼女の参加は、午前中も観戦に来ていなかったこともあって、実は危ぶまれていた。なにせウィストベルによって片脚を失ったのは、つい昨日のことだったからだ。

 ところが今日、現れた彼女には、ちゃんと両足がついていたのだ。

 いや……正確には二本の脚でちゃんと立っていた、というべきか。


 いつもはウィストベル同様、その爛れた牛脚を見せつけるようなスカートばかりだったのが、今回はゆったりとしたズボンでの参戦だったからだ。しかも足首で絞られた布の先には、がっちりと竜の蹄を覆い隠す靴まで履いている。

 まるで我々、デーモン族のように。

 顔色もどこか、青ざめて見えるのは気のせいだろうか。


 相手が自分たちより遙かに強い大公であっても、やはり美貌を誇るアリネーゼの被った運命に同情を覚えた者たちがおおいのか、戦いはいつもより静かに聴衆が見守る中で始まった。


 ベイルフォウスは、ウィストベルが相手の時のように、いらぬちょっかいを出したりはしなかった。ただ淡々と、ここでもやはり氷の魔術を使ってアリネーゼの逃げ場を封じ、挙動を封じ、彼女の魔術を封じて勝利した。

 そのせいもあってか、二人の戦いはかつてないほど静かな印象を、観戦者たちに与えたことだろう。

 アリネーゼは今日はたいした負傷もなく、さらに一言も口を利くこともなく、その場を離れていった。

 大公席で見守るウィストベルと、いつものように火花を散らすことすらなかったのだ。

 逆に彼女を労る信望者たちの熱い涙にまみれた嗚咽が、その退場に花を添えることとなった。


 その後、俺はいつものおきまりのように名乗りを募ったが、やはりこの日も誰一人、挑戦者は現れず、八日目が終わったのだった。




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